最後の夜

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 結婚式が終わって王族が退室した後、葵とハルは招待客への挨拶回りを始めた。まず向かったのは、ハルの家族の許である。彼らは玉座に程近い親族席にいたため、葵とハルはその場で話をすることにした。

「楽しい式だった。おめでとう」

「ええ、本当に。二人とも、おめでとう」

 初対面の時から常にニコニコしていたハルの両親は、結婚式が終わっても笑顔のままだった。明日の見送りには来ないという彼らは、これが息子との別れになるのだ。それなのに一切の哀愁を感じさせない姿は何かがおかしい。今更ではあるが尋ねておいた方がいいかと、葵は意を決して口火を切った。

「あの、どうして反対しなかったんですか? 普通なら、してますよね?」

 葵とハルはただ結婚するだけではない。葵はハルの両親から、息子を永遠に奪って行くのだ。普通の結婚であっても相手が気に入らなければ反対する親がいるのに、彼らは葵の人となりを確かめることさえしなかった。今もまた、彼らは不躾な質問にも笑みを絶やさない。そして柔らかく、答えを口にした。

「ハルが連れて来たお嬢さんだからね。反対する理由は何もないのだよ」

「ハルは口数の少ない子ですから。自身の内で決していることしか言葉にはしないのですよ」

「それに、貴女はフレデリカが認めたお嬢さんだ。ヒューイット公爵家の当主が認めたのだから、わたし達に異論はない」

「……当主?」

 ヒューイット夫妻が意外なことを言ったので、葵はハルの姉であるフレデリカ=ヒューイットを振り向いた。その視線を受けて、フレデリカは頷いて見せる。

「公爵の称号は既に私が継いでいます。ハルから聞いていなかったのですね」

 てっきりハルの父親が公爵だと思っていた葵は、そうだったのかと納得した。両親よりも姉の方が関門だったわけだが、その課題はすでにクリアしている。フレデリカが見た目通りの人でなくて良かったなどと葵が考えていると、ハルが不意に口火を切った。

「化粧、崩れてる」

 フレデリカの顔を見た時から、実は葵も気づいていた。普通ならば相手の心中を察し、わざわざ口にするまでもないことを、ハルは平然と言ってのける。顔を指差されたフレデリカが慌てて背を向ける横で葵はあんぐりと口を開けていたのだが、この場合、『普通』でないのは葵の方だった。

「式の最中、フレデリカもよく笑っていたからね」

「ええ、本当に。面白い結婚式でした」

 ヒューイット夫妻がニコニコと語り合っているのを耳にして、葵は先程とは別の意味で呆気に取られた。それはつまり、面白い見世物だったということだろうか。確かに感動的な結婚式とはいかなかったかもしれないが、涙が出るほど笑われるものでもなかったはずだ。

(なんか、ハルの家族って……)

 何も考えていないわけではないが、何を考えているのか分からない者達の集まりだ。彼らは常識から外れすぎていて、ちっとも別れを惜しむ空気にならない。だが、しんみりしてしまうよりは笑って別れた方がいいのかもしれないと、葵は密かに苦笑を浮かべた。

 化粧直しが終わって振り返ると、フレデリカは厳粛な雰囲気を取り戻していた。場の空気を取り繕うための咳払いをしてから、彼女は改めて言葉を紡ぐ。

「私達は明日の見送りには行きません。ハル、最後に何かありますか?」

「別に、何も」

「そうですか。では、残された時間は友人達と愉しむといいでしょう」

「はい」

 事務的な会話を最後に、ヒューイット姉弟は話を切り上げる。平素の別れのように「じゃあ」と手を振って、ハルは家族との別離を済ませた。それを笑って見送る両親も、手を振り返さないフレデリカも、彼ららしい。短い付き合いだがそう思って、葵は彼らに一礼してからハルの後を追った。

 ハルの家族と別れた後、葵はハルと二人で招待客への挨拶回りをするのだと考えていた。だが親族席から大広間に下りた途端にとある人々が一気に押し寄せてきて、彼らに馴染みのなかったハルは一人で姿を消してしまう。周囲を取り囲まれていたためハルを追える空気でもなく、まあいいかと思った葵は集団の方へ意識を傾けた。

「みんな、来てくれたんだね」

 葵が微笑みながら声をかけたのは、この世界の『人間』とは少し違った姿をしている者達だ。獣耳や尻尾を生やしている彼らは異世界からやって来た者や、その子孫達である。彼らと会うのは、以前にこの大広間で開かれた親睦会以来だった。口々に祝福の言葉を繰り返す『仲間』達に、葵は少し声を押さえて語り掛ける。

「あれから、どう?」

 ここにいる者達と葵は、かなり特殊な状況下で出会った。ヴィジトゥールがコレクション扱いされていた頃、彼らは葵と同じく身の安全を脅かされている状態だったのだ。すでに解放令は下されているが、その後の暮らしはどうなのだろう。そうした葵の意図を察した彼らは、口々に自分のことを話し出した。その話を聞く限り、ここにいる者達は望むように生きられているようだ。中には王都に住んでいる者もいると聞き、時代の流れを感じた葵は感慨深く思った。

「そっかぁ。良かった」

「この世界を変えてしまっただけでなく、今度は別の世界に生まれた者を自分の世界へ連れ帰ろうなんてね。やっぱり、あなたはすごいわ」

「……うん?」

 突然聞き覚えのある声が聞こえてきて、眉根を寄せた葵は周囲を窺った。目が合った誰もが自分ではないと首を振る中で、その少女は人々の間からゆっくりと姿を現す。狐の耳と尻尾を生やしている彼女は葵にとっても他の者達にとっても、単純に再会を喜ぶことの出来ない相手である。見つけた刹那、葵は指を差して叫んでしまった。

磨壬弧まみこ!」

「やっほー。久しぶり」

 軽いノリで話しかけてきた磨壬弧は顔の横でヒラヒラと手を振っている。彼女は葵達と同じく追われる立場でありながら、同類を狩るハンターをしていた。磨壬弧に騙されて、葵はコレクションとして収集された過去がある。しかし、その一件を契機として、ここにいる者達の扱いが変わることとなったのだ。恨んではいないが、まさか彼女まで来ているとは思わず、どう言葉を紡げばいいのか分からなかった葵は困ってしまった。

「えっと、とりあえず、来てくれてありがとう?」

「無理しなくていいわよ? アタシのこと、許したわけじゃないんでしょう?」

「うーん、どうなんだろう? 今更って感じだし、もうどうでもいいのかも」

 葵が素直な気持ちを言葉にすると磨壬弧は目をパチクリさせた後、突然笑い出した。

「あなた、本当にすごいわ。尊敬しちゃう」

「……バカにしに来たの?」

「まさか。アタシはただ、少しでも恩返し出来たらいいなと思って来たのよ」

 そう言うと、磨壬弧は何かを差し出してきた。受け取ってみるとそれは真四角の物体で、一つの角にスイッチのような物がある。押してみると、その物体は空中にある人物の姿を浮かび上がらせた。入り江のような場所で岩礁に腰かけている人魚は、名をレムという。彼女は魔法に頼らず二つの顔を使い分ける女なのだが、映像のレムは若い女性の姿をしていた。

「レム……」

 レムの姿を目にして喜びを感じた葵は、頬を緩ませながら独白を零した。どうやら通信魔法のようで、破顔したレムは久しぶりと応える。

『招待状は受け取ったのだけれど、そちらに行けなくてごめんなさいね』

 葵と同じく王女のコレクションハウスで生活していた時、水生生物であるレムはずっと水槽の中にいた。彼女に窮屈な思いをさせたくなかった葵は首を振って、気にすることはないと伝える。こうして顔を見られただけで、十分だ。そうした気持ちを言葉にすると、レムは笑みを浮かべたまま話を続けた。

『話は聞いているわ。生まれ育った世界に、帰るそうね』

「うん、そうなんだ」

『ヨーコと同じ、世界ね』

 レムが口にしたヨウコという女性は、かつて葵と同じ世界からやって来た異世界人である。彼女についてレムに伝えることのあった葵は、実はヨウコに会えるかもしれないことを説明した。初めは瞠目しながら話を聞いていたが、そのうちにレムは遠い目になる。

『そう……ヨーコは別の世界で幸せを手に入れたのね』

 レムがヨウコと出会ったのは、今から千年以上昔のことである。歴史の生き証人である彼女は、世界の壁に隔てられた恋人達の苦悩を目の当たりにしているのだ。独白を零したのは、当時に思いを馳せているからだろう。その気持ちを汲んで、葵は言葉を次いだ。






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