さよなら

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「……アオイ、泣き叫びながら走り去って行ったな」

「ほんと、アオイって変わってるよね。あのハルに変な女って言わせるだけのことはあるよ」

 葵が走り去って行った方角に顔を据えたまま淡々と会話をしていたオリヴァーとウィルは、同じタイミングで吹き出した。エコーのように響いていた葵の声もすでに聞こえなくなっていたので、夜の学園には彼らの笑い声だけが響き渡る。ひとしきり笑った後、オリヴァーとウィルは笑みを残したまま話を続けた。

「しっかし、ハルまで王都に行っちまうとはなぁ。これから寂しくなるな」

「ステラが王都へ行くショックで姿を見せないんだと思ってたけど、まさか本校に編入する準備をしてたなんてね。恐れ入ったよ」

「それだけステラのこと好きだった、ってことだろ」

「まあ、ハルは一途だからね」

 そこで会話を終わらせて、ウィルとオリヴァーは未だ無言のままでいるキリルを振り返った。

「キル、まだ怒ってるの?」

 ウィルが話しかけてみてもキリルは反応を返さなかった。しかし月光に映し出されている彼の表情は怒っている時のものではなく、何事かを考えている時の真顔である。キリルが真顔でいることを不思議に思ったウィルは小首を傾げながら言葉を続けた。

「キル? 何考えてるの?」

「ハルは何で、あんな女にキスなんかしたんだ?」

 キリルの口をついて出た言葉は意外なものであり、ウィルとオリヴァーは顔を見合わせた。キリルが葵の去った後を見据えたまま動こうとしなかったので、オリヴァーが首を捻りながら憶測を述べる。

「餞別じゃないのか? アオイ、ハルのこと好きだったみたいだからな」

「そうなのか?」

 キリルが眉根を寄せながら振り向いたので、オリヴァーは同意を求めてウィルへ視線を流す。オリヴァーの視線を受け止めたウィルは呆れ顔になって頷いた。

「気付いてなかったのはキルくらいだよ。ステラもハルも、たぶん知ってたんじゃない?」

「オレだけ仲間はずれにしやがって」

「キルが勝手に仲間はずれになったんじゃない。疎外されるのが嫌なら、もうちょっと他人に興味持ちなよ」

「興味ねぇよ。他人のことなんてどうでもいい」

「とか言いながら、今アオイのこと気にしてるじゃない」

「あ? 気にしてねーよ」

「あ、怒った。怒るのは図星だからだよ、キル」

 ニヤリと笑ったウィルは魔法陣の方へ向かって歩き出し、キリルが怒りを噴出する前に早々と姿を消した。今にも憤怒を爆発させそうなキリルと二人きりで取り残されたオリヴァーは、恐る恐るキリルの顔色を窺う。

「俺達も帰ろうぜ。いつまでもここにいても仕方ないし」

 そう誘ってみたものの、キリルはその場を動こうとしなかった。こうなってしまっては触らぬ神に祟りなしと、オリヴァーは一人で歩き出す。だがキリルに呼び止められ、彼は再び足を止めることになった。

「ハルはあの女のこと、好きだったのか?」

 キリルの口から飛び出したのはまたしても葵のことであり、意外に思ったオリヴァーは目を見開いた。しかし迂闊な私見を口にしようものなら秘めたる怒りを刺激してしまうかと思い、オリヴァーは答えだけを口にする。

「好きか嫌いかで言うなら、わりと好きだったんじゃないの? いくら餞別とはいえ嫌いな相手にキスしないだろ」

「ステラもあの女こと、好きだったよな?」

「ああ……ステラはすごく好きだったっぽいよな」

「お前は?」

「は? 俺?」

 予想外の問いかけにオリヴァーはぽかんと口を開けた。オリヴァーが即答出来なかったことに苛立ったのか、キリルは鋭いまなざしを向けてくる。睨まれることには慣れていても真意が見えないことには不慣れであり、オリヴァーは困惑してしまった。

「どうしたんだよ、キル」

「いいから答えろよ。お前はあの女こと、どう思ってんだよ?」

「いや、アオイのことは好きだけどさ。あんな風に変わった女、他に見たことないし」

「ウィルは?」

「ウィルもわりと気に入ってるんじゃないか? あいつも嫌いなヤツとは口きかないし」

「そうか」

 そこでようやくキリルが口をつぐんだので、得体の知れない重圧にさらされていたオリヴァーはホッと胸を撫で下ろした。それから改めて、オリヴァーは眉をひそめる。

 キリルが関心を持つのは仲間内だけのことであり、彼は他人のことにはまったく興味を示さない性質なのだ。それがこうも質問を重ねてくるとは、どういった心境の変化なのだろう。しかしそれを問えばキリルが機嫌を悪くすることは解りきっていたので、嫌な不可解さは胸に残るものの、オリヴァーは追及を諦めることにした。

「俺達も帰ろうぜ、キル」

 オリヴァーの呼びかけに対して素直に頷いたキリルは、しかしまだ何事を考えている真顔のままだった。






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