シャドウダンス

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 夏月期最初の月である岩黄いわぎの月の七日、丘の上に建つトリニスタン魔法学園の校舎には夏の日差しが燦々と降り注いでいた。外気は湿気を含んでいないのでカラッとした暑さだが夏の日差しは容赦なく肌を焦がし、汗を誘う。窓際の席で暑さに耐えていた宮島葵は、終業の鐘が鳴ると同時に魔法書を閉じた。教室内は教師が冷風を発生させているので蒸し風呂のような状態ではないが、それでも日光に晒される窓際は暑い。閉じた魔法書を小脇に抱えた葵は教室を出ようと思い、早々と席を立った。

「ミヤジマさん、ごきげんよう」

 葵が教室を出て行くことを察した近くの席の女生徒が、にこやかに別れの挨拶を寄越してくる。第一声を発した者に続けとばかりに、教室中から葵を送り出す声が上がった。葵は誰にも返事をせず、無言で教室を出る。廊下にもすでに人だかりができていて、葵は観衆に見守られながらひたすら足を動かした。

(ちょっと前まで陰口たたいてたくせに)

 一度敵意を向けた者が掌を返しても仲良くなろうという気は起こらない。早く校舎を出たかった葵は早足で階段を下り、一階のエントランスホールへ向かった。しかしエントランスホールにも人だかりがあり、先へ進むことが出来ない。ホールに集っている生徒達は葵に背を向けているので、何か別のものが注目を集めているらしかった。

(ジャマだなぁ)

 人だかりから少し離れた所で立ち止まった葵はどうしようかと考えを巡らせた。エントランスホールを通らなければ校舎の外へ出ることが出来ないが、人を掻き分けて進むのも面倒である。

「アオイ」

 頭上から声が降ってきたので、葵は反射的に顔を上げた。同時に、葵に背を向けていた女生徒達が一斉に振り返る。複雑な感情が入り乱れた群集の視線に晒された葵は居心地の悪さを覚えながら、ホールの二階部分から身軽に飛び下りて来た人物を迎えた。

「今日は約束があるとか言ってたけど、ステラは一緒じゃないのか?」

 葵に気さくに話しかけてきた茶髪の少年の名はオリヴァー=バベッジといい、彼はトリニスタン魔法学園のエリートであるマジスターの一員である。周囲の視線が気になった葵はオリヴァーがつくった花道を歩き出しながら問いに答えた。

「今から待ち合わせ場所に行くとこ」

「待ち合わせ場所?」

 校舎から抜け出すと針の筵から解放されたため、葵は一つ息をついてから改めてオリヴァーを見上げた。隣を歩く彼は夏らしく日に焼けていて、初めて会った頃よりも逞しい雰囲気になっている。他のマジスターのメンバーとは毛色が違うオリヴァーを、葵は健康的な美男子だと思った。

「シエル・ガーデンの北にある塔だよ」

 大空の庭シエル・ガーデンはマジスターが集う花園である。その北には用途不明の塔があり、ステラとの待ち合わせ場所であるその塔を、葵は密かに『時計塔』という名前で呼んでいた。葵は一時期、ある目的をもって時計塔に通い詰めていたことがある。思い入れの強い場所だけに実は何となく複雑な気持ちになりながら、葵は待ち合わせ場所に向かっているのだった。

「そっか、今頃音合わせ中か。そういえば俺も呼ばれてたんだった」

 オリヴァーが妙なことを言い出したので葵は眉根を寄せた。葵の視線に気がついたオリヴァーは特に急ぐでもなく、のんびりと歩きながら説明を加える。

「俺たち、創立祭で演奏することになってるんだよ。その練習をあの塔でやってるわけ」

「……そういえば、ハルがそんなこと言ってたかも。俺たちって、オリヴァーも楽器弾けるの?」

「俺とハルとステラはバイオリン。ウィルがピアノ。キルは楽器出来ないから聞き役」

「あ、そ」

 オリヴァーが最後に口にした人物にあまりいい感情を持っていない葵は嫌な顔をしながら素っ気なく相槌を打った。葵の態度には明らかに棘が含まれていたのでオリヴァーが苦笑いを零す。

「そう嫌うなって。キルにもいいとこあるんだから」

「別に、どうでもいいよ」

「まだ根に持ってる? 殴られたこと」

「当たり前じゃん?」

 葵はマジスターの一員であるキリル=エクランドに一方的に殴られ、まだ謝罪も受けていないのである。謝ったって許さないけどと葵がぼやくと、オリヴァーは声を上げて笑った。そこは笑うところではないと思った葵は不服に唇を尖らせる。しかしそれでも、オリヴァーの楽しげな表情は変わらなかった。

「やっぱり面白いな、アオイ。今まで見たことないタイプだよ」

「……それ、ほめてんの?」

「誉めてるよ。あのハルに変な女って言わせるくらいだからな」

 オリヴァーは上機嫌に笑い続けているがハルの名前を出された葵は複雑な気持ちになった。印象に残る存在なのは嬉しいが、変な女というレッテルを貼られるのは悲しいものがある。

「マジスターって仲いいみたいだけど、みんな昔からの付き合いなの?」

「ステラは学園に入学してからの付き合いだけど、それでも五年くらいになるか。他の連中はもっとガキの頃からの付き合いだよ」

「ふうん」

 オリヴァーに気のない返事をした葵は、五年は長いと胸中で呟いた。それほどまでに長い付き合いなら、オリヴァーはハルのことをよく知っているだろう。彼がいつからステラを好きなのかも、知っているかもしれない。聞こうかとも思ったが結局は口を開かず、葵は苦笑いを浮かべた。

(そんなこと聞いて、どうするつもりなのよ)

 ただでさえ、ハルとステラを見ていると複雑な気分になるのだ。わざわざ自分から胸のもやもやを広げることもないだろう。

「……なあ、アオイ」

 塔の足下へ辿り着いた時、オリヴァーが不意に雑談の口調を改めた。オリヴァーが足を止めたことに気付かなかった葵は数歩先まで進んでしまい、塔を背にしてオリヴァーを振り返る。しかし彼はすぐに話を切り出そうとはせず、不可解に思った葵は首を傾げた。

「何?」

「ダメだ、やっぱり黙ってるのは性に合わない」

 唐突に独白を零した後、オリヴァーは真顔のまま歩み寄って来た。距離が縮まりすぎてもオリヴァーが足を止めなかったため、葵は反射的に後ずさる。

(ちょ、何……)

 後退を続けるうちに塔の外壁に背中がぶつかってしまい、葵は困惑しながらオリヴァーを仰いだ。葵を逃げ場のない場所まで押しやったオリヴァーはさらに、彼女の体を挟み込む形で両手を外壁に突く。

「聞きたいことがあるんだ」

 真顔のまま話を切り出したオリヴァーの口調には平素の気軽さが感じられなかった。彼が向けてくるまなざしも真剣味を帯びたもので、ゾクッとした葵は思わず魔法書を胸に抱く。

「な、何?」

「アオイの魔力が変化してるのはどうしてだ? こうしてる間にも、次々と変わってる。前はそうじゃなかったよな?」

 早くこの体勢から抜け出すためには質問に答えるより他なかったが、葵は口をつぐんでしまった。オリヴァーの疑問に答えるためにはアルヴァの名前を出す必要があるからである。

「もしかしてそれ、アオイが生み出した魔法? どんな呪文スペルなのかこっそり教えてくれよ」

 その発言から察するに、おそらくは密談のため、オリヴァーは葵に顔を寄せた。オリヴァーに迫っているという意識がなくとも距離が近すぎて、葵は問いに答えるどころか硬直する。すると次の瞬間、空から何かが降ってきた。

 上空からオリヴァーの背後に落下してきたのは、人間だった。真っ赤な髪が印象的な細身の少年は、オリヴァーの頭をハリセンではたいてから華麗な着地を決める。叩かれた弾みでオリヴァーが前のめりになったため体が触れてしまい、限界を超えた葵はのしかかってくる男の体を突き飛ばした。

「このアホ」

 葵に突き飛ばされたことで仰向けに倒れたオリヴァーを見下し、赤髪の少年が冷ややかな一言を放った。マジスターの一員である赤髪の少年――ウィル=ヴィンス――はその後、緊張から解放されてへたりこんでしまった葵に手を差し伸べる。

「大丈夫? 災難だったね、アオイ」

「あ、ありがと……」

 何が何だか分からないまま、ウィルに助け起こされた葵は塔の外壁に手を突いてふらつく体を支えた。葵が一人で立ったのを確認した後、ウィルは塔の先端を仰ぐように顔を上げる。そうして彼は、夏空から舞い降りてきたブロンドの少女を迎えたのだった。

「もう平気だよ」

 ウィルが声をかけた少女を見て、本当の意味で緊張から解放された葵はホッとした。トリニスタン魔法学園の制服である白いローブを纏った少女はゆるやかに地に足を着くとすぐ、葵の元へ走り寄って来る。安堵はしたものの、どういう表情をしていいのか分からなかった葵は半笑いで少女を迎えた。

「アオイ、大丈夫?」

「う、うん……」

「もう、オリヴァーったら。アオイを怯えさせて」

 倒れているオリヴァーを軽くねめつけたブロンドの少女は、マジスターであるステラ=カーティス。ステラにつられて葵も視線を移すと、そこには彼女達と同じくマジスターの一員であるハル=ヒューイットの姿があった。大の字に倒れて気絶しているオリヴァーの傍らにしゃがみこんでいたハルは、オリヴァーの胸の上に落ちている魔法書を無造作に拾い上げてから立ち上がる。それは、オリヴァーを突き飛ばした拍子に葵が手放してしまった魔法書だった。

「はい」

 ハルが魔法書を差し出してきたので葵は小声でお礼を言いながら受け取った。手元に戻って来た魔法書を胸に抱き、葵は複雑な思いで目を伏せる。ここにいるということはハルも先程の光景を見ていたはずであり、変な誤解をされたら嫌だなと思ったのだ。しかしハルは、その話題には一切触れなかった。

(興味ない、か……)

 ハルはウィルと一緒になって、未だ起き上がってこないオリヴァーをつついている。その光景がどこか和やかだったので、葵は笑うことで沈んだ気持ちを押し殺した。






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