Loose Knot

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ターニングポイント


 夜になってもあまり気温が下がらなかったため、日中の日差しで熱された家の中からはこもった熱が出て行かないまま居座っていた。加えて夕食がカレーだったため、汗だくになって食事を終えたユウとマイは涼を求めて倉科家の縁側へと移動した。マイが出してくれた冷たい麦茶と団扇で体を冷ましていても、風がないので風鈴は揺れてくれない。それでも霞みがかったような夏の夜空を仰いでいると少し風流な気がして、ユウは悪くないなと呟いた。

「悪くないって、何が? カレー?」

 力強く扇ぎすぎて逆に汗を滲ませているマイが熱帯夜にうんざりした様子で顔を傾けてくる。ユウはすぐさま首を振り、カレーは美味かったと伝えた。

「夏の夜って感じがするから」

「あー、そう言われてみればそうかもね」

 まだ諦めずに団扇で風を送っているマイが、前髪をはためかせながら空を仰ぐ。隣家に遮られてあまりよくは見えないが、ユウもマイと同じように狭い夜空を見上げた。その体勢のまま、ユウは口火を切る。

「聞いてもいい?」

「ん〜? 何を?」

「恋愛するとどんな感じ?」

 気怠そうな動作で麦茶を口に運びながら話に応じていたマイは、ユウが放った一言によりむせてしまった。ゲホゲホと苦しそうな咳をしているマイを見つめ、ユウは彼女が落ち着くのを待つ。ひとしきりむせた後、マイは涙目を向けてきた。

「いきなり、何?」

「ちょっと、聞いてみたくなったから」

 ユウが真意を明かしても、マイは眉根を寄せたまま訝しそうな表情をしていた。だが頑なに拒む気もないようで、彼女はぽつりぽつりと話を始める。

「最初はね、楽しかったんだよ。スカート短くしたり化粧したりするとセンパイがカワイイって言ってくれてドキドキした。センパイにカワイイって言ってもらいたくて、近付きたくて、ダイエットとかもしてたんだよ」

 その頃は本当に楽しかったようで、マイの口調や表情は明るかった。だが付き合ってからの話となると、彼女の表情は暗いものになっていく。

「でも付き合ってみたらすごい束縛する人で、同じクラスの男子と喋ってるだけでも文句言われたりとかしてさぁ。そのくせ自分は女の子と仲良くしてるんだよ? 信じらんないよね」

 マイの声音はいつしか憤りを含んだものに変わっていたが、彼女から直接別れの真相を聞かされたユウは内心で胸を撫で下ろしていた。マイの友人である朝香は別れの原因がユウであるかのように言っていたが、それは誇張だったらしい。

「メールも電話もしょっちゅうで、返さないと怒るし。そういうのがイヤになって別れたの」

 そこで、マイの話は終わった。朝香から又聞きの情報を聞かされた時は違和感を覚えたものの、マイ本人から経緯を聞くと彼女の気持ちの移り変わりがひどく自然なことのように思え、ユウは小さく頷いて見せた。

「ユウ、恋でもしたの?」

 今度はマイが突拍子もない言葉を投げかけてきたのでユウは掌で弄んでいた団扇を取り落としそうになった。何故そうなるのかと、ユウは訝りながらマイに視線を移す。ユウが困惑顔をしたことで、マイは図星なのかと笑っていた。

「ユウが恋、ねぇ……」

 おかしそうに独白した後、マイは顔を背けて吹き出した。失礼極まりないマイの態度に、それはマイも同じだとユウは胸中で文句を零す。それから改めて、マイの邪推を否定してみせた。

「そんなんじゃない」

「ふうん。だったら何で、急に恋愛がどうとか言い出したの?」

 何かあったんでしょと、マイは言う。何かがあったのは確かだったが、ユウはむっつりと閉口した。

「ユウ、怒った?」

 自分から軽口を叩いておきながらマイが不安げな顔をして覗き込んでくるのでユウは嘆息する。すげない言い方ではあったが、ユウが「怒ってない」と言うとマイはホッとしたような顔をした。

「でもさぁ、ユウに彼女ができたらちょっと複雑かも。お兄ちゃんの結婚式の時みたいな気分になりそう」

「見ちゃいけないものを見た気分?」

「うん、それそれ。よく覚えてたね、ユウ」

「マイに彼氏ができた時、俺もそう思ったから」

「ふーん」

 適当に相槌を打っていたマイは少しずつ眉根を寄せ、やがて妙な表情になってユウを振り返った。

「それ、どういう意味?」

「……さあ?」

 答えになっていない返事を置き去りに、ユウはまだ妙な表情をしているマイを残して立ち上がった。背後ではマイが「言い逃げ!」と叫んでいたが、ユウは気にすることなく玄関から倉科家を後にする。

 小学三年生の時にユウがこの地へ越してきてから始まったマイとの関係は、初めは『ご近所さん』だった。それが知らないうちに変化をし続け、同窓生も友人も通り越して、いつの間にか『家族同然』となっていたのだ。居心地のいい今の関係も、月日が経てばまた変わっていくかもしれない。漠然とした予感のようにそう感じたユウは自然にそうなっていくのならそれもいいと、一分足らずの短い帰路をのんびりとした歩調で辿ったのだった。




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