信じる心

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 丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校は、今日も降り続いている雪で白く染まっていた。すでに昼の休憩を告げる鐘が鳴り響いた後なので生徒達は昼食のために一時帰宅を果たしていて、校内はひっそりと静まり返っている。そんな静寂の中、校舎三階にある三年A一組の教室ではクレア=ブルームフィールドが窓際の自席でぼんやりと座っていた。

 椅子に横座りで腰かけて自席に片肘をついているクレアは、そうして自分の真後ろにある空席を見つめていた。その席は友人のものなのだが、彼女が再びこの席に着くのがいつになるのか分からない。だが戻って来られないかもしれないとは、クレアは考えていなかった。

 人気のない教室でしばらくぼんやりしていると、やがて廊下の方から人の気配が近付いて来るのが感じられた。校内に垂れ流されている強大な魔力は、見知った者がこちらへ来るという証だ。しかし来訪者の方はクレアが残っていることに気付かなかったようで、教室の扉を開けて姿を現した彼は目を見開いた。

「……何やってんだ」

 足を止めてからややあって、黒髪の少年は呆れ顔を作る。彼の名は、キリル=エクランド。今が昼休みでなければ女子生徒の喚声を引き連れて現れたであろうキリルを、クレアは軽く片手を上げることで迎えた。

「おたくこそ、何しとるん?」

「てめっ……、自分で言ったことは守れよな」

「せやった。キリルこそ、こないな所で何しとるん?」

「そこまで言い直せとは言ってねーだろ」

 問いには答えたくなかったのか、キリルは忌まわしげに顔を歪めるとこちらへやって来た。面と向かって会話をすることを避けた彼は、窓の外に視線を据えながら言葉を次ぐ。

「父親と、どうだったんだよ」

「ああ……オリヴァーあたりから聞いたんやな。それにしても、うちを気遣うなんて珍しいやないか」

「別に気遣ってねーよ。ただ、聞いただけだ」

 キリルはぶっきらぼうに言い捨てたが、クレアは笑みを浮かべた。初対面の時はどうしようもないガキがいたものだと思ったが、近頃の彼は険が緩みつつある。やはり本来の彼は傲慢で我が侭なだけではないのかもしれない。そんなことを思いながら、クレアは口を開いた。

「まあ、悪いようにはなってへんのとちゃう?」

「そうかよ。良かったじゃねーか」

「せやなぁ。これで、あとは……」

 葵さえ帰って来てくれれば憂うことは何もない。クレアは皆まで言わなかったが、その気持ちはキリルも同じなようだった。言葉の途中で口をつぐんだクレアを一瞥して、キリルは再び窓の外へと視線を傾ける。その後はしばらく沈黙が流れたが、それを破ったのはキリルの方だった。

「あの女……アオイのこと、兄さんに頼んだ」

「ハーヴェイ様に?」

「アルヴァってヤローが王城に行ったって話したら、只事じゃないかもしれねーって言ってた」

「ああ……ご学友、なんやったな。ハーヴェイ様が動いてくださるなんて心強いやないか」

 それなのに、キリルは浮かない顔をして窓の外を見つめている。その理由が分かるような気がしたクレアは嘆息し、それから言葉を重ねた。

「うちもなぁ、主にお願いしたんよ」

「あるじ?」

「うちを雇ってくださってる、とある貴人や。すごいお人やさかい、きっとうまくやってくれるわ」

「……そうかよ」

 そこで、会話がピタリと途絶えた。胸に渦巻いている感情は、自分もキリルも同じだろう。そう思ったクレアはもう一度深々と息を吐くと独白を零した。

「無力、やなぁ……」

 クレアにとって葵はかけがえのない友人であり、キリルにとっての彼女は何者にも代え難い想い人である。そんな人物が窮地に陥っているというのに、クレアもキリルも自力では何も出来ない。有力者に助けを求めた後は、ただ待つことしか出来ないのだ。それを悔しく思う気持ちはキリルの方が強く、彼は壁を蹴り飛ばすと踵を返した。

 キリルが去ると三年A一組の教室は再び静寂に包まれた。膝の上にいるパートナーから慰めるような思念が流れ込んできたので、クレアは苦笑いを浮かべながら彼の体に手を触れる。

「せやな、きっと大丈夫や」

 自分達は無力でも、クレアやキリルが助けを求めた相手には力がある。闘うべき相手が絶大な権力を持っていたとしても、彼らなら何とかしてくれるだろう。自分に出来ることは葵が帰ってくるのを待つだけだと言い聞かせたクレアは表情を改め、マトと共に昼食をとることにした。








 私室で山積みの本に埋もれていると扉をノックする音が聞こえてきたので、ユアンは読んでいた本から目を上げた。「失礼します」という言葉に続いて姿を現したのはレイチェルだったのだが、彼女の出で立ちにユアンは眉をひそめる。

「レイ、その恰好は何?」

「似合いませんか?」

 服を見せるように両手を広げたレイチェルは、これから夜会にでも行くかのようなドレス姿だった。似合う似合わないで物を言えば、レイチェルが選んだシックなドレスは彼女の理知的な美しさを際立たせている。だが本題はそれではなく、レイチェルを褒めた後、ユアンは話を元に戻した。

「出掛けるの?」

「ええ。アスキス殿の所へ行って参ります」

「えっ! あれって本気だったの!?」

 昼間のやりとりを思い出したユアンは驚愕して、思わず机を叩いて立ち上がった。しかしレイチェルは眉一つ動かすことなく、平然と頷いて見せる。

「その前に、ユアン様のお考えを伺いに参りました。アオイのこと、どうなさるおつもりです?」

「えっと……それについては、あの計画を使うつもりでいるんだけど……」

「そうですか。ではやはり、わたくしは行かなければなりませんね」

 ユアンの答えをすでに予想していたようで、レイチェルは一礼すると踵を返した。まだ驚きの余韻を引きずっているユアンはあ然としたまま、脱力する形で椅子に腰を落ち着ける。そのまましばらく考えていると、やがてレイチェルの意図するところが見えてきた。

(そうか……だからかぁ)

 ユアンが立てている計画は、本来は葵のために練ったものではない。だが今回の事態にも転用が可能なので、葵はそれで助けることが出来るのだ。しかしユアンが葵を召喚したと明かせぬ以上、アルヴァを助けるには別の手立てを考えなければならない。だからこそレイチェルは、ローデリックの脅迫に応じたのだろう。

(でも、ホントにそれだけかな?)

 レイチェルにとって他人に体を見せるということは、彼女の人生を左右するほどの一大事である。ましてローデリックのような王家に近しい者に見られてしまっては、今度は彼女が罪に問われかねないのだ。だがレイチェルは、そんなことは百も承知だろう。それでも彼女がローデリックの元に出向いたのなら、何か勝算があるはずだ。

(ロルはレイに執着してるし、あの刻印を見たら逆に、これで縛り付けておけるって喜ぶのかな?)

 ローデリックはトリニスタン魔法学園に通うこともなく、家庭教師に教育を受けてきた無菌培養の貴族である。その彼が初めて恋をした女性がレイチェルであり、彼に初めて失恋の痛手を与えたのも彼女なのだ。レイチェルにフラれて以来、ローデリックは少し歪んでしまった。崇拝とも言える恋情とプライドを傷つけられた憎しみは彼の中で混在していて、非常にややこしいことになっているのだ。だがローデリックがそうした性格だからこそ、レイチェルの秘密をあえて公開しないかもしれない。重大な秘密を握ることで、レイチェルを独占しておくために。

(……ロルならやりそう。でもレイの思惑って、本当にそれだけなのかな?)

 ローデリックの脅迫にあっさり屈したレイチェルを『らしくない』と思ってしまうのは、彼女なら他に目的を遂げるための手段を考えられそうだと思うからだ。それが買いかぶりではないことを、彼女に教育されたユアンはよく知っている。それでも、レイチェルが安易に応じた理由は……。

(案外、レイもロルのことが好きだったりして)

 一度は交際を断ったものの、それでもなお自分に執着し続ける男に哀れみを抱き、母性本能をくすぐられた。そう考えれば理屈は通るような気がしたが、レイチェルの淡白さはそれだけでは説明がつかない。あのポーカーフェイスは本物なのか、偽物なのか。そこで思考を切り上げたユアンは苦笑いを浮かべた。

(やっぱりレイはさすがだなぁ。アルよりは大人になれたけど、レイの域に達するにはまだまだだね)

 いずれにせよ、ローデリックのことはレイチェルに任せておけば間違いない。苦笑いを消したユアンは本を閉ざし、自身も内密の外出をするために席を立った。






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