つながる世界

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 クレアに転移魔法で送ってもらった葵はパンテノン市街に出現するとすぐ、徒歩でフィフスストリートを目指した。まるでファンタジーの世界観のように魔法が息衝いているこの通りは、葵のお気に入りである。ただ歩いているだけで楽しい気分になれる通りの一角で歩みを止めた葵は小さな看板が出ている扉を軽くノックし、返事を待たずに戸を開けた。扉の奥は店になっていて、室内にはガラスの工芸品が並べられている。店先ではリズが退屈そうな顔をして座っていたが、彼女は葵の顔を見るなり瞳を輝かせた。

「アオイ」

 いらっしゃいと、リズは大袈裟なまでの笑顔で迎えてくれる。彼女のように作為のない笑みを向けてくれる存在はとても貴重であり、葵も自然と頬を緩ませた。

「これ、ありがとう」

 葵が手にしていた紙袋を差し出すとリズは不思議そうに首を傾げた。

「なぁに? またケーキでも焼いてきてくれたの?」

「違うって。この前、リズの服借りたじゃん?」

「ああ、あれね。お兄ちゃんってば、あたしの一番いい服アオイに貸すんだもん。デートの時に着てく服がなくて大変だったんだよ?」

「あ、そうだったんだ。ごめん」

「ま、いいけどねぇ〜」

 大変だったというわりには大して気にした様子もなく、リズは衣服の入った紙袋を受け取る。それを無造作に机の上に置くと、リズは改めて葵を見上げてきた。

「お兄ちゃん、今寄り合いに行ってるの。もうすぐ帰ってくると思うから座って待っててよ」

 葵を促しながら茶器に手を伸ばしたリズはさっさと二人分の水出し紅茶を用意した。リズの態度は有無を言わせぬ調子ではあったが不快な強引さではないので、彼女の言葉に甘えることにした葵も空席に腰を落ち着ける。ガラスのティーカップに注がれた冷たい紅茶が夏の日差しに晒されながら歩いてきた体に心地好く、すっかりリラックスした葵は椅子の背もたれに体重を預けた。葵がまったりしていると、喋り好きのリズがすかさず話しかけてくる。

「アオイっていつも同じ服着てるよね。オシャレしないの?」

「ああ……これは制服だから」

 オシャレしないのというリズの言葉に少し傷ついた葵は苦笑を浮かべながら答えを口にした。葵にそんなことを言ってくるリズは会うたびに違う服装をしていることから身だしなみには人一倍気を遣っていることが見て取れる。だがこの家の経済事情を考えるに、あまり贅沢なことは出来ないはずなのだ。不思議に思った葵はリズにそのことを尋ねてみた。

「そりゃあねぇ、うちに服買ってるよゆーなんてないよ。でもオシャレはしたいじゃん? だから友だちの間で貸し借りしてるの」

 そう明かしたリズの本日の服装も、上から下まで自分の持ち物ではないらしい。元の世界にいた時は葵も少ない小遣いでやりくりしていたため、リズの意見に深々と頷いて見せた。

「私もよく本とか貸し借りしてたよ」

「今は貴族でも、アオイも苦労してきたんだもんねぇ」

 リズは葵の作り話を信じているため、葵が孤児院で育ったと思い込んでいる。素顔で接してくれている彼女に嘘をついている心苦しさを覚えた葵には弱々しい笑みを浮かべることしか出来なかった。しかしリズは葵の変化には気付かなかったようで、彼女は不意にしたり顔になる。

「お兄ちゃんもきっと、アオイのそういうところが好きなんだと思うなぁ〜」

「ただいま」

 リズの科白にかぶって第三者の声が介入したため、葵とリズは慌てて側方を振り向いた。声の主はザックであり、扉を背に佇んでいる彼は不意に集中した視線に驚いている。

「何?」

「あ、ううん、何でもないの」

 葵が笑って誤魔化すと、ザックは不思議そうにしながらも言及することはしなかった。それから改めて、ザックは葵に目を留める。

「あれ、アオイ。いらっしゃい」

「お兄ちゃん、気付くの遅っ」

「うるさいなぁ」

 妹に苦い表情を向けると、ザックは『仕事があるから』と言って奥へ引っ込んでしまった。心なしかザックの顔色が冴えないものだったので、葵は眉根を寄せながらリズに向き直る。

「ザック、なんか元気なかった?」

「そうだねぇ……また親方に怒られちゃったのかな」

「怒られるって、何で?」

「貴族って独創性を求めるから。親方が言うには、お兄ちゃんはまだ発想力が貧弱なんだって。だから半人前なんだって、よく怒られてるの」

「へぇ……」

 リズに曖昧な返事をしながら奥へ続く扉に顔を傾けた葵の脳裏には、作業場で見たザックの姿が蘇っていた。作品に向かう時の彼は真剣で、夏場でも汗だくになりながら頑張っている。しかし葵は、彼が納得のいく顔をしているところをまだ一度も見たことがなかった。

「私、ちょっとザックの様子見てくるね」

 何が良くて何が悪いのか、素人の葵には工芸品のことはよく分からない。ただ表情に影を落としながら作業場へと向かったザックを励ましてあげたいという思いが溢れ出てきたのだ。

「いってらっしゃ〜い」

 満面の笑みを浮かべているリズに見送られながら席を立った葵は、彼女のあからさまな態度に苦笑いしながら奥へと続く扉を開けた。扉の先はすぐ行き止まりになっていて、T字になっている通路を右手に折れると住居部分へ、左手に折れると作業場へと行き着く。ザックが作業場へ向かったと思われるため、葵は迷わず廊下を左手に曲った。

 ザックは『仕事があるから』と言って姿を消したものの、溶鉱炉がある作業場へ近付いて行っても体感温度が上がることはなかった。ザックが仕事をしている時は通路にまで熱波が押し寄せてくるのが普通なので、葵は一抹の不安を抱きながら作業場の中を覗いてみる。いないかもしれないという葵の不安をよそに、ザックは作業場の中にいた。しかし彼は外出着のままでいて、溶鉱炉にも火が入っている気配がない。こちらに背を向けて座っているのでどのような表情でいるのかは分からないが、呆けているようなザックの様子に不安を感じた葵は控えめに声を発した。

「ザック?」

 葵の声を聞きつけたザックは慌てた様子で立ち上がり、こちらを振り返って目を丸くする。

「アオイ、どうしたの?」

「うん……なんか、ちょっと元気なさそうだなって思って」

 葵が後を追ってきた意図を明かすとザックは苦笑いになり、それから小さくため息をついた。座るよう促されたので、葵はいつかの箱に腰を落ち着ける。彼女がまたしても直に腰を下ろしたのでザックは呆れたような顔をした。

「何か敷いて使えばいいのに」

「私のことはどうでもいいから。それより、大丈夫?」

「……うん、大丈夫だよ」

 どう見ても大丈夫ではなさそうな顔つきで頷いて見せた後、ザックは再び苦笑いを浮かべた。

「仕事がうまくいかなくてさ。納得のいく作品が作れないんだ」

「ザックが納得する作品って、どういうの?」

「言葉にするのは難しいよ。それが形にもならないんだから」

「だったらまず、頭の中にあるイメージを絵にしてみればいいんじゃない?」

「図案なら、そこにあるよ」

 ザックが作業場に隅に置かれているテーブルを指差したので葵は立ち上がってその傍へ寄った。テーブルの上には紙面に描かれたデッサンが山積みになっていて、一つ一つ目を通していった葵は感嘆の息を吐く。

「すごいじゃん、こんなに沢山」

「数をこなせばいいって物でもないんだ。特に鑑賞品は」

 ザックの口から鑑賞という言葉を聞いた葵はリズの言っていた独創性の話を思い返した。葵にとってはどのデッサンも目新しいものだったのだが、この世界では特に珍しいものではないのかもしれない。ならば『普通』が『独自』に変わるのではないかと発想を逆転させた葵は、あるデッサンに目を留めて興奮を露わにした。

「ザック、これ! これ作ろうよ!」

 葵が急に騒ぎ出したため、ザックも何事かと図案を覗き込んできた。そこには口が狭くなったグラスのような物が描かれていて、デッサンを見たザックは眉根を寄せる。

「アオイ、これは基礎の形を描いたものだよ。これじゃ何の面白味もない」

「だったらこうすればいいじゃん?」

 ザックにニヤリと笑って見せた後、葵は図面をひっくり返した。上下が逆さまになってはグラスとして使うことも出来ないため、ザックはぽかんと口を開けている。

「これは何?」

「ペン、貸して」

 呆けているザックに一応の断りを入れ、葵はテーブルの上に転がっていたペンで図案に書き足しをしていった。上下が反転したグラスから垂れ下がるガラスの棒が加われば、それでもう風鈴の完成である。

「これ、作るのむずかしい?」

 完成した図案を見せながら葵が尋ねると、それまで呆けていたザックは我に返った様子で表情を改めた。真剣な面持ちで図案を注視したザックはさほど時間をかけずに顔を上げ、葵に答えを告げる。

「形状的には複雑じゃないから、作るのは簡単だけど……」

「じゃ、作ってよ。説明はそれから」

 葵に急きたてられたザックは不思議そうにしながらも彼女の言葉に従った。沈黙していた溶鉱炉に火が入れられると、作業場はあっという間に蒸し風呂へと姿を変える。魔法で炎と水を巧みに操ったザックは宣言通り、いとも簡単そうに作品を完成させた。

「それで、これにどんな呪文スペルを封じるの?」

 この世界での道具には大抵、使用者が無属性魔法を使うことによって物が自動で事を成すように呪文が組み込まれる。今までそういった常識の中でものづくりをしてきたザックにとっては当然の質問だったのだが、葵は即座に首を振った。

「呪文なんていらないよ」

 そう言い置くと、葵はザックの手を引いて作業場を後にした。作業場には窓がないため、店舗部分へ戻った葵は開きっぱなしになっている窓辺に出来上がったばかりの風鈴を吊るす。葵の意図が分からずに困惑していたザックも、汗だくで現れた二人を訝っていたリズも、窓から吹き込んだ風が風鈴を鳴らすと閉口して耳を澄ました。

「暑い中で聞くとさ、涼しげでいいでしょ?」

 ザックとリズが風鈴の音色に聞き入っていたので、葵は頃合を見計らって二人に話しかけた。我に返った様子のザックとリズは二人で顔を見合わせ、それから興奮気味に喋り出す。

「魔法がいらないなんて面白いね、お兄ちゃん」

「ああ。鑑賞用だと派手な仕掛けばかりが目を引くけど、これはこれで新鮮だ」

「っていうか、盲点よね。よく気付いたわね、アオイ」

 リズに賞賛されたものの深い考えがあってのアイデアではなかっただけに、葵は誇らしげな気持ちになることもなく笑って追及を凌いだ。だが観賞品に魔法を使わないということは大発見だったらしく、ザックとリズはまだ興奮している。

「ありがとう、アオイ」

 幾度も礼を言いながら葵の手を取ったザックは、憑き物が落ちたようなスッキリした表情をしていた。ザックが喜んでくれたことで自分も嬉しくなった葵は胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚を味わってはにかんだ笑みを浮かべる。さっそく仕事の話を始めたザックとリズを眺めながら葵は改めて『好きだなぁ』と胸中で独白を零した。






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