トリニスタン魔法学園の校舎は敷地内のほぼ中央に位置している。校舎を中心として見ると南には広大なグラウンドがあり、西には一般の生徒が登下校に使用している正門がある。校舎の北には葵とマジスターくらいしか使用していない裏門があり、そして校舎の東には、学園のエリート集団であるマジスターが溜まり場としているドーム状の建造物があった。全面ガラス張りのこのドームは温室になっていて、季節に関係なく様々な花が咲き乱れている。そのためこのドームは一般的に『
「これ、キルがアオイにあげたやつじゃないのか?」
長い茶髪を無造作に束ねている少年は名をオリヴァー=バベッジといい、彼はテーブルの上に置かれている小箱を指差しながら隣に佇む少年に目をやった。オリヴァーの視線の先にいるのは艶やかな黒髪に同色の瞳といった容貌をしている、鋭利な雰囲気を持つ美少年である。キリル=エクランドという名の彼は話を振ってきたオリヴァーを一瞥し、それから不機嫌極まりない表情で小箱に視線を落とした。
「何でここにあんだよ」
「いらないから返す、ってことじゃないの?」
キリルの疑問を事も無げに一刀両断したのは、おそろしく女顔をした赤髪の少年である。彼は名をウィル=ヴィンスといい、この場に集っている三人がアステルダム分校における現在のマジスターだった。
「なんだよ、うまくいかねーじゃねぇか」
キリルがウィルに不満をぶつけたのは、彼が『女は物で釣れ』という助言を与えたからだ。キリルはウィルの言う通りに行動したのだが、その結果がこの有り様だったのである。
「プレゼントの中身が悪かったんじゃない?」
作戦が失敗したことは棚に上げ、ウィルはさらっと責任をキリルに押し付ける。キリルが激昂してウィルに突っかかっていったので、オリヴァーはその隙に小箱の蓋を開けて中身を取り出してみた。
「へ〜、
オリヴァーが褒めたので、キリルは『ほら見ろ』と言わんばかりにふんぞりかえった。最高級品のルビーがあしらわれたアクセサリーには上質な品があり、それを見たウィルもあっさりと意見を変える。
「じゃあ、アオイは物じゃ釣れない女っていうことだね。変わり者だから仕方ないか」
「っていうか、唐突すぎだったんじゃないのか? キル、どういう風にプレゼント渡したんだ?」
オリヴァーの問いかけに対し、キリルはプレゼントを渡した時の状況を短い言葉で説明した。キリルの発言によってオリヴァーとウィルが得た情報は『衆人監視の中、それがプレゼントであることも告げずに押し付けた』というものだった。デリカシーも何もないキリルの言動にウィルは小さく吹き出し、オリヴァーは頭を掻きながらため息を吐く。
「ツッコミどころが多すぎてどうしようもないな」
「なら、キルにも分かるように指摘してあげたら?」
そう言うと、ウィルは椅子に腰かけて紅茶を淹れる呪文を唱えた。話を聞く気はあるようで、キリルも無言でその場に腰を落ち着ける。丸いテーブルを囲んで三人で座した後、紅茶を口に運んだオリヴァーはティーカップをソーサーに戻してから口火を切った。
「まず、渡す場所が悪い」
「ばしょぉ?」
キリルは胡散臭そうな表情をしたが、オリヴァーは至極真面目に頷いて見せた。
「そういうのは二人っきりの時に渡した方が効果的なんだ。人目がない方が相手も受け取りやすいだろうし、なにより二人だけしか知らないちょっとした秘密になるだろ? 女の子は秘密とか好きだからな」
「そう? 衆人監視の中で渡した方が目立っていいじゃない。それも僕らからのプレゼントともなれば普段は味わえないような優越感が持てるよ?」
「あのなぁ、アオイの性格考えろよ。目立つことして喜ぶタイプじゃないだろ?」
ウィルが横槍を入れてきたのでオリヴァーは呆れながら彼の意見に疑問を呈した。オリヴァーに言われて葵の性格を考えてみたのか、ウィルにもそれ以上の異論はないようである。ウィルが黙ったことを確認したオリヴァーはキリルを振り向き、話を続ける。
「それに、プレゼントだってこともはっきり言わないとダメだ」
「言わなくても分かるだろ、それくらい」
「それだとキルがあげるつもりで渡したのは分かっても、アオイ的にはもらう理由が分からないだろ?」
「もらう側に理由もクソもあるかよ」
渡されたら受け取ればいいのだと明言するキリルは、自身の言動に何の違和感も覚えていないようだ。オリヴァーは『分かってないなぁ』と独白を零し、小さく首を振った。
「必要なんだよ、もらう側にも理由が。受け取る理由がないとこうやって、返されるわけだ」
オリヴァーがテーブルの中央に置かれている小箱を指差したことでキリルも黙り込んだ。反論する者がいなくなったのでオリヴァーは一人で先を続ける。
「特にキルの場合はアオイと親しいわけでもないだろ? キルだって……例えば、アオイがいきなりプレゼント渡そうとしてきたらどうする?」
「シカトだな」
「だろ? 要は、そういうことだ」
「でもよ、オレがあの女にプレゼントする理由って何だ?」
「そんなのテキトーに作ればいいんだよ。君に似合うと思ったからプレゼントするんだとか」
「へぇ。オリヴァーはそうやって女の子を口説くんだ」
それまで黙して話を聞いていたウィルが茶々を入れてきたので不意を突かれたオリヴァーは思わず閉口してしまった。そのことが逆にオリヴァーの話に真実味を持たせ、キリルとウィルは物珍しげな視線を彼に向ける。
「意外だね。オリヴァーって、僕達の知らないところでちゃんと恋愛とかしてたんだ?」
「俺の話はどうでもいいだろ」
「よくねぇ。聞かせろよ」
ウィルだけでなくキリルまでもが食いついてきたので、オリヴァーは饒舌になりすぎたことを少し後悔した。キリルは基本的には他人に関心を示さない
「とにかく、プレゼントを受け取ってもらいたいならキルはまずアオイと話をする必要がある。まともに話したこと、ないだろ?」
「興味ねーからな、あんな女」
しれっとそんなことを言ってのけるキリルの発言には身も蓋もない。せっかくのアドバイスが無下に扱われたことでオリヴァーは口をつぐみ、しかし胸中では『だったら関わらなきゃいいだろ』と密かに愚痴を零した。
「それだけ手間暇かけても必ず手に入るわけじゃないなんて、ナンセンスだよ」
オリヴァーの作戦をまだるっこしいと言い切ったのはウィルである。キリルもウィルと同意見らしく、二人は深々と意味ありげなため息をついている。キリルとウィルの頭の中にある言葉はおそらく『恋愛なんて興味ない』であり、そのことを容易に察してしまったオリヴァーは彼らとは質の違うため息を零した。
「でも、キルはアオイを落としたいんだろ?」
「違う。オレがあの女をおとしたいんじゃなくて、あいつがオレを好きになればいいんだ」
「同じだって」
「ぜんぜん違うだろ。一緒にするなよ」
キリルが苛立ちを見せ始めたのでオリヴァーは説得を諦めて口を閉ざした。だがキリルがこの調子では、初めから彼に悪印象を抱いている葵を懐柔することはまず無理だろう。しかし面倒くさいと言いながらも、キリルには計画を放り出すつもりもないらしい。晴れ渡った夏空をガラス越しに仰いだオリヴァーは密やかなる同情を葵に寄せたのだった。
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