呼気が凍りつきそうな
(よし、行くぞ)
無視されようと陰口を叩かれようと気にするもんか。そう誓った葵は一歩ずつ着実に、校舎に近付いて行った。だが気合を入れたわりには、正門から続く生徒の流れがない。どうやら今日の登校は早すぎたか遅すぎたかのどちらかのようである。エントランスホールを抜けても人気がなかったので葵は拍子抜けした。
(まあ、平和でいいけどね)
ホッと一息ついた葵は肩の力を抜き、足早に階段を上る。二階にも生徒の姿はなく、校内は早朝の静謐を保っていた。気の抜けたまま二年A一組のドアを開けた葵は、室内に女生徒の姿を見つけて真顔に戻る。窓辺の席で顔を寄せ合っていたのは、ココ達だった。
イジメが始まって以来、葵はココ達と口をきいていない。彼女達から葵に声をかけることもなく、陰口こそなかったものの彼女達の態度は冷ややかなものだった。そのような関係になってしまった以上あいさつをする必要性もなく、葵は無言のまま席に着いた。だが他に人影がないからなのか、ココ達は葵の傍に寄って来る。
「おはようございます、ミヤジマさん」
ココがにこやかに挨拶をしてきたので不審に思った葵は眉根を寄せた。葵の反応を見たシルヴィアとサリーが、すかさず声を上げる。
「そのようなお顔をなさらないでくださいませ。わたくし達も心苦しかったのです」
「そうですわ。幾度ミヤジマさんに話しかけようかと思ったことか」
学園のルールには逆らえないと葵を無視し続けていた彼女達が、今日は掌を返したように微笑んでいる。気味が悪いと感じた葵が無言に徹していると、ココが再び口火を切った。
「ところで、ミヤジマさん。わたくし達、見たのです」
「……何を、ですか?」
癖が出て丁寧に聞き返してしまった葵は自分の反射神経に嫌気が差した。もう、彼女達のご機嫌を伺う必要などないのである。毅然とした態度で立ち向かおうと思った葵は伏せてしまった目を上げたが、彼女が何を言う前にココが言葉を次いだ。
「昨日、裏門の所でマジスターの方々と談笑していらっしゃいましたわね。それはそれは、仲がおよろしそうな光景でしたわ」
昨日の出来事の一部始終をココ達に見られていたと知って、葵はギョッとした。ハルだけでなく他のマジスターとも親しくしていたと知れた日には何をされるか分からない。そんな葵の胸中を見透かしたように、ココは優しく微笑む。
「ご安心くださいませ。わたくし達の他には誰もおりませんでしたわ」
ココの科白に安堵したのも束の間、葵は何故彼女達がそんな話を持ち出したのか不審に思った。葵が向けた疑惑のまなざしを正しく理解した上で、ココは話を続ける。
「もちろん、他の方に話したりなどいたしませんわ。その代わり、わたくし達もこっそりお仲間に加えてくださいませ」
マジスターとの仲を取り持てと言われているのだと、葵はすぐに理解した。だがココ達の行為は陰湿な陰口と同じくらい卑劣であり、憤りがこみ上げてくる。
(そんなの、脅しじゃない)
ここで頷けば、少なくとも彼女達を敵に回すことはないだろう。カッコイイ男の子の話題で盛り上がっていた頃に戻れるかもしれない。だがそんな友情はいらないと、葵は胸中で呟いた。
「お断りいたしますわ。マジスターの方々と仲良くなりたいのでしたら、ご自分からお声をおかけになってはいかがです?」
ニコリと微笑んだ葵はきっぱりと、彼女達の申し出を拒絶した。葵がそのような反応に出るとは予想していなかったのだろう、ココ達は目を白黒させている。やがて真顔に戻った彼女達は、今度は怒りを露わにした。
「そう。わたくし達が仲良くしてさしあげようと言っているのに、それが貴方の答えなのですね」
ココは肩を震わせていたが葵はそっぽを向いた。しかし何かされるかもしれないと危惧して、気は張っている。葵は殴られるかもしれないと身構えていたのだが、彼女達はそういった行動には出なかった。代わりに、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
「あなた、確かハル様にご執心でしたわね」
ココがハルの名前を持ち出したので葵は眉根を寄せながら顔を戻した。葵の興味を引いたことで、ココはさらなるしたり顔になる。
「でも、残念でしたわね。ハル様にはすでにお相手がいらっしゃるのよ。ご存知かしら?」
瞠目してしまってから、葵はしまったと思って顔を背けた。しかし時すでに遅く、ココ達は葵の神経を逆撫でする。
「そういえばステラ様、そろそろお帰りになるのではなくて?」
「ハル様とステラ様、お揃いになると絵になりますわよね。何と言ってもお二人とも、才知溢れるマジスターですもの。どこかの誰かさんとは大違いですわ」
「あら、どこかの誰かさんと比べるなんてステラ様に失礼ですわよ」
聞こえよがしな会話をしながら、ココ達は楽しげに去って行く。彼女達の言葉は廊下に出た後、さらにあからさまなものになった。
「あの顔、見まして?」
「いい気味ですわ。きっと、ご自分がハル様に釣り合うなどという妄想を抱いていたのでしょう」
「まあ。妄想もそこまでいくと悪意ですわね」
散々な悪口を聞きながら、葵は机に肘をついてぼんやりと窓の外を見た。丘の上に建つ学園からは、晴れていれば街を一望することが出来る。しかし生憎、今日は曇り空で霧がかかっていた。
(やっぱり、そうだったんだ)
ステラという少女の名前を耳にした時から、葵は何となくそうなのではないかと思っていた。ハルほどの男の子に彼女がいないはずがなかったのである。そのことも当然だと思いつつも、葵の心は晴れない。いつかアルヴァに言われた科白がグルグルと脳裏を巡っていた。
「……恋なんかしてないよ。好きになったってどうしようもないじゃん」
葵が元の世界に帰りたいと願う以上、いつかは別れがくる。そんな相手を好きになったところで不毛なだけだ。そう思った葵はぐったりと前のめりになり、机を抱いてため息をついた。
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