葵とアルヴァがフロンティエールの浜辺に着いたのは、まだ空に日が高く上っていた時分だった。しかしその日がかなり傾いてしまっても、荷物を引き上げに来るような者は浜辺に姿を現さなかった。寝床はともかく、魔法がなければ水も食料も調達することが出来ない。生命の危機を覚えた葵とアルヴァは急いで暮れなずむ浜辺を後にしたのだが、意外にも浜のすぐ側に人里があった。
「た、助かった……」
渇きと飢えを本気で心配していた葵は腰を抜かすほど安堵し、その場に座り込む。それまで緊迫した空気を漂わせていたアルヴァもホッとしたらしく、小さく息を吐く音が頭上から聞こえてきた。
「ミヤジマ、出番だよ」
「出番?」
「水と食べ物を分けてもらわないと。寝床もあると嬉しいね」
「あ、そっか」
できれば布団なりベッドなりで眠りたいのは葵も同じであり、アルヴァの意見に頷いた彼女は気力を取り戻して立ち上がった。
フロンティエールに着いて初めて訪れた人里は、町というよりも村だった。高床式の開放感溢れる住居が立ち並ぶ村の眺めは、まるでどこかのリゾートにでも来たような気分を呼び起こす。人々が纏っている色鮮やかな民族衣装もその雰囲気を助長させていたが、ここはリゾートのように外部の人間が保養で訪れる場所ではないのだ。マント姿という明らかな旅装をしている葵とアルヴァは自然と人目を引いてしまい、気がついたときには村人達に取り囲まれていた。
「ミ、ミヤジマ。彼らは何て言ってるんだ?」
四方八方から村人に声をかけられているのだが、アルヴァには彼らの言葉を理解することが出来ない。そのため珍しく不安な表情で葵に助けを求めてきた。しかし村人達に取り囲まれて平静さを失っているのは葵も同じことである。こういったシチュエーションに嫌な思い出があるだけに、葵は恐怖を感じながらアルヴァからの問いかけに答えた。
「え、えと、どこから来たんだって」
「ゼロ大陸からだって、早く答えなよ」
「あ、そっか」
アルヴァに促されたことで自分が成すべきことを認識した葵は、集って来ている村人達に向かって『ゼロ大陸から来た』という旨を告げた。すると次の瞬間、群集からは「おおー!」という喚声が上がる。その反応が何を意味するのか分からなかったため、葵はビクリと体を震わせた。しかし村人達の顔には笑みが満ちていたため、悪い反応ではないのだと察した葵は密かに胸を撫で下ろす。するとどこかで、宴会だという声が上がった。
「宴会?」
首を傾げた刹那、葵は近くにいた少女に手を引かれた。同時に背中からも押され、否応なしに歩き出す。それはアルヴァも同じだったようで、二人はあっという間に村の広場へと連れて行かれてしまった。
「なんか……すごいことになったね」
土の上に敷いた筵の上に座らされた葵は、目の前で着々と進む宴の準備を眺めながらアルヴァに話しかけた。隣で腰を落ち着けているアルヴァも宴会の準備に興味があるようで、目線は前方に固定したまま話に応じる。
「これは歓迎の宴……なのか?」
「そうみたいだけど、何で歓迎されるのかよく分からないね」
「訊いてみればいいじゃないか。ミヤジマは言葉が通じるんだから」
アルヴァがそんなことを言ったところにちょうど、葵と同年代くらいの少女が飲み物を運んできた。銅で作られた杯の中身が果実酒だと聞き、飲酒をしたことのない葵は自分の杯もアルヴァに渡す。杯の中身をアルヴァに説明してから、葵は少女へと向き直った。
「お水、ください」
「あら、飲めないの? 特別なお酒なのに、残念」
「特別?」
「そうよぉ。お客様が来た時は特別なお酒と特別な料理でおもてなしをするの。って言っても、お客様が来たのなんて初めてだけどね」
葵にニコリと微笑みかけると、少女は傍を通りかかった女性が持っていたトレイから水差しを抜き取った。透明な液体で満たされているそれを葵に渡すと、少女は再び笑みを浮かべる。
「ゆっくりしていってね」
葵だけでなくアルヴァにもそう言い置くと、少女は再び村人達の輪に溶け込んでいった。葵はしばらく彼女の姿を目で追っていたが、アルヴァから視線を向けられていることに気がついて顔を傾ける。
「ゆっくりしていってね、だって」
「何故これほどまでに歓迎されているのか、その理由は聞き出せた?」
「うーん、お客様が来た時は特別なお酒と料理でもてなすんだって言ってたけど、それかな?」
「それだと、外からやって来た者なら誰でも歓迎するってことになるよ」
「お客さんが来るのは初めてだって言ってたよ。だからかな?」
「初めて、か……」
独白を零すと、アルヴァは何やら考え事を始めたようだった。アルヴァが自分の世界に入ってしまったので、彼から視線を外した葵は賑やかな人々に目を向ける。しばらくぼんやりと眺めていると、やがて杖をついた老人が従者を連れてこちらへと向かって来るのが見えた。
葵とアルヴァがいる筵に進入してきた老人は、この村の長老なのだと言った。彼はしきりに外の世界の様子を尋ねてきて、こちらからの質問にも気軽に応じてくれる。その気さくな人柄に警戒心は薄れていったものの、アルヴァと長老の通訳に終始していた葵は宴会を楽しむどころではなく、宴もたけなわという頃には一人でぐったりしてしまっていた。
「そろそろお休みになられますか?」
長老がそう尋ねてきたので、葵は即座に頷いた。葵がいないと言葉が通じないため、アルヴァもそこで引き上げることにしたらしい。主賓が退席してしまうと宴も自然と散開となり、村人達は後片付けを始めたようだった。
寝所が別々に用意されていたため、アルヴァと別れた葵は窓どころか壁すらもない部屋で
(いろんなこと、考えてるんだなぁ)
旅立つ前にマントを準備したのはアルヴァである。それはきっと、こういった事態に陥った場合を想定してのことだったのだろう。どこかその辺りで同じように眠りに就こうとしているであろうアルヴァの姿を思い浮かべた葵は、その思慮の深さに感心した。
アルヴァはいつも、葵の思いが及ばないところで計算を働かせている。しかし未開の地であるフロンティエールでは、やはり勝手が違うらしい。ここでは言葉が通じる分、葵が彼をリードしているのだ。それはゼロ大陸では絶対に味わえない優越感であり、ニヤリと笑った葵は口元に笑みを残したまま目を閉じる。疲れていたのですぐに眠りに落ちそうな雰囲気だったのだが、誰かがハシゴを上ってきたので葵は体を起こした。
葵の寝所に侵入してきたのは、この村の少女達だった。葵とアルヴァに飲み物を運んでくれた少女を含め、十数人ものグループでやって来た彼女達の目的は、どうやら外の世界の情報を得ることのようだ。そのため葵は、様々なことを根掘り葉掘り質問された。特に彼女達の関心が高かったのは、やはりファッションと異性のことだった。少女達が一様にアルヴァのことをカッコイイと言っていたので、またかと思った葵は苦笑いを浮かべる。
(まあ、うん、見た目は確かにカッコイイよね)
出会った当初は葵も芸能人のようなアルヴァの容姿に見惚れていた。だが彼の内面を知るたびに異性としての魅力は薄れていき、今ではもうカッコイイと感じる瞬間さえ非常に稀な出来事になってしまっている。普段はそうした考えすら口に出すことは出来ないのだが旅先ということもあり、葵は少女達に本音でもって応えることにした。
「でもあの人、性格悪いよ?」
「え〜? そうなの?」
「じゃあ、どうして付き合ってるの?」
そこで初めてアルヴァと恋人同士に見られているらしいと知った葵は全力でそれを否定した。葵とアルヴァが恋人ではないと分かると、心なしか少女達の目つきが変わったように思う。まずい雰囲気を察した葵は少女達の妙な気を殺ぐために、慌てて言葉を付け加えた。
「私は違うけど、アルには恋人がいるから」
それも、二十五人も。葵がそのことをバラすと、少女達は何故か先程よりも意気込んでしまった。普通は引くだろうという感覚を有している葵は、彼女達の思考が理解出来ずに首を傾げる。
「イヤじゃない? そんなの」
「どうして?」
「だって、自分だけじゃないんだよ? 好きな人が自分以外の女の子も見てたらイヤでしょ」
葵の意見は少女達に贅沢の一言で片付けられてしまった。葵がもともと住んでいた日本や、この世界のゼロ大陸などは一夫一妻だが、どうやらフロンティエールでは一夫多妻が普通らしい。アルヴァのやっていることは一夫多妻と同じことなので、フロンティエールの少女達には違和感なく受け入れられるようだ。しかし葵は、やはり眉根を寄せて空を仰ぐ。
「私には無理だなぁ」
「でもでも、王子に会ったら考え変わっちゃうかもよ?」
「王子? カッコイイの?」
こういった話題が嫌いではない葵は気分を変えて食いついた。すると少女達は一様に頷いて見せる。即答するタイミングまでもが揃っていたので、彼女達はそうとう王子に心酔しているようだ。
(王子、かぁ……)
貴族と呼ばれる人なら腐るほど見てきているが、王子という存在にはまだお目にかかっていない。どんな人種なんだろうと思いながら、葵は王子の話で盛り上がっている少女達の会話に耳を傾けていた。
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