逆襲

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「あの手のタイプはその気にさせて、本人が気付かないように情報を引き出すのがいいんじゃなかったのか?」

 緩くカーブを描いている廊下の果てに葵の姿が見えなくなるまで見送ってから、オリヴァーは呆れた視線を隣に佇むウィルへと傾けた。オリヴァーと同じく葵の背を見送っていたウィルは、投げかけられた質問に対して目線を上げるだけで答えとする。皮肉っぽい肯定か反論をされるだろうと予想していたオリヴァーは、ウィルが何も言わない違和感に眉根を寄せた。

「ウィル?」

 何を考えているのかと、オリヴァーが問いを重ねることは出来なかった。その理由は背後で扉が開いたからであり、オリヴァーとウィルは反射的に後方を振り返る。するとそこには、話題の主の姿があった。

「そないな所で何しとるんや?」

 保健室から出て来たクレアは廊下に突っ立っているオリヴァーとウィルに目を留めるなり、独特の訛がある口調で話しかけてきた。何をしているのかと問われ、どう答えたものかと迷ったオリヴァーはウィルに視線を移す。しかしウィルはオリヴァーの視線を受け止めることのないまま、クレアに好意的な笑みを向けた。

「それはこっちの科白だよ。ケガでもしたの?」

 クレアがウィルの発言に首を傾げていると、不意に彼女の肩にいる魔法生物が大きく顔を動かした。魔法生物につられるように背後を振り返ったクレアは、保健室と書かれたルームプレートを見て納得したように頷く。

「ちゃうちゃう。人を探しとっただけや」

「その『人』って誰? 愉快なものを見せてもらったお礼に手伝おうか?」

「愉快? 何のことや?」

「昨日の、シエル・ガーデンでの一件だよ。キルにケンカ売る人なんて、この学園には他にいないからね」

「……おたく、カワイイ顔して性格悪いなぁ。あんなんでも一応、トモダチなんやろ?」

「へぇ。編入したばかりなのに、もう僕達の関係まで把握してるんだ?」

「おたくら目立つさかい、勝手に耳に入ってくるんや」

 ウィルの問いに答えながらも、クレアは次第に眉をひそめていった。ウィルの発言が誘導尋問のようだと感じていたのは、どうやら傍で見ていたオリヴァーだけではなかったらしい。

「おたく、さっきから何が言いたいんや?」

 ウィルからの質問が途絶えたのを機に、クレアが率直に本題を切り出した。ウィルの思惑を知りたかったのはオリヴァーも同じだったので、彼の視線もウィルの方へと向く。その場の視線を一手に集めたウィルは笑みを消し、深刻そうな表情になって言葉を次いだ。

「坩堝島の出身だと言っていたから、この国の貴族制度のことをよく知らないんじゃないかと思って。キルにケンカを売るってことがどういうことだか、分かってる?」

「エクランド公爵家に歯向かうことになる、そう言いたいんやろ? そのくらい知っとるわ」

 知っていてキリルにケンカをふっかけたのかと、オリヴァーはクレアの発言に耳を疑った。しかし当の本人はケロリとしていて、淡々と話を続ける。

「せやけどおたくら、嫡流ではあっても嫡子やないんやろ?」

 東の大陸を治めるスレイバル王国の政治体制はロイヤル・ファミリーを頂点とする貴族制度である。この貴族制度においてロイヤル・ファミリーを除く第一位とされるのが公爵の称号を持つ者なのだが、基本的に爵位を名乗れるのは家長一人だけであり、その家族には家長ほどの特権は与えられていない。それでも公爵家の嫡流ともなれば、嫡子ではなくとも二位以下の貴族以上の権威を有している。キリルもそういった立場にある一人なのだが、それは決して貴族でもない少女が公爵家に牙を剥いていいという理由にはならなかった。しかし貴族の実態は知らないのか、問題発言をしたクレアはあくまでも平然としている。

「うちからすると、公爵家の家族いうだけであないにエラそうにしてられることの方が不思議や」

 この言葉はおそらく、傍若無人な振る舞いの多いキリルにのみ向けられたものだろう。だがその言葉には貴族が抱えるデリケートな問題を露見させるのに十分な効力があり、見兼ねたオリヴァーが口を挟んだ。

「そのくらいで……」

 しかし口を出したにもかかわらず、オリヴァーの科白が終わりまで紡がれることはなかった。クレアが背にしている保健室の扉が突然開き、中からウサギが飛び出して来たからだ。唐突な出来事に驚いたのは三人とも同じであり、彼らは猛スピードで廊下を駆け抜けて行くウサギをあ然として見送る。『保健室の主』であるウサギの姿が視界の外に消えると、廊下に佇む三人には奇妙な沈黙が流れた。

「……ほな、行くわ」

 やがて生徒のざわめきが聞こえてきたことをキッカケに、クレアがそう告げて歩き出した。緩いカーブを描いている廊下の先にクレアの姿が見えなくなってから、オリヴァーは恐る恐るウィルの顔色を窺う。

「気にするなよ?」

 オリヴァーのこの言葉の裏には、トリニスタン魔法学園の分校・・に通う公爵家の子供ならではの事情があった。

 トリニスタン魔法学園は王立の名門校だが王都にある本校を除き、その経営は各公爵家に一任されている。分校は言わば、その地を治める公爵家の私財なのだ。例えばアステルダム分校ならば、アステルダム公国を治めているエーメリー公爵家の持ち物、ということになる。だがエーメリー公爵家の子供がアステルダム分校に通うことはない。将来的に家督を継ぐ者は王都の本校へ、それ以外の子供は他公国の分校へ通うことが古くからの習わしだからだ。分校のエリートであるマジスターはそういった嫡子以外の子供達から成り立っていることが多く、アステルダム分校も例に漏れず公爵家の子供の集まりだった。

 以前にアステルダム分校のマジスターを名乗っていたステラという名の少女はカーティス伯爵の息女であり、伯爵家の人間がマジスターの称号を得ていた特例である。キリルはエクランド公爵家の末子であり、ハルはヒューイット公爵家の長男だが家督は彼の長姉が継ぐことになっており、ウィルはヴィンス公爵家の次男だ。オリヴァーだけはバベッジ公爵家の長男なのだが、彼はすでに家督を継ぐことを放棄している。皆、爵位を継ぐ定めにない者達なのだが、ウィルだけは未だに家督を継ぐことを諦めていなかった。クレアの発言はそうしたウィルの気持ちを逆撫でするようなものであり、彼の事情を承知しているオリヴァーはそのことを気にかけていたのだった。しかしウィルは、心を乱された様子もなく平然とオリヴァーを見上げてくる。

「気にするな、と言う方が無理だと思うけど?」

「あの上滑りっぷりからすると、又聞きしたことをそのまま口に出してただけだろ。あの子は貴族じゃないんだ、しょうがないと思ってやろうぜ」

「僕が気にしてるのはそこじゃないんだけどね」

 そこで初めて話が噛み合っていないことに気が付いたオリヴァーはウィルの冷静さに眉をひそめた。無表情を崩したウィルは少女のように華やかな微笑みを、オリヴァーに向ける。

「僕達は嫡流ではあっても嫡子じゃない。あの使用人はそう、言っていたね。それって単に無知だから出来た無謀な発言だと、オリヴァーは思ってるんでしょ?」

「……まあ、平たく言えばそういうことだな」

「でもさ、あの使用人の発言には別の捉え方もあると思うよ」

「別の捉え方?」

「公爵家の家督を継ぐ者でなきゃ怖くない、ってことだよ」

 ウィルの言い分を直訳すると、クレアは実は公爵家の令嬢かロイヤル・ファミリーの一員ということになってしまう。だが彼女は自ら使用人を称しており、さらには出身地まではっきりしているため、その可能性は皆無に等しいだろう。ウィルもそのことは承知しているはずであり、彼の真意がどこにあるのか考えを巡らせたオリヴァーはある結論に行き着いて眉根を寄せた。

「クレアの『主人』が公爵以上の貴族だって考えてるのか?」

「そう考えれば辻褄が合うじゃない」

「まあ、確かに……」

 アステルダムは分校とはいえ、トリニスタン魔法学園は庶民が気軽に入学できるような学園ではないのだ。大陸外の出身者であるクレアにはことさら縁のない場所のはずなのだが、彼女は実際に学園への編入を許可されている。その理由を考える時、公爵以上の貴族が関わっているとするのが一番自然なのだ。それに……と、ウィルは話を続ける。

「そう考えれば、フロンティエールとの繋がりも自然でしょ?」

「ああ……アオイのことか。確かにクレアの主がそういった人なら、フロンティエールと交流があってもおかしくないよな」

 今のところ魔法を使うことが出来ないミヤジマ=アオイという少女は、フロンティエールという国からの留学生なのである。このフロンティエールというのが変わった国で、この国の民は魔法を使うことが出来ないと言われている。情報が断定的でないのはフロンティエールが他国との交流を拒んでいるからなのだが、ともかくそんな国から、ミヤジマ=アオイという少女はやって来た。それも入学してしばらくは身分を伏せていたことから、彼女はフロンティエールの王室関係者だと思われる。彼女がアステルダム分校に編入してきたのもまた、クレアと同じく貴人の意思が働いているからなのだろう。そういった憶測は大いに興味をそそられるものだったが、オリヴァーは再び渋い表情になって言葉を重ねた。

「言いたいことは分かったけど、ウィルは魔法を使えない人間には興味ないんだろ?」

 フロンティエールからの留学生であるアオイも、坩堝島の出身者であるクレアも、個人的に見れば到底トリニスタン魔法学園の水準には達しない。クレアはある程度は魔法も使えるようだが、それも彼女自身の魔力によって使っているのではなく、魔法生物の生み出すレア・アイテムをうまく利用しているに過ぎない。厳密に言えば、この二人の少女はほとんど魔法を使えない状態だと言っていいだろう。オリヴァーの言葉に即座に頷いて見せたものの、ウィルはそれだけでは割り切れないと言って言葉を重ねた。

「今度の休みにでも、たまには実家に帰ってみようかな」

「おいおい……」

 公爵家の情報網をフル活用して、クレアやアオイの背後にいる『貴人』の正体を探る。そこまでしなくとも……とオリヴァーは思ったのだが、視線を傾けてきたウィルはただ薄い笑みを浮かべただけだった。






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