二月の浮かぶ世界

BACK NEXT 目次へ



「魔法とは先人達の知識の結晶。この世界で生を受けた者に受け継がれる潜在的な血の力です」

 そんな言葉で話を切り出したレイチェルは、これが魔法の大前提なのだと語った。興味をそそられた葵はさっそく横から口を出す。

「潜在的な力ってことは、私には使えないってことですか?」

「どうでしょう。それは、後で試してみましょう」

 何分、異世界の人間が召喚されたのは葵が初の事例である。別の世界に生を受けた者がこの世界に受け継がれている魔法を使うなどということは葵の存在がなければ思いも寄らなかったことなのだ。レイチェルは葵の発案に興味を示していたが、ひとまずは話を続けた。

 魔法は自然界のエネルギーと人的な力が融合することで発動する。そのため魔法には火・水・土・風の属性が存在するのである。この四属性に加え、魔法には無属性というものも存在する。ユアンが雪原で火を発生させたのは火属性の魔法、転移や物を動かす魔法は無属性に分類されるのだ。そこまで話を聞いた葵は再び口を挟んだ。

「人的な力って?」

「魔法書や魔法陣、呪文なんかのことだよ。それこそが先人達の知識の結晶なんだ」

 ユアンが誇らしげに教えてくれたが、その答えは魔法というものをよく知らない葵には抽象的すぎた。うまく呑み込めなかった葵が首をひねっていると、レイチェルがすかさず助け舟を出す。

「魔法は、魔法書や魔法陣といった魔法道具マジックアイテムがないと使うことが出来ません。それらのアイテムがわたくし達の血に宿る魔力と自然界の力を融合させるのです。故に魔法書や、それに記されている魔法文字自体が先人達の知識の結晶なのです」

「ああ、なるほど。よく解りました」

「……わたくしが疑問に感じているのは、そこなのです」

 レイチェルが眉根を寄せたので、葵とユアンは首を傾げた。レイチェルは手にしていたカップをソーサーに置き、改めて葵を見る。

「貴方がいた世界には魔法が存在していない。それなのに、アオイは魔法の概念を理解しているように思えます。何故ですか?」

「え、ええっと? どういうことですか?」

「先程の説明、わたくしは理解が及ばなくても仕方がないと思って話していました。貴方の世界には魔法がないのですから、魔法に付随する事柄など解らないことだらけでしょう。それなのに、アオイは先程の説明で理解してしまいました。呑み込みが早すぎるのです」

 レイチェルが何を気にしているのか理解した葵は納得して頷いた。その理由にもすぐに思い当たったので、葵は簡単なことのように答えを口にする。

「それはですね、魔法や魔法陣っていう単語はファンタジー小説でよく見かけるからです。レイが今話してくれたようなことも、小説の世界では珍しくないんですよ」

 本が好きな葵は今までに読んだファンタジー小説の世界観を事例として聞かせた。中には実際に魔法が存在するこの世界よりも壮大なものもあったのだろう、レイチェルとユアンは目を剥いている。二人はしばらく呆然としていたが、ユアンより先に我に返ったレイチェルがメガネのブリッジを人差し指で押し上げた。

「実際に目にしたことのない世界を創り上げるなんて……アオイの世界の人々は感受性豊かなのですね」

 葵がいた世界には事実は小説よりも奇なり、という言葉がある。だがやはり、現実は逆のようである。むしろそれが普通なのだと思った葵は考えこんでしまったが、ユアンの興奮した声が静寂を破った。

「すごい、すごいよ! もっと聞かせて、アオイ」

 ユアンはテーブルの上に置いた手を握りしめ、葵に向けている瞳をキラキラと輝かせている。しかし葵には何がすごいのか分からず、また何を話せばいいのかも分からなかった。

「ユアン様、そういったお話はまたの機会にいたしましょう。彼女に処遇をお伝えしなければなりませんし」

 レイチェルが介入したおかげで話が元に戻ったが、葵は彼女が発した『処遇』という言葉に不穏な気配を感じ取った。

「あの、処遇って……?」

 葵が恐る恐る尋ねると、レイチェルは答えずに席を立った。ユアンに目配せをした後、レイチェルはここで待っていろと言い残して去って行く。葵は扉が閉まるまでレイチェルの背を見送ってからユアンを振り向いた。

「ねえ、どういうこと?」

「アオイにはトリニスタン魔法学園に編入してもらうことになってるんだ」

 突如ユアンから聞かされた決定事項に葵は耳を疑った。

「学校って……何で?」

「アオイが友達欲しいかなぁと思って」

「元の世界に戻れば友達いるから。そんな気を遣うくらいなら早く帰してよ」

 ユアンがあまりにもアッサリしているので葵は忘れていた怒りが蘇ってくるのを感じた。もとはといえば全ての元凶はユアンであり、本来ならばこんな場所で仲良くお茶をしている場合ではないのだ。

「大体、ユアンが私を呼んだんでしょ? だったら私が帰る方法も分かるんじゃないの?」

「それが、分からないんだ。ごめん」

「帰し方が分からないのにどうして呼んだのよ。無責任じゃない」

「だって、まさか成功するとは思わなか……あっ」

 まずいことを口走ったとばかりに、ユアンは慌てて口をつぐんだ。葵が口元を引きつらせるとユアンは席を立って頭を垂れる。

「絶対にアオイが帰れる方法を探し出すから、許して」

 顔を上げたユアンは必死の形相をしていたが、今度ばかりは葵の怒りも治まらなかった。一歩間違えば世界の狭間を彷徨うという危険な目に遭わされていたことを思えば冗談では済まされない。

「……許して、くれそうもないね?」

「当たり前でしょ!」

 葵が怒鳴り散らすとユアンはイスに座りながらため息をついた。その仕種がわざとらしかったのでカチンときた葵はユアンを睨み見る。すると葵の横に座っているユアンは先程までの子供らしい彼とは打って変わって、大人びた表情になっていた。

「まあ、普通は許さないよね。アオイの気持ち、分かるよ」

「なっ……!」

 何を他人事みたいにと、葵はユアンを罵りたかった。しかしあまりの豹変ぶりに驚きが隠せず、憤りがまともな言葉にならない。ユアンはふてぶてしい態度のまま、一方的に話を続けた。

「でもさ、帰れないものは帰れないんだよ。ジタバタしてもしょうがないと思わない?」

「あんたに言われたくない!」

「それもそうだね。僕に非があるのは確かだし」

 怒りを煽る真似をしたと思ったら、今度は自分の非を認めて宥めすかす。そうしたユアンのテクニックにはめられた葵は一気にテンションを落とされていた。

「……もう、いい」

 怒ることさえバカらしくなってしまった葵はすっかり温くなってしまった紅茶を一息に干した。カップをソーサーに戻し、席を立ってベッドに身を投げる。どっと疲れが出た葵はうつ伏せに倒れたまま目を閉じた。

「アオイ」

 ベッドのスプリングが軋んで、耳元で囁くような優しい声がした。声の主はユアンだが、十歳ほどの見た目に反してその響きは甘い。葵が顔だけ傾けるとユアンは彼女の髪を一房手に取り、口唇を寄せた。

「何してんの!?」

 驚いた葵は悲鳴を上げて跳ね起き、ベッドの上で後ずさってユアンから体を遠ざけた。ユアンは真意の読めないにこやかな笑みを葵に向けている。

「機嫌、直った?」

 身構えていた葵はユアンの一言に色々な意味で絶句した。葵から怒気も気怠さも吹き飛んだことを見て取ったユアンは平然と話を戻す。

「学園には良家の子供しかいないから大丈夫だよ。アオイには一人暮らしをしてもらうことになるけど、不自由はさせないから安心して」

「一人、暮らし?」

「うん。ちょっと事情があって、アオイをこの家に置いておくことは出来ないんだ」

 口調は柔らかかったがユアンの言葉には突き放すような響きがあった。キスの驚きも覚めるほどの心細さに襲われた葵は微かに眉根を寄せる。細微な変化を感じ取ったのか、ユアンは不意に葵の手を握った。

「大丈夫、アオイならきっと友達ができるよ」

 重なり合った手を見つめたまま、葵はユアンの励ましを複雑な思いで聞いていた。今の科白も一見すると優しそうに思えるが、自身のことに言及しないユアンが言っていることは『自分で何とかしろ』ということに他ならない。暖かな手とは裏腹にまたしても突き放された葵は唇を噛みしめた。

(何で、私がこんな目に……)

 ユアンには告げる気にならなかった思いを、葵は胸中で呟いた。






BACK NEXT 目次へ


Copyright(c) 2009 sadaka all rights reserved. inserted by FC2 system