校舎の東北にある塔は二階部分の壁面に大穴が開いていて、そこに時計を嵌め込んだらピタリと合いそうだという理由から、葵はこの塔のことを『時計塔』と呼んでいた。扉から内部に入り、階段を使って二階部分に出ると、葵はさっそく携帯電話を取り出す。すると間を置かずして着信音が鳴り、携帯電話がメールの受信を報せた。
(メール、来てる!)
数日前、葵は異世界にいる友人である
(なになに? アルの写メを送れ?)
弥也には再び異世界に戻ることになった理由まで詳細に説明していたので、アルヴァ=アロースミスの名前が出てきたのだろう。すでに携帯電話で写真が撮れることは確認済みだったので、葵は急いで校舎に引き返した。
校舎一階の北辺にある保健室を訪れると、窓際のデスクにアルヴァの姿があった。白衣姿の彼は珍しく眼鏡をかけていて、葵は興味を示しながら傍へ寄る。
「メガネかけてると、やっぱりレイに似てるね」
「僕の女装姿でも思い出した?」
嫌そうな顔をしながら冗談を言うと、アルヴァは眼鏡を外してしまった。彼の一言でフロンティエールでの出来事を思い出した葵は小さく吹き出す。フロンティエールの王子によって幽閉された葵を助けるために、アルヴァは女装して、レイチェルに成りすましたことがあるのだ。
「あ、待って。やっぱメガネかけてて」
「何で?」
葵が突然態度を変えると、アルヴァは怪訝そうに眉根を寄せた。いいから掛けててと促しながら、葵は携帯電話を構える。アルヴァは嫌そうにしながらも、一度は外した眼鏡を掛け直した。
「これでいいの?」
「うん。そのままじっとして、もうちょっと笑ってよ」
「おかしくもないのに笑えないよ」
「じゃあ、せめて真顔で」
アルヴァが真顔に戻ったところで、葵は撮影ボタンを押した。マジスター達は撮影後に鳴り響く音とフラッシュに驚いていたが、アルヴァは動じることなくこちらを見ている。なかなかいい写真が撮れたので、葵は満足して画像を保存した。
「見て見て」
携帯電話の画面をアルヴァに見せると、彼はそこに写りこんでいる自分を見て眉根を寄せた。説明を求められた葵は簡略に、携帯電話の機能について教える。眉間のシワを解いたアルヴァが興味を示したので、葵は他の画像も見せてあげることにした。
「これが、アルが前にケータイで話した友達」
携帯電話の画面に弥也の姿が映し出されると、アルヴァはこの画像が何をしているところなのかと尋ねてきた。クレアと同じ疑問だなと思いながら、葵はカラオケをしているところだと説明する。カラオケがどういうものなのかも補足した後、葵は弥也からメールが返ってきたことを話した。
「それでね、弥也がアルのこと見たいって言うから写真撮ったの」
画像を添付してメールを送るのだと言うと、アルヴァは難解な問題に直面してしまったようで、しかめっ面になった。しかし説明は求められなかったので、葵は話を続ける。
「メガネなしバージョンも撮っていい?」
「……よく分からないけど、ミヤジマの好きにしたらいいよ」
詳しい説明を求めるのは諦めた様子で、アルヴァは素直に眼鏡を外してくれた。せっかくなのでポーズをとらせようと、葵はあれこれと指図をする。アルヴァも応えてくれたので、葵は満足して撮影会を終わらせた。
「アル、どれがいい?」
色々なバージョンの写真を撮ったので、葵は本人の意見も聞こうとアルヴァに携帯電話の画面を向けた。次々に映し出される自分を見て、アルヴァは投げやりな口調で「どれでもいいよ」と言う。それならばと、葵は気に入りの一枚をアルヴァに見せた。
「これなんかいいと思うな。カッコよく撮れてるし」
「……恰好いい? 僕が?」
「うん。アルはさ、レイに似てるからとか言ってるけど、それを抜きにしてもフツウにカッコイイと思うよ」
アルヴァが葵の生まれ育った世界に来たら、間違いなくスカウトか逆ナンパをされるだろう。性格はさておき、彼はそれほどのイケメンなのだ。ただ付き合いが長いせいか、葵はそのことを客観的に捉えていた。だが、それが一般論であっても褒められたことが嬉しかったらしく、アルヴァは珍しく照れた様子を見せている。こんな科白は言われ慣れているだろうと思っていた葵は、アルヴァの見せた変化に驚いた。
「カッコイイって……言われ慣れてるんじゃないの?」
「外面を褒められて騒がれるのは、確かに慣れてるよ。でも、ミヤジマに言われると別だ」
「あ、ああ……確かに、あんまり言わないもんね」
「……そうだね。僕の記憶が定かなら、ミヤジマにそんなことを言ってもらったのは初めてだと思うけど?」
「そうだっけ?」
眉根を寄せて空を仰いだ葵は記憶の糸を辿ったが、すぐにやめた。それを思い出すことに大した意味はないし、アルヴァもすでに平素の雰囲気に戻っていたからだ。
「ま、いいや。じゃあ、行くね」
「あ、ミヤジマ」
「何?」
「今日、クレアは仕事だろう? 夕食を一緒に取らないか?」
「いいよ。外で? うちで?」
「今日は外食にしよう。仕事が終わったら迎えに行く」
「分かった。じゃあ、今日は早めに帰ってるね」
それで話は終わりのようだったので、葵はアルヴァに別れを告げると保健室を後にした。
保健室の扉が閉まり、廊下を歩く音が遠ざかって行くと、気が抜けたアルヴァはデスクに突っ伏した。同時に少しだけ開いた唇から、なんとも言えないため息が零れる。
(あれは、ないだろう)
葵の何気ない言動も、自分の過剰な反応も、だ。冷静になる必要性を感じたアルヴァは体を起こして引き出しを開け、そこから煙草を取り出すと立ち上がった。外では雪が降っていて、窓を開けると凍てついた空気が雪崩れ込んでくる。煙草の煙と共に冷たい空気を吸い込むと、少しは心が落ち着いたような気になれた。
(……僕が恰好いい、か)
葵の目に、自分がそんな風に映っていたことが意外だった。だが、あんな科白を簡単に言えてしまう彼女に大意はない。それは、葵のことが好きだと気付いた時から分かりきっていたことだった。いまさら、彼女は自分のことを『男』としては見れないだろう。
(仕方がない。僕がそうしたんだ)
少し前まで葵との付き合いは義務であり、切りたくても切れないものだった。だからこそ、アルヴァは彼女と一定の距離を置くことを望んでいた。そして葵も、彼女なりの理由からそれに応えていた。良好な付き合いはそういった思惑の上に成り立っていて、それを今更覆すことは難しい。むしろ覆したくないと、アルヴァは思っていた。
聞いた話によると、葵はアルヴァのことを大切な人だと思ってくれているらしい。それが恋愛感情ではなくとも、彼女の心に棲んでいられるのならそれで十分だ。そう思っているのに、それを覆そうと企む人物がいる。ユアン=S=フロックハートだ。
キリルとウィルが葵とデートする権利を賭けて勝負すると聞いた時、アルヴァの心は確かに揺れた。本音を言えば彼らには葵に近付いて欲しくないし、出来ることなら勝負自体をぶち壊してしまいたいとも思う。だがそれをやってしまうと、アルヴァの気持ちは周知の事実となってしまうだろう。そうなればいくら鈍い葵でも、確実に気が付く。そして態度を変えられるのかと思うと、アルヴァには行動に移すだけの勇気がなかった。
(今のままで、いいんだ)
そう、自分のことよりも今は葵のことを考えなければならない。明日は絶対に気が抜けないと思考をすり替えたアルヴァは自分を戒め、煙草の煙を白く空に立ち上らせた。
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