幽閉の君

BACK NEXT 目次へ



 望まない結婚を明日に控えた夜、いつものように月が昇ってからやって来たジノクを葵は重苦しいため息でもって迎えた。

「私、結婚するなんて一言も言ってないんだけど」

「余がそう決めたのだ」

 文句を言ってみても返ってきたのはお決まりの言葉で、葵はもうダメだと思った。この王子に言葉は通じない。ならば自力で脱出するしかないと腹を決めた葵はまだ何事かを喋っているジノクの言葉を聞き流し、その方法について考えを巡らせ始めた。

(リンさんの話だと、塔の下には見張りがいるんだよね。だったらやっぱり、隙を見て窓から出るしかないかぁ)

 窓からの脱出は最終手段だったのだが、こうなってしまってはもう仕方がない。その準備をするためにも早くジノクを追い返したかった葵は、今度はそのための手段を考え始めた。

「ミヤジマ、聞いているか?」

 ふとジノクの顔が視界に入ってきたため、よそ見をしていた葵はハッとした。急に慌て出した葵を見て、ジノクは「仕方がないやつ」とでも言いたげに息を吐く。

「レイチェルがな、式の前にそなたと話がしたいというので連れて来た。余はもう王宮に戻るが、あまり長話をせぬようにな」

 明日は結婚式なのだから今夜はちゃんと眠っておけと葵に言い置いて、ジノクは帰って行った。入れ替わりに金髪の美女が姿を現したため、久しぶりに彼女と対面した葵は喜びを露わにする。

「レイ!」

 後に「来てくれたんだ」と続けようとしたのだが、葵の言葉は伸びてきたレイチェルの手によって遮られた。葵を黙らせると、レイチェルは迷いがない様子で窓辺へと向かって行く。いつものアップスタイルではなく一つに結んでいる髪を胸元へ垂らしている彼女は何だか雰囲気が違っていて、葵は目を瞬かせた。

「……アル?」

 はっきりとした確信があったわけではないのだが、葵は自分でも気付かないうちに感じたことを言葉にしてしまっていた。いくらアルヴァが弟とはいえ、男に間違えるのは失礼すぎる。そう思った葵はハッとして口元を押さえたのだが、口を開いたレイチェルから零れたのは女の声ではなかった。

「すぐに分かってしまうなんて、さすがだね」

 皮肉っぽい口調は紛れもなくアルヴァのもので、葵はまじまじと窓辺で作業をしている彼を見つめてしまった。光源が月明かりだけなので、それほど鮮明に顔が見えるわけではないのだが、窓辺にいる人物のフォルムは丸みを帯びていて、シルエットが非常に女らしい。先程の口ぶりから察するに、王子などは彼がレイチェルだと信じきっているようだ。いくら姉弟で顔が似ているとはいえ、それほど完璧に女装など出来るものなのだろうか。どうやって騙したのか半信半疑だった葵は、アルヴァに呼ばれて月明かりが差し込む窓辺に行くと、自分の考えを否定せざるを得なかった。

「うわぁ……そっくり」

 どうやらアルヴァは化粧までしているらしく、形のいい口唇が薄っすらと色づいている。また平素はかけていないメガネまで着用しているため、髪型は多少違っても、その見目はもうほとんどレイチェルだった。葵が「キレイ」だとか「似合う」などと言ったためか、アルヴァはおもむろに不機嫌な表情をしてメガネを引き抜く。

「そんなことはどうでもいいから、脱出するよ」

「どうやって……って、聞くまでもないか」

 アルヴァはすでに窓から脱出するためのロープを用意していて、もはやそれしか方法がないと思っていた葵もため息をついた。ここから脱出出来なければ、明日には好きでもない相手と結婚させられてしまうのだ。そう思えば、嫌でも気合いが入る。

「はい」

 何かを渡されたので受け取った葵は、それが手袋であることを知って首を傾げた。アルヴァも同じような手袋をはめていて、これが摩擦を軽減してくれるのだと言う。

「僕が先に下りるから、ミヤジマは後から来て。落ちて来たら受け止めるから、安心しなよ」

 冗談ともつかない不吉なことを言い残し、ロープを垂らしたアルヴァは颯爽と窓辺から姿を消した。窓から身を乗り出して見てみると、体にロープを巻きつけたアルヴァは塔の壁を使って器用に下へと降りて行く。地に足を着いたアルヴァは自らの体に巻きついていた縄を解き、葵にロープを巻き上げるようジェスチャーで指示を出した。ロープを手にした葵はそれを体にしっかりと巻きつけ、手袋をはめてから窓枠に足をかける。しかしいざ外へ出ようとすると思いのほか風が強く、やはり地上は遠かった。

(こ、怖っ……!)

 下を見てしまったことで恐怖に駆られた葵はその場から動けなくなってしまった。逃げなければいけないことも、時間がないことも分かっている。だが足が、震えてしまって言うことを利いてくれないのだ。

(何でアルは、あんな簡単そうに出来るわけ?)

 ゼロ大陸では魔法で簡単に人間が空を飛ぶ。おそらくアルヴァにとっても、ロープを使って降下するなど初めての体験だっただろう。にもかかわらず彼は、初めてのことを事も無げにやり遂げてしまうのだ。対する葵は、同じ状況下にあっても一歩を踏み出すことさえ出来ずにいる。これが凡人とエリートの差なのかと、今考えずともいいようなことを考えている自分に気がついた葵はハッとして現実逃避を打ち切った。

(いざって時はアルが受け止めてくれるって言ってたし……)

 きっとそのために、彼は先に下りたのだ。アルヴァのことを信じることにした葵は大きく息を吸うと、空に背を向けて降下を開始した。しかし一階分は降下したかという頃、突然ミシミシという耳障りな音が聞こえてきた。「えっ?」と思ったのも束の間、ロープの重みを感じなくなった葵の体は宙に放り出される。

「ミヤジマ!!」

 アルヴァの声を聞いたような気がしたが、それが現実のものだったのかどうか定かではない。ただ気がついた時、葵は彼を下敷きにして倒れていた。慌てて体を退けてみてもアルヴァが起き上がってこなかったため、焦りを覚えた葵は彼の傍らにしゃがみこむ。

「アル……?」

 声をかけても、体を揺すっても、頬を叩いてみても、アルヴァは目を開けなかった。

(どうしよう、どうしよう……!)

 パニックになってしまった葵の頭に浮かんだのは『救急車』という発想で、無意識のうちに携帯電話を探しているところで我に返った。

(とにかく、人を……)

 誰かに助けを求めなければと思った葵は複数の人間の話し声を耳に留め、必死に声が聞こえた方向へと走った。そこにいたのはジノクと、おそらくは見張りと思われる男達で、どうやら彼らはこちらに向かって来ようとしていたようだった。彼らは一様に驚いた表情をしていたが、そんなことに構っている余裕のなかった葵は手近にいた男に縋りつく。

「アルを助けて!!」

 とにかくアルヴァを救おうと必死だったのだが、葵は何故か助けを求めた先で拘束されてしまった。信じられない展開に目を見開いた葵の前で、ジノクがリンに鋭い視線を向ける。

「様子がおかしいとは思っておったが、そういうことか」

 ジノクの冷たい瞳はリンを非難していて、リンは月明かりの下でも分かるくらいに青褪めてしまっている。アルヴァの負傷だけでも追いつめられていたのに、さらにはリンが詰られる場面を目撃してしまったことで、葵の頭からは理性というものが吹き飛んでいった。火事場の馬鹿力で拘束から抜け出した葵は、怒りに任せてジノクの頬を張る。パシンという小気味いい音が、その場に響き渡った。

「もういい!!」

 しりもちをついてしまったジノクに向かって吐き捨てると、葵はアルヴァの元へと踵を返した。アルヴァの意識はまだ戻っていなかったが、葵が何度か呼びかけると彼は薄っすらと目を開いた。

「アル! 大丈夫!?」

「ミヤジマ……?」

 目は開いてくれたものの、その焦点は合っていない。とにかく移動をしなければと思った葵はアルヴァの体を起こそうと四苦八苦した。そのうちに誰かに肩を叩かれ、振り返った先で目にした人物に葵は驚愕する。

「レイ?」

「女性一人の力では無理です。手を、貸していただけますか?」

 科白の後半は葵ではなく誰かに向けて、ショートカットになってしまったレイチェルは静かに言い放った。彼女が見ている方向へ目を向けた葵は、フロンティエールの男達がこちらへ向かってくるのを目に留めた。彼らが力を貸してくれたので、葵はホッとしてアルヴァから離れる。アルヴァが運ばれて行くのを見送っていると、今度はジノクとユアンが話をしているのが目に留まった。

「僕はゼロ大陸を治めるスレイバル王国の王位継承者、ユアン=S=フロックハートです。今回の出来事についてフロンティエール国王と改めてお話しさせていただきたいと思っていますので、ジノク王子もご同席願えますか?」

 ここでユアンが身分を明かすことにどういった意味があるのか葵には分からなかったが、頬に手を当てているジノクは険しい表情で話を聞いている。傍へ来たレイチェルが「もう大丈夫」であることを口にしたので、どうやら王子の暴走はここまでのようだ。

「遅くなってしまい、申し訳ありません」

「ううん。それより、アルが……」

「アルヴァなら大丈夫です。わたくし達も王宮へ戻りましょう」

 レイチェルが動じることなく「大丈夫」と言ってくれたことで安堵した葵は、彼女に促されるまま歩き出した。






BACK NEXT 目次へ


Copyright(c) 2012 sadaka all rights reserved. inserted by FC2 system