マジスター

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「……また?」

 保健室に入って来た葵の顔を見るなり、アルヴァは眉根を寄せながらそんなことを言った。両手を顔の前で合わせた葵は拝むようにしながら、デスクにいるアルヴァに歩み寄る。

 マジスターの一件を機に、それまで浮いた存在だった葵もようやくクラスに馴染み始めた。お嬢様ぶることに慣れてきたこともあり、近頃では積極的に会話にも参加している。クラスメートと仲良くなるということは必然的に出かける機会が増えるということであり、お金も指輪リングの魔力も消費が激しくなっていた。

「昨夜試してみたんだけど、空になっちゃったみたいなんだよね」

 この世界の生まれではない葵には魔法が使えない。葵が魔法を使うには、アルヴァの魔力をこめたリングが必要なのである。リングには一定量の魔力しか留めておくことが出来ないので、魔法が使えなくなると葵は保健室を訪れるのだ。

 葵にお願いされたアルヴァは小さく息を吐き、席を立った。彼は無造作に、葵が差し出した右手をすくい取ってリングに口唇を寄せる。初めの頃は驚いたものだが日常茶飯事になってくると慣れたもので、葵は指にキスを落とされる光景を無感動に眺めていた。

「ありがと、アル」

 アルヴァが顔を上げると魔力の補充は終わりなので、葵はすぐに右手を取り返した。アルヴァは再び椅子に座り、デスクの引き出しから煙草を取り出しつつ葵を見上げる。

「その分だと、カードの請求もえらいことになってそうだね」

「アルが言ってた交際費がかさむって、本当だったんだね」

 葵自身は高望みをしないが、彼女の周囲が高級嗜好なので必然的に交際費がかさむのである。しかし実のところ、この世界の金銭感覚が分かっていない葵にはどの程度の出費をしているのか把握することすら出来ていなかった。せいぜい、アルヴァの小言を聞き流しながら何となくお金を使っているのだと思う程度なのだ。

「まあ、不自由させないって約束したんだから好きに使えばいいよ。ミヤジマが楽しそうで何よりだ」

 煙を吐いて後のアルヴァの科白は、至って他人行儀なものだった。自身の財産が浪費されていることにも無頓着なアルヴァの物言いはどこか無責任であり、そこから派生した別の不安を抱いた葵は眉根を寄せる。

「アル、私が元の世界に帰る方の話は?」

「レイチェルから連絡がないからまだなんじゃないの? そっちは僕に責任ないし、知らないな」

「ひどい! 無責任!!」

「だから、僕に責任ないって言ってるでしょ。文句ならユアンに言いなよ」

「だったらユアンの所へ連れてってよ」

「うーん、それは出来ないね」

 文句はユアンに言えと言っておきながら、アルヴァの答えは即答だった。葵はさらなる文句をぶつけようとしたのだが、その前に煙草を揉み消したアルヴァが席を立つ。対峙したアルヴァが真顔のまま見つめてくるので葵は反射的に身構えた。

「な、何?」

「そんなに言うなら忘れさせてあげようか?」

 ニヤリと笑った後、アルヴァは強引に葵の腕を引いて抱き寄せた。シャンプーなのかコロンなのか、えもいわれぬ香りに包まれた葵はあ然とする。しかし次の瞬間にはハッとして、葵は慌ててアルヴァの体を押し返した。

「何すんのよ!!」

 顔を真っ赤にした葵が遠ざかりながら声を荒らげても、アルヴァは平然としている。

「子供だね、ミヤジマ。そんな反応されると何もする気が起きないよ」

「う、うるさい! 何もしなくていい!」

「じゃあ、お茶にしようか。空いてるベッドにでも座りなよ」

 アルヴァがさっさとお茶の準備を始めたので一人で興奮していることが急にバカらしくなった葵は息を吐いた。葵が大人しくベッドに座ると、紅茶の注がれたカップを手にアルヴァが歩み寄って来る。カップを受け取った後、葵は手を振ってアルヴァを追い払った。

「それで、何で急にお嬢さん達と遊ぶようになったの?」

 葵に追い返されたアルヴァは再びデスクに座り、新たな煙草を取り出しながら問う。葵は熱い紅茶を一口飲んだ後、質問に答えた。

「マジスターの話で盛り上がっちゃって。皆、すごくカッコイイらしいね」

「……マジスターねぇ」

 脚を組んだアルヴァは眉根を寄せ、難しい表情のまま空を仰いだ。アルヴァの反応を不可解に思った葵は小さく首を捻る。

「マジスターがどうかした?」

「話が盛り上がるくらいだったらいいんだけど、ミヤジマにはマジスターとお近づきになって欲しくないんだよね」

「お近づきにはなれないと思うけど……何で?」

「理由は、色々」

「……また色々?」

 アルヴァがこの言い回しをする時は、話を濁しておきたい場合である。葵はそれを不満に思っているので嫌な表情を作ったが、アルヴァは軽く苦笑いをした。

「別に隠そうとしてるわけじゃない。聞きたければ教えるよ」

「じゃあ、ハッキリ言ってよ」

「一つ目の理由は、マジスターがエリート集団だから。特にこの学園のマジスターは優秀だから、大抵のことは労せず出来るんだよ。つまり、彼らなら葵がおかしいことに気付いてしまう可能性が高い」

「私がおかしいってどういうこと?」

 けなされたような気がした葵は眉をひそめたが、アルヴァが言いたかったのは彼女がこの世界の者ではないということだった。そもそも、何故この世界の者ではないと明かしてはいけないのか疑問に思っている葵には話が通じていなかったが、アルヴァはその辺りの説明をしようとはせず話を進める。

「二つ目は、マジスターがアイドルだから」

 アルヴァの口から『アイドル』という単語が出ると違和感があるが、その理由には葵もすぐに納得することが出来た。

「マジスターと仲良くしてたらイジメられるってこと?」

「呑み込みが早いね。その通りだよ」

 トリニスタン魔法学園に通う女生徒の多くは花婿探しを使命としており、中でも名実共に優良であるマジスターは高嶺の花なのだ。過去には、マジスターが気まぐれで声をかけただけの女生徒が学園を追い出されるという事態にまで発展したこともある。そういった激烈な争いに身を投じたくなければマジスターとは関わり合いにならない方が利口なのだと、アルヴァは言った。

「こ、怖っ……」

「女の友情なんて脆いものだよ。今日親しくしていたからといって明日も仲がいいとは限らない」

 アルヴァが断定的に言うので女である葵は反発を覚えた。しかしアルヴァの言葉はこの世界の事実なので言い返せない。不満を抱いたまま閉口した葵は改めて、元いた世界の友人達を恋しく思った。

弥也ややならそんなこと考えなくてもいいのに……)

 さっぱりとした性格の友人が脳裏をよぎってしまい、葵は無性に彼女に会いたくなってしまった。葵の心情を知ってか知らずか、アルヴァは淡々と言葉を続ける。

「何にせよ、マジスターには関わらない方がいい」

 せっかく少し楽しくなってきた日常がアルヴァの一言で暗いものになってしまい、葵は無言で頷いたのだった。






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