カエルのおじいさま

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「へ〜。ハルモニエってそういう役職? なんだ?」

 幽閉された先で立派な口髭をたくわえたカエルと出会ってから様々な話を聞いた葵は、彼から与えられた真新しい知識に関心を示していた。ハルモニエとは世界の調和を護る役割を持つ人物のことで、このカエルはどうやら精霊達の先代の王様らしい。

「ところで、何でカエル?」

 精霊は本来、人間が認識するような『形』を有さない存在である。その精霊が人間の前に姿を現す時、彼らは人間が認識しやすいように形をつくってくれる。つまり彼らは何にでも姿を変えられるのだが、選んだのが何故カエルだったのか。身分のある人なのだから王様然としている方がいいのではないかと葵は思ったのだが、カエルはもう姿を変えられないのだという答えを寄越してきた。

「儂はすでに引退した身じゃ。大した力は残っておらぬのよ」

「そうなんだ? でも、浮いたりとかしてるよね。あれって魔法とは違うの?」

 フロンティエールは魔法を使うことが出来ない国だ。ゼロ大陸ではエリートと呼ばれる魔法使いであっても、この国では魔法を封じられてしまう。しかしカエルの話によると、それは人間にのみ働く作用であるらしい。精霊には関係のないことだと知って、葵は淡い期待を胸に抱いた。

「じゃあさ、私をここから出してくれちゃったりとか……出来ない?」

「今の儂にそれほどの力はない」

「……そっか」

 やはり簡単にはいかないかと、葵は肩を落とした。失意を感じると同時に眠気が蘇ってきて、口元を手で隠した葵はあくびを零す。

(そういえば、昨夜は寝てないんだった)

 昨夜は朝になるまで埒の明かない押し問答を繰り返して、大変だったのだ。少し寝ないと身がもたないと感じた葵はカエルにその旨を伝え、窓辺を離れる。ベッドに腰かけてから窓辺を振り向いてみると、そこにはもうカエルの姿はなかった。

(どこかに行ったのかな?)

 この部屋から出られる手段があるのならば是非とも同行させてもらいたいものだが、カエルにも色々と事情があるのだろう。精霊という存在を人間と同じに考えても仕方がないと、またあくびを零した葵はベッドに横たわった。目を閉じるとすぐにでも眠りに引き込まれそうだったが、扉の方から異音が聞こえてきたために重い瞼を持ち上げる。体を起こしてみると扉を背に女性が佇んでいて、目をこすってから再び彼女の姿を瞳に映した葵はベッドから飛び下りた。

「リンさん!」

 訪ねてきたのは王宮で侍従長をしているリンという女性だった。ドロケイのことでこっぴどく叱られた相手でもあるが、今はそんなことが気にならないほどに彼女の存在が嬉しい。これでようやく外に出られると思った葵は早口で自分が置かれている状況を説明したのだが、無表情のままのリンからは反応が返ってこなかった。

「あの……?」

 いつまで経っても返事がなかったので首を傾げると、リンはいきなり手にしていたバスケットを投げつけてきた。とっさに顔は庇ったものの、予想だにしなかった痛みを感じた葵は放心してしまう。リンの無表情はすでに崩れていて、彼女は火がついたように叫び始めた。

「何故、何故あなたなのですか!!」

 リンの怒声には葵を非難する響きがあったが、葵には彼女が何を言っているのか分からなかった。それでもリンは、一方的に声を荒らげ続けている。そのうちに、彼女がジノクのことを言っているのだと気がついた葵はハッとしてリンの腕を掴んだ。

「落ち着いて!」

 葵が顔を寄せながら叫ぶと、リンはビクリと体を震わせた。どうやら正気には戻ってもらえたようで、リンの顔が羞恥に歪んでいく。

「わ、わたくしは何てことを……」

 葵から顔を背けるようにして視線を落としたリンは、拘束から抜け出すと床に散らばったものを片付け始めた。バスケットの中身はタオルやシーツ、それに食べ物で、それらは彼女が何のためにここへやって来たのかを物語っている。おそらくはジノクに命じられて、葵の世話をしに来たのだろう。

「ねぇ、リンさん」

 葵が改めて口火を切ると、こちらに背を向けているリンの体が明らかな動揺を見せた。それは何を問いかけられるのか理解している者の反応で、彼女の背中は葵が言葉を続けることを拒んでいる。さすがに直接的な問いかけは酷かと思い、葵は慎重に言葉を選びながら話を続けた。

「私、ここから出たい。出して、もらえない?」

「……それは、無理です」

「何で?」

 ここから逃げ出したい葵と、おそらくは葵に消えて欲しいと思っているリンの利害は一致している。そう思ったからこその提案だったのだが、どうやらリンは彼女一人でここへ来たわけではないらしい。この塔はすでに、ジノクの側近によって監視されている。リンの口からそうした情報を聞き出した葵は慌てて窓辺に寄った。窓から身を乗り出して周囲を窺うと、確かに塔の周辺には監視と思われる男達がウロウロしている。ここまでするかと、葵はジノクの執念に絶句してしまった。

「……ジノク王子はあなたを妃にすると、国王にご報告していました。他に妃はいらないから、あなただけが欲しいと……!」

 淡々としていた口調はすぐに崩れ、リンの声音は低く暗く沈んでいった。つい先刻、彼女の激情を目の当たりにしている葵はジノクとは別のプレッシャーを感じて頬を引きつらせる。おそるおそる振り向いてみると強い輝きを露わにしたリンの瞳とぶつかって、抜き差しならない状態にあることを直感した葵は真顔に戻って彼女の元へ寄った。

「私は、王子とは結婚しない」

「絶対ですか?」

「うん。結婚はちゃんと恋愛してからしたいし、こうやって一方的に押し付けられるのはすごくイヤ」

「本当に、本気でそう思っているのですね?」

「うん。だから、協力して?」

「……分かりました」

 そこでリンが面から感情を消したので、気を張っていた葵はホッと胸を撫で下ろした。

「今、王宮はどんな感じになってるの?」

「すでに結婚式の準備が始まっています」

「はあ?」

 あまりにも奇天烈なジノクの行動に葵は本気でビックリして、そして呆れてしまった。まだ相手の承諾も取り付けていないのに、どうしてそこまで先走れるのか。

(頭が痛い……)

 寝不足も手伝ってズキズキと痛み出したこめかみを、葵は指で押さえつけた。しかし、こんな痛みには負けていられない。こちらから動かなければいつまで経っても、この悪夢のような現実から抜け出せないからだ。

(結婚式の準備を始めてるってことは、たぶんアルやレイの耳にも話は届いてるよね)

 優秀な彼らのことだから、その辺りの情報収集はぬかりないだろう。あとは幽閉されている場所さえ分かれば助けに来てくれるのではないか。そう信じたかった葵は次の言葉を待っているリンに目を据えた。

「今は逃げ出すのが無理なら、とりあえず私の連れにこの場所のことを教えてくれる? あの人達ならたぶん、それで何とかしてくれると思うから」

「分かりました」

 床にぶちまけてしまった食べ物の代わりを取りに一度王宮へ戻ると言い置いて、リンは部屋を出て行った。外側から鍵を閉めるようなカチャンという音を耳にして、一気に緊張が解けた葵は脱力してその場に座り込む。

(こ、怖かった)

 バスケットに果物が入っていなかったことを幸運だったと思うほどに、リンの瞳は本気だった。彼女は本気で、あの王子に惚れているのだ。

(どこがいいんだろう……)

 分からないと呟きながら立ち上がった葵は今度こそベッドに潜り込む。目を閉じると強烈に焼きついたリンの顔が蘇ってきてなかなか寝付けなかったが、それでもしばらくすると葵の意識は眠りの海に溶けていった。






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