嵐、到来

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 ジノクとのやりとりにげんなりしていると、ふと違和感を覚えた。言葉にし難い、非常に感覚的な変化を感じ取った葵はジノクの腕の中で顔を傾ける。刹那、何か『変な感じがした』場所に人間が現れて、驚いた葵は目を瞠った。

(何でマジスター……がっ!!)

 呑気に疑問を抱いていた葵は自分が置かれている状況を思い出し、慌てずにはいられなかった。

「いいかげん離してよ!」

「ん? 人目があるのだからまだ良かろう?」

「だ、ダメ! 今はダメ!!」

「では、余の名前を呼んで可愛く『お願い』してみろ。さすれば離してやろう」

「分かった! 分かったから!! 離して、ジノク!」

 とても可愛いお願いの仕方とは言えなかったが、葵が名前を呼んだことに満足したのかジノクは手を離した。解放された葵は瞬時に後方へ飛び去り、チラリとマジスター達の様子を窺う。すると案の定、彼らは一様にあ然としていた。

(よりにもよってマジスターに見られるなんて)

 何故だかよく分からないが、彼らに醜態を目撃されたことが泣きたくなるほど恥ずかしい。穴があったら入りたいと真っ赤になった顔を手で覆い隠した葵は、何かが切れるようなぶちっという音を耳にして我に返った。

(な、なんか……)

 不穏な空気というか、異常気象というか。放電しているのかと思うくらいピリピリとしている室内の温度が、異常に上がっている。熱源と思われる場所に視線を傾けた葵は、そこでキリルの明らかな変化を目にして顔色を変えた。キリルの体から発されている強い魔力が、炎のようにメラメラと燃えている。それは決して比喩ではなく、実際に彼から炎が立ち上っているのだと認識した葵は目をこすってから改めて瞠目した。

「……っ、めぇ!!」

 語尾上がりの怒声を発した直後、鬼のような形相をしたキリルがジノクに向かって行った。

「わー!! キル!!」

 やめろと絶叫しながら、オリヴァーが慌ててキリルに取り縋る。ジノクはキョトンとして、いきり立っているキリルと必死にそれを抑えているオリヴァーを見上げていた。そこに廊下から「何事や」と叫びながらクレアまで姿を現したので、事態はさらに混濁を極めていく。

(助けて、アル……)

 無意識の呟きが妙案を閃かせ、葵はポンと手を打った。

「私、ちょっとアルのとこ行ってくる」

 このよく分からない混乱からさっさと抜け出したかった葵は後をクレアに任せるつもりで彼女にそう告げた。丸投げされたクレアは特に何も言わなかったのだが、扉へ向かって歩き出した葵は誰かに首根っこを捕まえられてしまった。振り返ってみるとウィルがいたので、「げっ」と呟きを零した葵は顔をしかめる。

「混乱の原因がどこ行く気?」

「は?」

「誰のせいでキルがあんなことになってると思ってるの?」

「……もしかして、私のせいなの?」

 オリヴァーに羽交い絞めにされながらもまだ暴れているキリルに視線を移した葵は頬を引きつらせた。何を今さらといった風にため息をついているウィルに、横からクレアが話しかける。

「何があったんや?」

「僕達が見たものを断片的に説明するより、アオイに最初から分かりやすく説明してもらった方が状況が分かると思うよ」

 ウィルの発言を受けてクレアまでもが顔を傾けてきたので、逃げ出すことを諦めた葵は頷いて見せる。葵の首根っこを捕まえていたウィルはパッと手を離し、自由になった両手で渇いた音を立てた。

「はいはい、そこまで。キル、アオイがちゃんと説明してくれるって」

 ウィルがそう言うと、それまで獣のように暴れていたキリルがピタリと動きを止めた。それを見てクレアが「猛獣使いになれるで」と独白を零していたので、葵も苦笑いを浮かべながら同意する。その後、無駄に広いサンルームで円を描いて座した一同に、葵は何かを説明する羽目になったのだった。

「えっと……何を説明すればいいの?」

 実は肝心なことが分かっていなかった葵は話し合いの姿勢が整うなりウィルに助言を求めた。ウィルは人差し指で、葵の横に座しているジノクを差す。

「まず、彼は誰?」

「余はフロンティエールの王子だ」

 フロンティエールの王子という立場を公言しても問題ないのかどうか、葵が考えを巡らす間もないほど素早く、ジノクが勝手に自己紹介を終えた。ギョッとしたのは葵だけでなく、オリヴァーとウィルも目も剥いている。

「フロンティエールの……王子?」

「ってことは、アオイの婚約者とか?」

 オリヴァーが発した『婚約者』という言葉に、キリルの眉がピクリと動いた。キリルの変化には気付かなかったが、葵は全力でオリヴァーの言葉を否定する。

「そういうのじゃないから。ただの、知り合い」

「余は婚約者でも構わない」

 隣に座っていたジノクがすり寄って来たので、不穏な気配を察した葵は慌てて身を引いた。それでもなおジノクが迫って来るので、彼の顔を手で思いきり押し退ける。

「人前でならいいと言ったではないか」

「今はダメ! 大人しくしてなさい! それと余計なこと言わない!」

 葵が一息に捲くし立てると、叱れたジノクはしゅんとして黙り込んだ。まるで犬の躾のような現場を目撃した一同は微妙な反応をしていたが、ジノクが大人しくなったことでホッとした葵はそれに気付かずに話を進める。

「で、何だっけ?」

「婚約者じゃないのは分かったけど、何でフロンティエールの王子がこんな所にいるの?」

 しかもトリニスタン魔法学園の制服を着て。ウィルが不審げな表情でそう言うので、葵は彼がアステルダム分校に編入してきたことを明かした。

「殴らなくて良かったね、キル。他国の王子なんか殴っちゃったら外交問題だよ」

 ウィルが仲間に向かって放った一言にオリヴァーは頬を引きつらせ、キリルはそれでもツンとそっぽを向く。それに対して反応を示したのは殴りかかられていたことを分かっていなかったジノクと、彼と一緒に二年A一組にやって来た従者の男だった。

「そなた、余を殴るつもりだったのか?」

「王子に狼藉を働こうとするとは、許せません」

 ジノク本人よりも従者の男の方が憤慨していたので、葵は慌てて仲裁に入ろうとした。しかしクレアの方が行動が早く、すでに従者の男の腕を掴んでいる。

「ここにおる連中はこの国の貴族や。下手に手ぇ出そうもんなら、それこそ外交問題になってまうで?」

「ビノ、良い。黙っておれ」

 クレアはともかく、さすがに主人に言われてしまえば従わざるを得ない。ビノと呼ばれた男は悔しそうに唇を噛み、そのまま口をつぐんだ。

「知り合いだった?」

 クレアのビノに対する態度がどことなく親しげに感じられたので、葵は話が途切れたところで疑問をぶつけてみる。するとクレアは「まさか」と言い、小さく肩を竦めて見せた。

「さっきお嬢……ちゃうわ。アオイが、王子さんと出て行ったやろ? その後、取り残されたうちとビノさんで状況を確認し合っとっただけや」

 実はクレアとビノは教室を飛び出した葵達の後を追って来ていて、先程まではサンルーム前の廊下で話が終わるのを待っていたらしい。そこで少し言葉を交わしたことで、どうやら親しくなったようだ。立場は違えど共に主のいる身として、苦労話などで気が合ったのかもしれない。ビノと目が合ったので軽く頭を下げた後、葵はクレアを示してジノクを振り返った。

「紹介、まだだったよね? 私の友達のクレア」

 話題を振られると、ジノクは嬉しそうに顔を輝かせた。そしてその好意的な微笑みを、そのままクレアへと向ける。

「余はジノクだ。よろしく頼む」

「初めまして、ジノク王子。わたくしはクレア=ブルームフィールドと申します」

「ああ、形式ばらずとも良い。ミヤジマの友人ならば余の友人も同じだ。そなたもジノクと呼んで良いぞ」

「では、お言葉に甘えさせていただきます。 ……話には聞いとったけど、ジノクはアオイが大好きなんやな」

「ああ、愛している!」

 話に加わらない間に勝手に紅茶を淹れて一息ついていたマジスター達が、ジノクの爽やかな「愛している」宣言にむせ返った。一番酷かったのがキリルで、彼は口から紅茶を吹いてしまったのだが、それは吹きかけられる被害者を生むことなく霧散する。再び室温が上がった気がするのは、きっと気のせいではないだろう。






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