アルヴァ=アロースミス

BACK NEXT 目次へ



「真っ白、だよ?」

 葵が本を傾けて見せると、それを覗き込んだユアンは空白のページを目にして眉をひそめた。そのまま難しい表情になった彼は口元に手を当て、沈黙する。考える間を置いた後、ユアンは葵に向き直って口火を切った。

「世界の記憶には刻一刻と記録されるものと、その存在が世界に還った瞬間に全てが記憶されるものがあるみたいなんだ。精霊や人間は後者、だね。それが真っ白っていうことは、バラージュの魂はまだ世界に還ってないんだと思う」

「それって……つまり?」

「つまり、バラージュはまだ生きてるってこと」

「ええっ!? だって、千年くらい前の人なんでしょ?」

「もちろん、普通の状態で存在してるわけじゃないよ」

 そう言い置くと、ユアンは英霊として召喚されないための方法を知っているかと尋ねてきた。過去に生きていた魔法使いを全て英霊とすることは出来ないということは知っていたものの、その方法までは知らなかった葵は首を振る。するとユアンは何でもないことのように、『死なない』ことなのだと言ってのけた。

「死なないって……そんなこと出来るの?」

 人間は誰しも誕生の瞬間に死を決定付けられている。人間だけではなく、それは生きとし生けるものに言えることだ。しかしその考え方は葵の生きてきた世界のもので、この世界では通念ではないのかもしれない。そう思った葵は念のため尋ねてみたのだが、ユアンはあっさりと「そんなことは無理だ」と言い放った。

「もう少し正確に言うと、生きているのでも死んでいるのでもない状態かもしれないってこと」

 どこかで聞いたような科白だと思った葵は眉根を寄せ、記憶の糸を辿った。


『世界の狭間に行った者は生きているのでも死んでいるのでもない状態で、ただ存在しているだけなのだそうです』


 しばらく考えこんだ末、思い出したのはレイチェルの言葉だった。ユアンにそのことを話してみると彼は真顔で、それも一つの可能性だねと言う。

「とりあえずバラージュについては、ここでこれ以上のことを調べるのは無理みたいだね」

 在るべき世界に帰ったら、バラージュに召喚されたのだというヴィジトゥールに詳しい話を聞いてみよう。そう締め括って、ユアンは閉口した。

「えっと、この本はどうしたらいい?」

「そのへんに置いておけば、そのうち在るべき場所に戻るよ」

「じゃあ……」

 周囲の本棚が整然と立ち並んでいるだけに、葵は少し後ろめたさを感じながら閉じた本を棚に立てかけた。その作業を終えて上体を起こすと、耳鳴りがするほどの静寂が訪れる。次に何をするべきなのかは葵もユアンも分かっていたので、どちらからともなく手を取り合った。

「じゃあ、そろそろ本題に入ろうか」

「今度はアルの本を探すの?」

「アルの本は探してもないよ。世界から消されちゃってるわけだからね」

「それなら、何をどうするの?」

「まずはアルの……」

 ユアンが言葉を紡ぎかけたところで、会話は唐突に途絶えた。より正確に言うならば、途絶えさせられた・・・・・・・・のだ。それまで視界を埋めていた本棚が消え、葵とユアンはいつの間にか、ねっとりとした不快感を伴う闇に呑まれていた。

「ユアン!?」

 不意に視覚を奪われた葵は焦って声を上げたのだが、ユアンからの返答はなかった。世界の中心セントル・モンディアルへ来る時も闇に呑まれたが、あの時とは違ってユアンと手を繋いでいる感触も失われてしまっている。必死に叫んでみても、一人きりの闇の中では、それが声になっているのかどうかさえ分からない。ただ葵は、五感を閉ざされた闇の中で何か・・の意識を感じていた。粘着質な闇から発せられているそれは強く深く昏い、拒絶、拒絶、拒絶。とてもコミュニケーションを図れるような代物ではなかったが、その意識は一方的に葵の心を侵していった。

(何、これ)

 混濁した闇の中に突如として現れたのは、雪のイメージだった。純白の雪原に厚手のマントを纏い、目深にフードを被っている人物が佇んでいる。その人物は魔法書らしきものを手にしていて、雪原の真ん中に魔法陣を出現させた。そしてマントの下から雪のように白いウサギを取り出すと、そのウサギの口に何かを押し込んでから、魔法陣の中央に配置させる。持ち上げられていた時は手足をバタつかせていたが、魔法陣の中央に据えられると、ウサギは金縛りにあっているかのように動きを止めた。

 魔法書を手にしている人物はウサギに向かって手をかざし、何かの呪文らしきものを唱えた。その詠唱が終わると、ウサギの体が変化する。それまで生物として自然な形をしていたウサギは、葵もよく知る『保健室の主』へと姿を変えていた。

(これって……)

 ウサギの変化は一種の、動物実験によるものだ。それを行った人物が誰なのか、葵にはもう察しがついている。しかしマントの人物の顔は明かされないまま、場面は急激に移り変わった。

 雪原の次に見えてきたのは薄暗い、どこかの部屋だった。そこでは何故か薔薇が燃えていて、一様に黒いマントを身につけている者達が佇んでいる。彼らは白い巨石で造られた台座を囲っていて、その台座の上には葵がよく知っている少年の姿があった。真っ赤な髪色が特徴的な彼の少年は、トリニスタン魔法学園アステルダム分校のマジスターの一人である、ウィル=ヴィンスだ。

 上半身裸という状態で台座の上に寝かされているウィルは、目を開いてはいたものの体を動かすことは出来ないようだった。無抵抗のウィルの体に、アルヴァが何かの種を押し付ける。その種はウィルの体に吸収され、その直後、芽吹いた。芽は瞬く間に成長し、ウィルの体が荊で覆われていく。その光景は人体実験に他ならず、葵は思わず目を背けた。

(これが、アルのやってきたこと)

 そして『闇』は、アルヴァの行いを激しく嫌悪している。それが世界の意思なのだと、葵にももうはっきりと分かっていた。アルヴァの行いは非難されて然るべきだったし、世界が彼を危険人物と判断したのも理解が出来る。ただ共感することと受け入れることは別であり、葵は一度口唇を引き結んでから口火を切った。

「ごめんなさい。もう二度と、アルにあんなことさせないから。だから、お願い。アルにもう一度だけチャンスをあげて」

 やり直す機会さえ与えられずに消されてしまったのでは、アルヴァが不憫すぎる。葵が切にそう訴えると、どこからか声が聞こえてきた。


――親愛なる世界

――あなたが愛し子を失って傷ついているのが僕には分かる

――大切に育んできた命をどうか、このまま消してしまわないで


 辺りを見回してみても姿は見えなかったが、その声はユアンのものだった。お互いに存在を認識することが出来なくても、彼もまた、この闇の中で世界に語りかけている。

(世界も、ホントはアルを消したくなかったんだ)

 世界に選ばれた人間であるユアンは、他の人間が関知しないところで世界と深く繋がっているのかもしれない。だからこそ彼は、この場所へ来たのではないだろうか。アルヴァだけではなく、傷ついているのだという世界も共に救うために。そう思った葵は指を組み、ユアンの声に合わせて祈りを捧げた。


――大丈夫。僕たちに任せて

(私たちで何とかします。だから、お願い)

――あなたの愛し子に、どうか今一度の慈悲を

(アルを、返してください)


 葵とユアンの祈りは一条の光となって闇を切り裂いた。視界が突然ホワイトアウトし、痛みを感じた葵は両手で頭を押さえる。しかし我に返った時には元通り、ユアンと手を繋いでいた。

「あ、あれ?」

「アオイ、大丈夫?」

 ユアンから話しかけられたことで、葵はひとまず混乱を脇に置いておくことにした。しかし答えようとした言葉は、声になる前に消え去ってしまう。ユアンとの会話を始める前に、周囲の異変に気を取られたからだ。

「うわぁ……」

 闇の中にいることに変わりはなかったのだが、葵とユアンの周囲では大きさも色彩も様々な光が無数に輝きを放っていた。その幻想的な光景を見て、葵の口からは感嘆が零れたのだった。






BACK NEXT 目次へ


Copyright(c) 2013 sadaka all rights reserved. inserted by FC2 system