Loose Knot

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本当のところは


 終了式の後に二年生最後のホームルームを終えたマイは名残を惜しむ暇もなく教室を出た。向かう先は貴美子のクラスである。その理由は、貴美子が心を決めたからだった。

 貴美子のクラスに顔を出したマイは、すぐに彼女と目が合った。鞄を持って戸口へ来た貴美子の表情はすでに硬い。彼女がガチガチに緊張していることを見て取ったマイは励まそうと思って話しかけた。

「キミちゃん、しっかり」

 貴美子は頷いただけで口を開くことはしなかった。マイは貴美子の様子に気を配りながら歩き出す。久本が指定してきた場所は、件の特別教室だった。

 マイと貴美子は下校する人波に逆らって進み、別校舎の特別教室に辿り着いた。その間、一言も口をきいていない貴美子の表情はいよいよ強張っている。だがマイにはどうしようもなかったので、声をかけることはせずに扉を開けた。

 教室内にはすでに久本の姿があり、制服姿の彼は窓辺に佇んでいた。久本の姿を目にした貴美子の足が止まってしまったので、マイは抱えるようにして室内に侵入する。久本は固まっている貴美子を一瞥した後、マイに顔を傾けた。

「準備室を使おうと思ってたんだけど、今日は鍵が開いてなかった」

 そう言い終えた後、久本は戸口を指す。意味が分からなかったマイは首を傾げた。

「何?」

「あそこで見張ってて」

「はあ?」

「誰か来たらイヤじゃん。ってことで、倉科は出てった出てった」

 久本は軽く手を振り、マイに退出を促した。久本の態度にはムッとしたが他人の告白に同席するほど野暮ではないので、マイは大人しく従う。不安そうな表情の貴美子と目が合ったので、マイは握りこぶしを掲げて見せてから特別教室の外に出た。後ろ手に急いで扉を閉め、マイは門番のように仁王立ちになる。しかし廊下には人気がなかった。

(大丈夫かなぁ、キミちゃん……)

 盗み聞きをするつもりはなかったが、心配になったマイは扉を振り返った。しかし廊下からでは教室内は見えない。小声で話しているのか扉が厚いのか、声も聞こえてこなかった。

 マイはソワソワしながら廊下に佇んでいたのだが、久本と貴美子はなかなか姿を現さなかった。そもそも、告白というものにはどのくらい時間がかかるのか。未経験者のマイには予測がつかなかった。

(……それにしても、長くない?)

 ソワソワを通り越して落ち着いてしまったマイは廊下の壁に背を預けてしゃがみこんだ。目前にある特別教室の扉は、まだ開く気配がない。

(もしかして……うまくいって盛り上がっちゃってんのかな)

 そんなことを考えて苦笑したマイはふと、あることに思い当たった。

(ダメだったら……キミちゃんに何て言おう)

 この告白は言わば、マイと久本が貴美子を追いつめた結果である。半ば強制とも言えなくない代物であり、駄目だった場合のことを思うとマイは焦りを覚え始めた。

(うーわー、自分のことじゃないのに緊張するよ)

 マイが再びソワソワし始めた次の瞬間、特別教室の扉が開いた。まず姿を現したのは久本であり、その後ろから貴美子が続く。廊下に出てきた貴美子の顔を見た刹那、マイは頬を引きつらせた。貴美子の目は真っ赤で、泣いた後であることを如実に物語っていたからである。

(うわぁ……どうやって慰めよう)

 ため息をつきたいのを堪え、マイは無表情に努めて久本を見た。しかし久本は、けろりとしている。

「悪いな、待たせて」

 ただ侘びを入れただけで、久本は告白の行方については何も言わなかった。マイは無言で首を振った後、貴美子に向き直る。

「帰ろうか、キミちゃん」

 マイはただ、貴美子を久本の前から連れ去ってあげたい一心でそう言った。しかし赤い目をしている貴美子はマイから視線を外し、久本を仰ぐ。貴美子の視線を辿ったマイは不可解に首を傾げた。久本はマイの反応を面白がっているように、ニヤリと笑って見せる。

「こーゆー訳だから。悪いけど、一人で帰ってくれる?」

 久本は不敵な笑みを浮かべたまま貴美子の肩を抱く。マイは目を剥き、貴美子は頬を赤らめて顔を伏せた。

「ええーっ!? マジで!?」

 しばらくの後、すっかり人気のなくなった廊下にはマイの叫びが響いたのであった。






 久本たちと別れた後、鞄を置きっぱなしだったマイは一人で教室に向かっていた。廊下にはもう生徒の姿もなく、校舎内は静まり返っている。しかし他人の幸せを分けてもらったマイの気持ちは弾んでいた。

(キミちゃん、良かったねぇ。後で朝香にも教えてあげよう)

 フラフラと歩いていたマイは、そこであることを思い出した。もう目前だった教室に慌てて駆け込み、壁にかかっている時計を確認する。時刻はすでに午後一時を回っていた。

(うわぁ……もう始まってるよ)

 マイ達のクラスは終了式の後、近くのファミリーレストランで食事会をすることになっていた。マイは朝香と一緒に行く約束をしていたのだが、何も言わずにすっぽかしてしまったことになる。朝香が怒っているだろうなと思いながら、マイは鞄の中にある携帯電話を確認しようとした。そこで初めてユウの姿を見つけたマイはあ然として立ち尽くす。マイの注意力が散漫だったのも否めないが、ユウは自分の席で静かに寝息を立てていた。

(……ありえない。誰も起こしてくれなかったの?)

 ユウは年がら年中、眠っている。帰りのホームルームが終わったことに気がつかないほど深い眠りに落ちている時もあり、そういった時は隣の席に座っているマイが声をかけるのだ。しかし今日は、マイが声をかけることをしなかった。それにしても、誰も声をかけてあげないとは薄情である。

 ユウの隣に座っていられるのも今日が最後だったので、マイは先のことを考えてため息をついた。いつものように起こそうとしたマイは、ユウが動いたので手を止める。

 机に突っ伏して寝ているのが苦しかったのか、ユウはマイのいる方に顔を傾けた。しかしその目は閉じられており、腕を枕にしている体勢にも変わりがない。なにより、呼吸が規則的なままだった。

(あーあ、気持ち良さそうな顔しちゃって)

 きちんと窓が閉められている教室内は春の柔らかな日差しで暖められている。寝床は硬そうだが陽気は、確かにいい。マイは起こすのをやめ、音を立てないようにしながら自分の席に座った。

(こうやって隣の席から見るのも、最後かぁ……)

 マイは進級に特別な感慨を抱いてはいなかったが、ユウの寝顔を見ていると少し名残惜しくなってきた。寂しい思いがこみ上げてきてしまったので、マイは腕を伸ばしてユウの体を揺する。

「ユウ、起きなよ」

 それまで気持ち良さそうにしていたユウは顔を歪め、マイの手を跳ね除けた。ユウは反対側へ顔を背けたが、いつものことなのでマイは気にしない。幾度か揺すっているうちに、ユウはようやく頭を上げた。

「……なんだよ」

「何だよ、じゃないよ。いつまで学校で寝てるつもり?」

「学校……?」

 まだ寝ぼけた顔をしているユウは周囲を見回し、ようやく事態を悟ったようだった。ユウののんびりさに呆れたマイは大袈裟にため息をつく。

「三年生になってからが心配だよ。誰か起こしてくれる人、見つけなよ?」

 マイが言い聞かせるように言うとユウは妙な表情をした。見咎めたマイは首を傾げたのだがユウはすぐ、真顔に戻る。マイから視線を外し、正面を向いたユウは帰り支度をしながら口火を切った。

「マイは、何してたんだ?」

「えっ? あー、うん、ちょっとね。それよりユウ、クラス会は行く?」

「行かない。帰って寝る」

「……最後くらい行こうよ」

 一度家に帰るつもりだったマイはユウと一緒に教室を出た。人気のない廊下を並んで歩きながら、マイは久本から聞いた話を思い出してユウを振り向いた。

「ねえ、ユウ。松丸さんにお返し、あげたんだよね?」

「その話はもう、いい」

 ユウがこれほどまでにはっきりと拒絶を示したのを、マイは初めて目の当たりにした。二の句が告げられなくなったマイはぽかんと口を開ける。ユウはマイを一瞥したが、それ以上は何も言わなかった。

(何で?)

 色々な思いがごちゃ混ぜになったマイの頭には、その一言しか浮かんでこなかった。そうして何となく気まずさを残したまま、マイとユウは無言で家路を辿ったのだった。






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