アルヴァ=アロースミス

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 ねっとりとした闇に呑まれてしまうまで、葵とユアンは図書館のような眺めの場所にいた。しかし今は、闇の中で無数の光に囲まれている。それは場所を移したという変化ではなく、ただ目に映るものが変化しただけで本質は変わっていないのだと、ユアンは言った。

「この光の一つ一つが、さっきは一冊の本に見えていただけなんだ。目に映るものなんて不確かで、それが世界の全てじゃないんだよ」

「じゃあ、この光景も幻みたいなものってこと?」

「幻想的とはよく言ったものだよね」

 ユアンの考えはよく分からなかったが、改めて周囲を見た葵は確かにきれいだと思った。この闇からはもう、ねっとりとした不快感が伝わってくることはない。それはおそらく世界が、葵とユアンがしようとしていることを容認してくれたからなのだろう。闇の中で聞いた声を思い返した葵はユアンに視線を傾けた。

「私達のお願い、聞いてくれたみたいだね?」

「うん。じゃあ、始めようか」

 宣言をしてから一呼吸置くと、ユアンは口調を改めて言葉を重ねた。

「まずは目を閉じて、アルの姿を思い浮かべて。髪の色や目鼻立ち、雰囲気なんかまで、出来るだけ細かく」

「分かった。やってみる」

 葵は瞼を下ろして、ユアンに言われた通りアルヴァの姿を想像してみた。彼の容姿で目を引くのは金髪に碧眼、そして姉であるレイチェルとよく似た、整った面立ちだ。アルヴァと言えば学園のイメージが強く、葵は白衣を着ているところを思い浮かべた。

(あとは……何だろう? 身長とか?)

 そう思ってはみたものの、葵はアルヴァの身長など知らなかった。並び立つと頭一つ分くらいは大きかったような気もするが、それも確かな記憶ではない。それ以上に思い浮かべることがなくて困っていると、ユアンから目を開けてもいいという合図がきた。指示に従って目を開くと目前にアルヴァの姿があったので、葵は条件反射的に手を伸ばす。

「アル……!」

 だが喜色を浮かべて体に触れても、アルヴァは無反応のままだった。伏せられている目は虚ろで、顔にも表情がない。ユアンを振り返ると、彼は疑問を口にしてもいないのに説明を加えてくれた。

「それは僕とアオイが作り出したイメージだから。アル本人じゃないんだよ」

「そうなんだ……」

 目に見えてガッカリした葵の肩を、ユアンが慰めるように軽く叩く。そして彼は無邪気に、笑って見せた。

「今からこのイメージにアルの記憶を戻していくよ。まずはアオイからだね」

「記憶を戻すって、どうやってやるの?」

「片手でアルの手を取って、もう片方は僕と手を繋いで」

 指示された通りに両手を繋ぐと、ユアンも葵とアルヴァの手を取った。そうして輪になると、ユアンは次なる指示を葵に与える。アルヴァと過ごしてきた日々を思い出してと言われた葵は、眉根を寄せて空を仰いだ。

(アルとの思い出、かぁ)

 アルヴァと初めて会ったのは、トリニスタン魔法学園アステルダム分校が建っている丘の下だった。その当時、葵は徒歩で学園に通っていて、丘の下で息切れしていたところに白衣姿のアルヴァが現れたのだ。第一印象は『人が良さそう』だったのだが、その印象はすぐに塗り替えられることになる。

《ま、テキトーに座ってよ》

 懐かしい出来事を思い返しているとアルヴァの肉声が聞こえてきたので、空を仰いでいた葵は焦ってイメージのアルヴァを振り向いた。しかしその口唇は動いておらず、目も虚ろなままだ。

「アオイ、こっちこっち」

 ユアンの声に導かれて視線を移すと、三人が手を繋いで作っている輪の中に映像が浮かび上がっていた。その映像は水鏡に映っているようなもので、先程のアルヴァの声はそこから聞こえてきたようだ。映像の場面は葵の記憶とリンクしているらしく、だらしなく服装を乱したアルヴァが窓のない保健室風の部屋でくつろいでいる。

「……もしかして、思い出したことがここに映るの?」

 頷いたユアンは出来るだけ色々なことを思い出して欲しいと言っていたが、それが映像になってしまうのでは迂闊なことは考えられない。葵がそう思った端から、見られると恥ずかしい記憶が蘇ってきた。

《ミヤジマがお望みとあれば、物品面だけじゃなく他のことでも満足させてあげるよ?》

 目を細めていやらしい笑みを浮かべているアルヴァは、そう言うと顔を背けている葵の頬に口づけた。映像の悲鳴と実際に葵が上げた悲鳴が重なって、見事な二重奏を奏でる。葵が恥ずかしさのあまり両手で顔を覆うと映像は消え、ユアンの笑い声がその場に響いた。

「今の、いつの記憶? アオイってば、かなり動揺しちゃってたね」

「う、うるさいッ!!」

「その調子でアルにどんどん思い出を分けてあげてよ。そしたらきっと、アルも自発的に記憶を蘇らせるはずだから」

「もうやだ! もうやらない!」

「ううん、それは困るなぁ。最近のアルのことは僕よりアオイの方がよく知ってるでしょ?」

「うっ……じゃあ、ユアンが先にやってよ」

 葵が苦し紛れに言うと、ユアンはあっさりと承諾した。その返答には微塵のためらいも感じられず、葵は眉をひそめる。

「映像で出ちゃうんだよ? 恥ずかしくないの?」

「アオイにだったら見られてもいいよ」

 ユアンが無邪気に笑うので、葵は自分の言動が別の意味で恥ずかしくなった。今は幼稚なことを言っている場合ではない。とにかくアルヴァを、蘇らせなければならないのだ。

「……分かった、やる。その代わり、茶化さないでよね」

 深いため息をつくと、葵は再びアルヴァとユアンの手を握った。先程出会いのことを思い出したので、そこから順に記憶を辿っていく。

 葵にとってアルヴァは初め、折り合いの悪い協力者だった。アルヴァにとっても、葵の存在は厄介者以外の何者でもなかったのだろう。しかし彼は、彼にしか分からない何かの義務を負っていて、葵を見捨てることだけはしなかった。

(こうして見ると、いつも助けられてきたんだなぁ)

 フロンティエールで幽閉された時も身を挺して助けてくれたのはアルヴァだったし、コレクションとして自由を奪われていた時も真っ先に駆けつけてくれたのは彼だった。葵が知らないだけで、アルヴァは他にも色々と、陰でフォローしてくれていたのだろう。その全てが結果に結びついているわけではないにしても、普通は恋人でもなければ友人でもない相手にそこまで尽くすことは出来ない。自分だったら無理だろうと、思い出を眺めながら葵は思った。

《僕は、足掻くことを諦めた。認めたくなかったものを許容して、張り合いと指標を失った。代わりに得たものは……何だろう》

 映像のアルヴァが過去をにおわせる発言をしているのを見て、それまで黙って葵の思い出を眺めていたユアンがふと口を開いた。

「アル、そんなことまでアオイに話したんだね」

「そんなことって?」

「アルが過去のことを、どう思っているのか。そんな話は僕も聞いたことがなかったよ」

 目線は映像に落としたまま、ユアンは少し口調に寂しさを滲ませながら言った。彼は、アルヴァの過去に何があったのかを知っている。これを機に尋ねてみるべきなのかもしれないと思ったが、葵はけっきょく開きかけた口唇を閉ざしてしまった。しかし気配で察したようで、映像から目を上げたユアンは苦笑いの顔を向けてくる。

「僕の記憶を見たらたぶん分かっちゃうことだから教えるよ。アルの過去を、ね」

「……でも、聞いちゃっていいのかな?」

「アオイはアルのために尽力してくれているんだし、聞く権利があると思うよ。僕の知ってる範囲でのことだけど、しばらく話に付き合ってくれる?」

 躊躇った末、葵はユアンに頷いて見せる。悲しげな笑みを浮かべたユアンは「ありがとう」と言ってから、アルヴァの過去に言及した。






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