最後の夜

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 太陽が低く傾き、間もなく月と入れ替わる夕刻の時分、王城の大広間には多くの人が集っていた。流れる音楽と共に踊ったり、歓談や飲食を愉しむ人々は皆着飾っていて、一見すると貴族が主催する夜会のように見える。しかしその場には、貴族の夜会では滅多に見ることの出来ない珍しい外見をしている者達の姿もあった。そうした人々が思い思いにくつろいでいる中、やがて音楽が途絶える。大広間の中心で踊っていた者達が脇へ退くと、広間を縦断するように花道が出現した。その道は大広間の入り口である扉から、簡易的に設けられた玉座へと続いている。そこへ、この国のロイヤルファミリーが腰を下ろすのを、集まった人々は粛々と見守った。

「紳士淑女の皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。僕は新郎であるハル=ヒューイット、新婦であるミヤジマ=アオイ、両名の友人であります、ユアン=S=フロックハートと申します」

 衆人環視のなか口火を切ったのは、ロイヤルファミリーと共に会場へ現れたユアンだった。彼は大広間に集まった人々に自己紹介をすると、自分がこの結婚式の進行役であることを告げる。ユアンが立っている場所の傍には予め魔法陣が描かれていて、彼は次に、そちらを手で示した。

「それでは、新郎からご紹介します。ハル=ヒューイットです」

 群衆の注目を魔法陣に向けてから、ユアンは短い呪文を唱えた。それは別室で待機中の新郎を召喚するためのもので、魔法陣が光り輝いた次の瞬間、白の礼服に身を包んだハルが姿を現す。観衆からは盛大な拍手が送られたが、着飾っていてもハルは平素の通り、無表情のままだった。

「ハルから何か、一言ある?」

 ユアンが話しかけてみても、ハルは無反応のままでいる。それを否と判断したユアンはさっさと次の段取りに移った。

「新郎からは特にないようなので、新婦をご紹介します。それでは、ミヤジマ=アオイの入場です」

 ユアンがパチンと指を鳴らすと、会場の明かりがふっと落ちた。反対に大広間の扉から玉座へと続く花道はライトアップされ、風もないのに花弁が舞う。大広間の扉が外側から静かに開かれ、純白のドレスに身を包んだ葵と、その隣に立つローデリックが、会場に姿を見せた。刹那、会場内に小さなどよめきが起こる。濃厚に漂う戸惑いの雰囲気に、ローデリックと軽く腕を組んだまま歩き出した葵は居たたまれない気持ちになった。

(だから止めようって言ったのに)

 結婚式に父親とバージンロードを歩くなどという習慣は、この世界にはない。それなのにユアンが、せっかくだから異世界風の結婚式にしようと言って聞かなかったのだ。葵の父親はこの世界にいないため、たまたまその場にいたローデリックが代役に選出されたのだが、彼は父親役をやるには若すぎる。これではまるで、ローデリックと結婚するかのようだ。

(……あーあ)

 チラリと横を見れば、ローデリックの不機嫌顔がある。決して納得して父親役を引き受けたわけではない彼は、真っ直ぐ前だけを見据えていた。一刻も早く、この恥辱から解放されたい。ローデリックが考えているのは、おそらくその一点のみだろう。

 ユアンが観衆に説明を加えたため、戸惑いはすぐ拍手に置き換わった。しかし葵とローデリックは気まずい空気のまま、一言も交わさずに玉座へと歩を進める。その前にいるハルの所まで辿り着くと、ローデリックはさっさと王族の後ろに回り込んだ。

「異世界の結婚式では、ここで指輪を交換するのだそうです」

 一人だけ楽しげなユアンが再び観衆に説明を加え、その後何故か、王女であるシャルロット=L=スレイバルをエスコートする。ユアンに手を借りて席を立った彼女は観衆に向かってドレスの裾を広げて見せると、同じ仕草を葵とハルの前でもして見せた。何も聞いていなかった葵が首を傾げているうちに、どこかから現れたレイチェルがユアンとシャルロットに小箱を渡す。その中にはそれぞれに、指輪が一つずつ収められていた。

「アオイ、ハル、左手を出して」

 この流れを何を知らされていなかった葵とハルは、ユアンに指示されるがまま左手を差し出した。葵の手はシャルロットが、ハルの手はユアンが、それぞれに取る。そして彼らは、先程小箱から取り出した指輪を葵とハルの薬指に滑らせた。

「……きれい」

 自身の左手を見つめながら、葵は感嘆の息を漏らした。葵の指輪には乳白色の宝石が、ハルの指輪には肉眼で見た太陽のような色彩の宝石が、それぞれに嵌めこまれている。

「ハル=ヒューイットとミヤジマ=アオイに太陽ソレイユリュヌの祝福を。結婚、おめでとう」

 微笑みを浮かべたユアンに続き、シャルロットも小さな声で「おめでとう」と祝辞を述べた。太陽と月は特別な魔法の属性であり、スレイバル王国のロイヤルファミリーにしか、その魔法を使用することは出来ない。それ故、ソレイユとリュヌの名を頂く彼らが授けた指輪は国宝級なのだ。それは国家そのものによる最大級の祝福を意味していて、貴族の子息であるハルは未来の国王夫妻に頭を垂れる。葵にはハルが跪いた意味までは分からなかったが、ユアンとシャルロットが心からおめでとうと言ってくれたことは伝わってきた。

「さて、次はキスだっけ?」

 葵の世界の結婚式は、指輪の交換をしたあと新郎新婦がキスを交わす。ユアンがするかと尋ねてきたので、葵は泣き笑いのような表情になりながら嫌だと答えた。それを受けて、それまで玉座に座していた国王が席を立つ。

「皆の者、これにて二人は夫婦となった。彼らは明日、異世界へと旅立つ。共に過ごす最後の夜を、各々堪能してもらいたい」

 国王の言葉は閉会の挨拶で、その後はパーティーの流れとなった。花道が取り除かれた大広間では再び、観衆によるダンスや歓談が始まっている。そんな中、葵とハルはこれで退席するロイヤルファミリーと最後の言葉を交わしていた。

「あの、ありがとうございました」

 シャルロットは明日の見送りにも来てくれるため、まだ最後の別れではない。そのため葵はまず、国王と王妃に向かって頭を下げた。国王がそれを、片手を上げて制する。低頭した葵に姿勢を正すよう促してから、国王は口を開いた。

「そなたの存在は我国に新たな歴史を作った。ユアンの治世には、現在よりもさらに多種族が交流を深めていることであろう。悠久なる歴史の転換点に立ち会えたこと、嬉しく思う」

 葵がこの世界に召喚された当初、異世界からやって来たヴィジトゥールと呼ばれる者達は収集の対象だった。その収集家コレクターの筆頭が、この国の王族達だったのである。葵も一時期は収集品として軟禁されたりもしたが、ユアンに説得された国王がそうした者達の解放令を出してくれたため、時代が変わった。そういったことを思い返した葵は改めて、色々なことがあったなと胸中で呟きを零した。

「わたくしからも祝辞を述べさせていただきますわ」

 国王が口を閉ざした後、言葉を紡いだのは王妃だった。彼女は彼女なりの理由で葵が帰還することを反対していたのだが、今となってはもう、その意見は持ち合わせていないらしい。うっとりするような表情で、王妃はハルに語り掛ける。

「此度の英断と、それに伴う貴方の行動は実に御立派でした。貴方達は新たな愛の形を示して見せたのです。それは後世まで、末永く語り継がれることでしょう」

 その発言を聞き、葵はようやく王妃の人となりが見えたような気になった。支配者に必要なのは魅力なのだと言ってみたり、女の最大の幸福は殿方に愛されることだと断言したりする彼女は、要は誰よりもロマンチストなのだ。もしかしたら国王とも、燃え上がるようなロマンスがあったのかもしれない。葵がそんな妄想をしていると、ハルとの話を終えた王妃は娘に視線を転じた。

「ですが、シャルロット。貴女にとってアオイさんは初めてのお友達。寂しいのではなくて?」

 王妃の問いかけに対し、シャルロットはすぐに首を横に振った。これは彼女にしては珍しいことで、その反応速度に驚いたのは葵だけではなかったようだ。王妃も目を丸くしながら、どうして寂しくないのか問いを重ねている。それに対しシャルロットは、葵の左手を指差して見せた。

「いつも、一緒」

 シャルロットに指差された葵は自分の手を持ち上げてみて、そこに煌めく光で彼女の言っていることを理解した。この指輪が葵の手にある限り、心はいつも共にある。きっと、そういうことなのだろう。

「シュシュ……ありがとう」

 葵が思わず抱きしめると、シャルロットも葵の背中に腕を回してきた。その横で、ユアンがハルに顔を傾ける。自分達も抱き合ってみるかとユアンがハルに提案していたが、ハルは横目でユアンを見ただけだった。もう少し反応をくれないと分からないとユアンがぼやいているのを聞いて、葵は笑いながらシャルロットを解放する。その後、ロイヤルファミリーとは挨拶を交わして別れたのだが、ユアンとレイチェルはその場に残ってパーティーの裏方をやってくれると言っていた。そちらは任せることにして、葵とハルは親しい人達に別れを告げるため、招待客の中に身を投じたのだった。






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