白昼の悪夢

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 夏月期中盤の月である橙黄の月の三日、丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校ではその朝も通常通りの登校風景が繰り返されていた。予鈴と共に学園へと集まってくる白いローブ姿の生徒達は正門付近に描かれている魔法陣に次々と出現し、そこから東にある校舎を目指す。校舎に入った生徒達はエントランスホールで分かれて、それぞれの教室へと向かっていくのだ。そして始業の鐘と共に教師がやって来るのを待つわけなのだが、この日、校舎二階にある二年A一組の教室ではまたしてもちょっとした騒動があった。

「アオイ、いるか?」

 開かれていた扉からひょいと顔を覗かせたのはオリヴァーである。彼に続いてウィルまでもが姿を現したため、二年A一組の教室は昨日に引き続いて騒然となった。しかし、彼らが訪ねてきた人物の席は空白。教室内に声をかけながら姿を現したオリヴァーは困ったような顔をウィルに向けた。

「今日もいないみたいだな」

「見れば分かるよ」

 オリヴァーにすげなく返事をしたウィルは顎に手を当て、唇を結んだ。その姿は何事かを考えているようである。だが彼らから会話が途絶えて間もなく、一人の女生徒が二人に声をかけてきた。

「ミヤジマ=アオイさんでしたら昨日、オリヴァー様とウィル様が記されたメッセージをお読みになっていましたわ。けれどあの方、昨日はすぐにお帰りになったようです」

 トリニスタン魔法学園に通う者にとって、マジスターの言葉は命令に近い。しかし葵は彼らの誘いを意図的に無視したのだ。オリヴァーとウィルにそう進言することで葵を貶めようとしたのは、二年A一組の女子を仕切っているココという少女だった。ココの差し出口を聞き、オリヴァーが微かに眉根を寄せる。ウィルは無表情のままココを一瞥し、それからオリヴァーを見上げた。

「それなら、今度は直接誘おうか」

「アオイが来るまでここで待つっていうのか?」

「呼んできてもらえばいいよ」

 オリヴァーに含み笑いを見せたウィルは、そのままの表情を二年A一組の生徒達に向けた。

「僕達はここで待ってるから、アオイを連れて来てくれる? 彼女を連れて来てくれた人には何か、サービスするよ」

 ウィルが発したこの一言には絶大な効力があり、二年A一組の生徒達は先を争うようにして教室を出て行った。嵐が去った後には人っ子一人残っておらず、二年A一組の教室内にはウィルの抑えた笑い声だけが聞こえている。

「単純な連中だね」

 可愛い顔をしてサラリと毒を吐くのがウィル=ヴィンスという人物である。付き合いの長いオリヴァーは呆れた顔をしたが彼もまた好奇心に駆られている者の一人であり、葵の身を案ずるような科白は特に口にしなかった。






 その日もメイドのクレアにトリニスタン魔法学園の裏門付近に描かれている魔法陣へ送ってもらった葵は、正門から校舎へと向かう生徒の流れが一段落してからエントランスホールに向かった。人気のなくなったエントランスホールを抜けた後、彼女がまず足を向けたのが一階の北辺にある保健室である。その目的はこの学園の校医であるアルヴァに会うことだったのだが、この朝も保健室の扉にかけられている鍵は開くことがなかった。

(……まだ、かぁ)

 開かない扉の前で失望のため息をついた葵はこの場は諦めることにして、校舎二階にある二年A一組の教室を目指そうとした。刹那、どこからともなく怒号が聞こえてきたので葵はビクリとして足を止める。唐突に沸き起こった騒ぎは、どうもエントランスホールの方から聞こえてきているようだった。

(何だろう……)

 不審に思った葵は、しかしエントランスホールの方に足を向けることはしなかった。触らぬ神に祟りなし、である。

「見つけましたわ!」

 校舎の北側にある階段を上ろうとしていた葵は、階上に突如として出現した人物に指を指されてギクリとした。息を切らせながら立ちはだかったのはココで、彼女は獲物を狙うような瞳を葵に向けている。瞬時に「まずい」と直感した葵は急いで踵を返そうとしたのだが、二階部分から飛び降りてきたサリーとシルヴィアにがっちりと両腕を掴まれてしまった。

「ちょ……何すんのよ!」

 自由を奪われた葵は抗議の声を上げたのだが、サリーもシルヴィアも聞いていない。

「やっぱりここでしたわね」

「エントランスホールに向かわなくて正解でしたわ」

「さ、参りますわよ」

 しまいには階上から降りてきたココまで加わり、葵は訳が分からないまま歩かされることになった。階段を上って二年A一組の前まで辿り着くと、ココ達はピタリと足を止める。連行された形の葵にはぴっちりと閉まっている教室の扉が地獄の入口に思えて仕方なかった。

「さあ、他の連中が来る前に参りましょう」

 良家の子女という肩書きをすっかり捨て去ったかのようなココの口ぶりに、しかしシルヴィアとサリーは応じなかった。両腕に別々の思惑を含んだ力が込められて、体を裂かれそうになった葵は悲鳴を上げる。

「痛い痛い!!」

「何してるんですの!?」

 シルヴィアとサリーの争いに割って入って来たココは、彼女達を止めるどころか自身も争いに加わった。両腕と胸元を三者三様の力で引っ張られ、痛みと怒りに耐えられなくなった葵は無我夢中で暴れ出す。すると一時は加えられている力が緩んだのだが、その隙をついたシルヴィアが葵の手を引き、二年A一組の扉を開けた。

「連れて参りましたわ!」

 はしゃいだ声を上げたシルヴィアに突き飛ばされる形で前に押し出された葵はバランスを崩して机の列に突っ込んだ。とっさに顔は庇ったもののあちこちをぶつけてしまい、葵は痛みに悶えながら座り込む。すると頭上から、同情的な男の声が降ってきた。

「大丈夫か、アオイ?」

「大丈夫なわけないでしょ!!」

 憤った葵は勢い良く顔を上げ、そうして目にした人物に対して妙な表情を浮かべた。その理由は、トリニスタン魔法学園に通う者にとって特別な存在であるマジスターが雁首を揃えていたからである。

「君が一番だったね。何でもいいから望みを言ってみなよ」

 並べた机の上で悠然とくつろいでいるウィルが、葵の背後に佇んでいるシルヴィアに声をかける。状況が呑みこめないまま背後を振り向いた葵はシルヴィアの熱を帯びた表情に出会って絶句した。

「わ、わたくし、ウィル様とデートがしたいですわ!」

「いいよ。僕が空いてる時に連絡するから、用意して待ってなよ」

「は、はい!」

「じゃあ、僕達はアオイに話があるから。出て行ってくれる?」

 大袈裟に何度も頷いたシルヴィアは天にも上る浮かれようで教室の出口へと向かった。その場所ではココとサリーが、廊下に佇んだまま恨めしげな表情でシルヴィアを睨みつけている。まるで華を背負っているようなシルヴィアの背中を見送った葵は複雑な思いで眉根を寄せた。

(こんなんでいいの?)

 シルヴィアはマジスターの中でも特にウィルを気に入っていた。憧れの彼とのデートが叶ったとはいえ、ウィルにとっては完全に『何かのついで』扱いである。いくらマジスターが高嶺の花とはいえそれはないのではないかと、葵は思ってしまったのだった。

(……別に、どうでもいいか)

 シルヴィアには階段から突き落とされたりと、散々な目に遭わせられている。同情する義理もないと思った葵は怒りの表情を、そのままマジスター達に向けた。

「何なのよ、これ」

「まあ、そう怒るなって」

「怒るわよ!」

 オリヴァーが宥めるのを怒声で一蹴した葵は立ち上がってスカートの裾を払った。どうやら傲慢なのはキリル=エクランドだけでなく、ウィルやオリヴァーも同じなようだ。そういった上から押さえつける力に嫌気が差している葵は彼らと話をしたくないと思い、踵を返そうとした。だがその気配を察したのか、ウィルがすかさず口を挟んでくる。

「元はと言えばアオイが僕達の誘いを無視したから悪いんだよ」

「何のこと?」

 誘われた覚えのなかった葵は眉根を寄せながらウィルに視線を移した。誘われるも何も、彼らとはステラの出立の日以来、顔を合わせてすらいなかったのである。

「昨日、机に書いてあっただろ? 放課後、シエル・ガーデンにて待つ、って」

 オリヴァーが解説を加えてくれたので、葵にもそこでようやく話が通じた。実際には内容を読み取ることは出来なかったのだが、葵がマジスターからのメッセージに気が付いていたのは周知の事実であり、彼らは二年A一組の生徒からそのことを聞いたらしい。これでは誘いを無視したと思われても仕方がなかった。

(しょうがないじゃん、読めないんだから)

 胸中で反論した内容を口に出すことは出来ないので、葵は不本意ながらオリヴァーとウィルに謝ることにした。葵が下手に出たことにより、ウィルとオリヴァーも表情を緩める。そして改めて、彼らは葵をシエル・ガーデンへと誘ったのだった。

「今日はちょっと……」

 言葉を濁した葵の本音は「マジスターとは関わりたくない」だった。そう思う最大の要因は猫をかぶっていなくともマジスターと関わりさえしなければ、周囲が放っておいてくれるからである。ならばステラもいない今、彼らと親しくすることもない。葵はそう考えて暗に誘いを断ったのだが、葵の迷惑など顧みないマジスター達は気にせずに次なる提案を持ちかけた。

「明日は?」

「明日もちょっと……」

「明後日は?」

「明後日も用事があるから」

「それなら今にしようか」

 オリヴァーと葵のやりとりに痺れを切らせたのか、ウィルが口を挟むのと同時に葵の手を取った。そして問答無用で、転移の魔法を唱え出す。予め定めておいた特定の魔法陣に転移する「アン・ルヴィヤン」の呪文はひどく短く、葵達の姿は瞬きをする間に教室内から失われた。

 二年A一組の教室が無人になって間もなく、廊下に女生徒の嬌声が沸き起こった。初めは遠くの方で聞こえていた甲高い声は音量を増しながら二年A一組の教室へと近付いて来る。やがて、大歓声と共に二年A一組の扉が荒々しく開かれた。廊下から大股で進入してきたのは黒髪に黒い瞳という容貌をした私服の少年で、彼は空の教室を目の当たりにすると忌々しそうに舌打ちをする。

「いねぇじゃねーか」

 さも不機嫌な顔で独白を零した少年の名は、キリル=エクランド。彼もウィルやオリヴァーと同じく、トリニスタン魔法学園アステルダム分校のマジスターである。誰かを探していたらしいキリルは苛立たしげに半開きの扉を足蹴にし、すぐに二年A一組の教室から立ち去ったのだった。






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