決意を新たに

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(……なんか、腹立ってきた)

 ハルが姿を消した後も塔の内部で一人考え続けていた葵は、やがてそうした結論に達して拳を握り締めた。葵がまだ気持ちの整理がつかないように、ハルもまだ吹っ切れてはいないだろう。それでも彼が『普通にしたい』などと言い出したのは、友人であるキリルのためだ。友達思いなのは結構なことだが、あれだけ自分をヘコませておいてそれはないだろう。少しでいいから自分の気持も汲んで欲しかったと憤った時、葵は悲しくなってしまった。

(もう、いいや)

 虚脱感に襲われた葵は投げやりな気分で携帯電話を取り出し、異世界にいる友人に電話をかけた。時計塔は今日も電波の状態が良好なようで、耳に押し当てた携帯電話からは呼び出し音が聞こえてくる。そのままの状態で少し待っていると、やがて携帯電話の向こうから弥也ややという少女の声が聞こえてきた。

『もしもし? 葵?』

「うん。ひさしぶりー」

『は? さっき話したばっかりじゃん』

「そうだっけ?」

『ボケてんの? さっきは急に電話切るしさ』

「急に?」

 どうして急に電話が切れたのかと、葵は眉根を寄せて考えを巡らせた。弥也がいる世界での一日はこの世界での一ヶ月分くらいに相当するため、葵と弥也では時間の感覚にかなりのズレがあるのだ。前回弥也に電話をかけた時のことを思い出そうと記憶の糸を辿っていた葵は、やがて断片的な出来事を思い出して一人で頷いた。

「ごめん、充電切れたんだった」

 葵にとっては数週間前の出来事でも弥也にとっては先程の出来事であり、思い出すのに異様な時間をかけた葵に弥也は呆れたようだった。しかし一つため息を聞かせると、弥也の口調は一変する。

『家に電話したんだってね』

「あ、知ってるんだ?」

『おばさんから電話かかってきた。葵が無事で良かったって、泣いてたよ』

「……うん」

 葵との通話の時も、母親は泣きじゃくっていた。心は痛むが、今はどうしようもない。葵にはそう思うことしか出来なかったのだが、弥也はさらに言及してきた。

『早く帰ってきなよ』

「私だって、出来ることならそうしたいよ」

『こんなにしょっちゅうあたしに電話してくるくらいなんだから、本当はもう帰れるんじゃないの?』

「それとこれとは話が別なんだってば。こっちだって色々大変なんだよ」

『大変って、何が?』

「それがさぁ、聞いてよ」

 気心の知れている友人と話しているということもあり、葵はハルやキリルに対する不満を愚痴という形で弥也に打ち明けた。弥也は黙って話を聞いていたが、やがて葵の言葉が途切れたところで口を開く。

『あんた、何やってんの?』

「……え?」

『どこにいるんだか知らないけど、男がどうとか言ってられる状況じゃないでしょ? そんな暇があるならさっさと帰ってきな』

 冷たい声音でそれだけを言うと、弥也は電話を切ってしまった。予想外のことに茫然としていた葵はやがて携帯電話をしまい、塔を後にする。予定ではこの後校舎に向かうはずだったのだが、もうマジスターを探そうという気は失せてしまっていた。

 徒歩で屋敷に帰宅すると、葵はエントランスホールにある階段に座り込んだ。帰り道もずっと弥也の言葉が頭を巡っていたのだが、辛辣な友人の声はまだ耳から離れない。しばらくその場所で落ち込んでいると、二階にある私室から出てきたらしいクレアが驚いた声を発しながら傍へ来た。

「どないしたんや?」

「友達に怒られた……」

「友達? 誰のことや?」

「弥也っていって、別の世界にいる友達」

 葵がそう答えると、クレアは怪訝そうな顔をした。葵はどうやって異世界の友人と連絡を取っているのかを説明した後、先程の弥也との会話についてもクレアに打ち明ける。事情を知ったクレアは眉根を寄せ、複雑そうな面持ちになりながら口を開いた。

「それは、まあ、仕方ないことやんか?」

 葵は帰りたくても帰れないのである。そういった状況下で新しく人間関係を築いたとしても、それは責められることではないだろう。むしろ前向きでいいと葵を庇った後、クレアは弥也の態度にも言及した。

「その友達の気持ちも分からんでもないけどなぁ。別の世界におるって、ちゃんと説明したんかいな?」

「言ったけど、信じてない。逆の立場だったら私も信じられないと思うから、無理もないけど」

「せやったら、うちが説明したろか?」

「あー、それも無理だよ。前にアルが弥也と話したことあるんだけど、言葉がぜんぜん通じなかったから」

 クレアが首を傾げたので、彼女の疑問を汲んだ葵は召喚魔法について簡単に説明を加えた。召喚魔法には異世界の者と意思の疎通が図れるような呪文が組み込まれていて、葵はそのおかげでどちらの世界の言葉も理解することが出来るのだ。しかし仮に言葉の問題がなかったとしても、弥也を説得するのは至難の業だ。電話では何も証明出来ないのだから。

(しばらく、弥也に電話するのはやめておこうかな)

 葵には数週間に一度でも弥也にとっては数分に一度の頻度では、確かに今すぐ帰れる状況にあるのではと疑われてもおかしくない。そんなことを考えた葵が自分の行動を反省していると、クレアが励ますように肩を叩いてくれた。

「愚痴やったら、うちがいつでも聞くわ」

「……ありがと」

 クレアの友情に心から感謝しつつも、葵は複雑な気分だった。クレアにはだいぶ話せることが増えてきたのだが、それでもまだ、何の気兼ねもなくというわけにはいかない。ことハルのことに関しては、些細なことであっても話題に上らせ辛いのだ。

(でも、もう吹っ切れてるのかな?)

 オロール城で顔を合わせた時も、クレアは他の人に接するのと同じような態度でハルに話しかけていた。ハルの方にも臆したり迷惑がったりしている雰囲気もなかったから、気にしているのは自分だけなのかもしれない。ハルの身勝手な言動を思い返した葵は、自分も気にするのはやめようと思いつつため息を吐いた。

 湿っぽい空気を拭ったクレアが明るい声で携帯電話を見せてくれと言ってきたので、葵はスカートのポケットから取り出したそれを手渡した。葵の携帯電話を手にしたクレアは様々な角度から観察し、物珍しげにいじっている。初めてオモチャを与えられた子供のようなクレアを微笑ましく眺めているうちに、以前彼女と交わした会話を思い出した葵は携帯電話を手に取った。

「うーん……いいのがないなぁ」

「何しとるんや?」

 クレアが手元を覗き込んできたので、風景が映っているような画像を探していた葵は携帯電話の画面を彼女の方に傾けた。そこにはカラオケで熱唱している弥也の姿が映っている。

「これが、さっき話した弥也って友達」

「アオイと同じ服、着とるなぁ」

「うん。私達が通ってる学校の制服だからね」

「これ、何しとるところなん?」

 この世界にはカラオケというものがないので、葵は簡単に説明を加えた。これが噂のカラオケなのかと、クレアは興味津々に画面を注視している。他の画像も見せていると、そのうちに葵が最も愛する芸能人である加藤大輝の姿が画面に映し出された。彼は知り合いとよく似ているので、瞬きを繰り返したクレアが訝しげな声を発する。

「ジノク王子?」

「似てるけど、別人。ほら、前に劇を見に行った時に話したでしょ?」

「ああ……これが例の、高嶺の花なんか」

「カッコイイよねぇ。声、聞きたいなぁ」

「アオイ、恋する乙女の顔になっとるで?」

「あはは。そうかも」

 軽口を言って笑いあっていると、今度は雨に濡れる紫陽花の画像が出てきた。これは異世界に召喚される数日前、学校帰りに撮ったものだ。生まれ育った世界では葵が消えて一週間。もう、花は枯れてしまっただろうか。

(弥也の言ってたこと、正しいよね)

 帰りたくても帰れない状況ではあっても、帰るための努力はしなければならない。紫陽花を見て改めてそう思った葵は、クレアにある人物への伝言を頼むことにしたのだった。






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