逆襲

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 夏月かげつ期最後の月である伽羅茶きゃらちゃの月の六日、丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校は生徒達が登校する時間帯を迎えて賑わいを見せていた。この学園の制服である白いローブを身にまとった生徒達の流れは、彼らが登下校に使用している魔法陣が描かれている正門から敷地の中央に佇む校舎へと続いている。歓談しながら歩いている生徒達は良く晴れた夏空に軽やかな笑い声を響かせているが、その中に、周囲の気温さえも下げてしまいそうな程どんよりした表情をした生徒が混ざっていた。誰もが余裕のある笑みを浮かべている中で一人、目の下に隈をつくっている少女の名は宮島葵。瞼が半分ほど落ちている彼女は夏の日差しが恨めしいと言わんばかりに顔をしかめ、足下を見つめながらトボトボと歩いていた。

「いつまでそうしてるつもりや。しゃんとせんかい!」

 昨日に引き続き、同行者に渇を入れられた葵はよろめきながら数歩前進した。葵の腰を思いきり叩いた同行者の名は、クレア=ブルームフィールド。赤味の強いブラウンの髪が特徴的な彼女は葵の隣人であり、今は『ご主人様』だった。

(ね、眠い……)

 一睡もしなかったのはさすがに無謀だったと、葵は今さらながらに昨夜の自分を悔いた。しかし、これには止むに止まれぬ事情があった。何といっても昨夜は、壊れた携帯電話が直るかもしれないという希望が見えてきたのだ。

 葵は昨日、この世界へ来てから初めて『機械』らしきものを目にした。それを作ったのはワケアリ荘の住人であるマッドという青年で、葵は藁にも縋る思いで彼に携帯電話の修理を依頼したのだ。しかし修理を依頼するにあたって、またしても『世界の壁』が立ちはだかった。固定電話すらないこの世界には携帯電話などというものがなく、もちろんマッドもその用途すら知らなかった。加えて葵の携帯電話は壊れているのである。いくら『機械』を作った者とはいえ、見たこともない物の修理など出来るわけがなかった。

 そこで葵は、クレアに形状記憶カプセルをもらえないかと頼み込んだ。以前に別の者に頼んで携帯電話を修理しようとした時、それがとても役に立ったからである。しかしクレアは簡単には頷かず、交渉の末、葵は彼女の下僕として働くことになってしまったのだ。葵という小間使いを得たクレアは手始めに、共同生活での当番を全て代われと命令してきた。そのため誰よりも早く起きて朝食の準備をしなければならなかったのだが、いかんせん、葵にはこの世界での時間感覚というものが欠如している。初日から寝過ごしてしまったのでは何を言われるか分からなかったため、仕方なく一睡もしなかったというわけだ。

(でも、このままじゃ体が持たないよ)

 こんな無茶は一日で十分である。そう思った葵は打開策を生み出すべく、クレアの目を盗んでそっと教室へと向かう生徒の流れから抜け出した。

 校舎一階の北辺にある保健室を訪れた葵は、魔法の鍵マジック・キーを使って扉を開けた。マジック・キーにも色々と種類があるのだが、葵が使ったのはアパートに関係する鍵ではない。扉を開けた先は保健室に酷似した部屋になっていて、窓のないその場所では白衣を着た青年が壁向きのデスクに向かっていた。扉が開いたことで彼が椅子ごと振り返ったため、葵は知己である青年に声をかける。

「助けて」

「それはまた、ずいぶんと唐突な申し出だね」

 呆れたような表情をして目を細めた金髪の青年は、名をアルヴァ=アロースミスという。彼はこのアステルダム分校の校医であり、葵の事情を全て承知している唯一の協力者だ。切羽詰った心境の葵は扉の側を離れると、すぐさまアルヴァに詰め寄った。

「みんな朝、どうやって起きてるの」

「落ち着きなよ、ミヤジマ」

 何を言いたいのか解らないと、アルヴァは淡白に葵の発言を切り捨てる。だが話を聞く気はあるようで彼はまず、葵に腰を落ち着けるよう促した。

「それにしても、ひどい顔だな。朝くらい鏡の前に立ってみなよ」

「うっさいなぁ。寝てないんだからしょーがないでしょ」

「確かに、隈がすごいな」

 アルヴァが何の気なしに腕を伸ばしてきたので、葵は不機嫌な表情を作って彼の手を跳ね除けた。だが邪険に扱われても、アルヴァは眉一つ動かさない。平然としている彼は魔法で紅茶を淹れ、それを葵に勧めてから指定席のデスクへと戻って行った。

「それで、さっき言っていたのはどういう意味だ?」

 デスクの引き出しから取り出した煙草に火をつけながらアルヴァが問いかけてきたので、紅茶を一口含んだ葵は喉を暖めながら考えを巡らせた。しかし寝不足の頭ではまともな思考が出来ず、とりあえず思いついたままに言葉を紡いでみる。

「時計っていうもののこと、話したことあったっけ?」

「時を計る道具だと聞いた覚えがある」

「そうそう。私がいた世界では、何をするにも時計って必要だったんだよね」

 朝の目覚めはもちろん、学校へ行く時も友達と約束をする時も、テレビを見る時も、何をするにも『時を計る』ことが必要だった。生まれ育った世界ではタイムスケジュールで動くことが日常に組み込まれていたため、葵にとって時計のないこの世界の感覚は自由すぎるのだ。しかし時計というものが存在しないにもかかわらず、この世界の住人は妙なところで時間の感覚が働いている。トリニスタン魔法学園に生徒が一斉に登校してくることがその一例で、葵はそのことをずっと不可解に思っていたのだった。

「何故って、時を告げる鐘が存在するからだよ」

 葵が疑問を口にすると、アルヴァはアッサリとそれに対する答えを述べた。アルヴァの言う『鐘』には心当たりがあったものの、納得のいかなかった葵はさらに問いを重ねる。

「あんなの、聞こえるのなんて学校の中だけじゃん」

「そうか、ミヤジマには『鐘の番人クローシュ・ガルデ』のことを説明していなかったな」

「何、それ?」

「クローシュ・ガルデっていうのはトリニスタン魔法学園のどこかにあると言われている時を告げる鐘の番人だよ」

「……なんか、すごくアイマイな言い方だね」

「僕も実際に見たことはないからね。でもまあ、時の鐘がどこかにあるって話は本当だろう」

「何で?」

「クローシュ・ガルデが鳴らす鐘の音が実際に届けられているからだよ。ミヤジマも校内で聞いただろう?」

 葵が聞いたのは校内における始業や終業を告げるチャイムだけだが、時の鐘は自宅にいる生徒や教師に学園への登校を呼びかけたりする役目もある。だから実際には学園内でなくとも鐘の音が聞こえるのだとアルヴァは言うのだが、校外で鐘の音を聞いたことのない葵は納得がいかずに眉をひそめた。

「でも私、そんなの聞いたことないよ?」

「それはね、ミヤジマが学園関係者であるという証を持っていないからだよ。それに自力で転移魔法を使うことの出来ないミヤジマには予鈴が届けられても意味ないだろう?」

 トリニスタン魔法学園は魔法に長けた者達がさらなる知識を身につけるために通う、言わば専修学校である。そのためクローシュ・ガルデが発する予鈴も当然のことながら、転移魔法を使って学園へ来ることを前提としている。葵には移動手段が基本的に徒歩しかないため、予鈴を聞いてから家を出たのでは始業に間に合わないのだ。だから葵には『生徒の証』を渡さなかったのだと、アルヴァは言う。冬の間、雪が降る中で汗を滴らせながら登校していたことを思い返した葵は苦笑いを浮かべた。

「確かに、私には必要ないかも」

「この話をしたら欲しがるかとも思ってたけど、ミヤジマにその気がないみたいで嬉しいよ。生徒の証ってやつはちょっと厄介な代物だからな」

「厄介?」

「そう。ミヤジマが持つには、ね」

「ふうん。他にも何か理由があってくれなかったんだ?」

「知りたい? その理由」

「別に、いいよ。それより私は目覚まし時計が欲しいんだってば」

 アルヴァが語らないことの多くは、その内容が彼に都合の悪いことである。それを無理に聞きだしたところでロクなことにならないことをすでに学習している葵は、説明を求めるよりも望みを伝えることを優先させた。しかしアルヴァには単語の意味が通じなかったようで、彼は端整な顔を微かに歪めている。

「メザマシドケイとはどういった物なんだ?」

「あー、そっか。あのね……」

 葵が簡単に『目覚まし時計』の用途を説明すると、あっさりとその用途を理解したアルヴァは似た物を探してくれることを約束してくれた。






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