「……ジノク、お願いだからそーゆー恥ずかしいことを人前で堂々と言わないで」
フランクな愛情表現をしない日本人で、しかもまともに男女交際をしたこともない葵には、いささかジノクの愛情表現は過激だ。しかし葵の照れ臭さは火に油を注いだだけだったらしく、言い付けを破ったジノクが「カワイイ」と言いながら抱きついてくる。葵がジノクを引き剥がそうと躍起になっていると、またしてもぶちっという何かが切れる音が聞こえてきた。
「っ、てめーら!! さっきからイチャイチャイチャイチャしやがって!!」
怒号と共にキリルが立ち上がった途端、ごうっと熱波が押し寄せてきた。あまりの熱さに驚いたのは葵だけではないようで、先程まで葵にベタベタしていたジノクも慌ててその場から飛び退く。しかし葵とジノクが離れても、キリルの怒りはまだ治まらないようだった。
「キル、落ち着け!」
「っていうかさ、羨ましいならキルも同じことすれば?」
それまで灼熱地獄だった室内が、ウィルの冷然とした一言で瞬時にして氷点下まで冷やされた。
「何言ってんだ?」
「何言ってんの?」
冷ややかな沈黙を同時に破ったのがキリルと葵で、そんなことにもまた気まずさが増していく。しかしウィルはあくまで平然と言葉を重ねた。
「だから、そんなにジェラシー燃やすくらいなら王子様と同じことをアオイにしちゃえば? って言ってるんだけど」
ハグくらいどうってことないでしょと、ウィルは気軽に言う。絶句した葵は開いた口が塞がらなくなってしまった。まさかウィルの口車に乗せられないだろうなと、危惧した葵はキリルに視線を傾ける。するとキリルもちょうどこちらを振り向いたところで、目が合ってしまった。あまりの気まずさに耐え切れず、お互いすぐに顔を背ける。その様子を見て、クレアまでもが大袈裟なため息をついた。
「話がちっとも進まんからはよ済ませぇや」
「えっ!? ちょっと、クレア!」
「ほら、キルも。早くしなよ」
「ウ……やっ……」
クレアにぐいぐいと背を押されている葵よりもウィルに引きずられて来るキリルの方がてんぱっているようで、もはや抵抗が言葉になっていない。無理矢理引き合わされた葵が恐る恐る目を上げると、キリルの混乱は頂点に達してしまったようだった。活火山のように頭から湯気を噴いたキリルは早口で呪文を唱え、その場から姿を消す。消え去る間際のキリルがあまりに真っ赤だったので、彼ほどは動揺していなかった葵は別の意味であ然としてしまった。
(真っ赤っか……)
あそこまで露骨な反応を目の前でされれば、もしかしてと思うくらいには惚れられている自覚も湧いてくる。もしかして、彼は本当に自分を意識しているのではないだろうか。かなり今さらながらにそう思った葵は、しかしどうしようもないと小さく首を振った。
「ミヤジマ、あの甲斐性のない男はそなたの何なのだ?」
クレアとウィルが強引にハグをさせようとしても黙していたジノクが、ここでようやく口を挟んできた。何と言われても答えに困ると思った葵は、とりあえずこの場に残ったウィルとオリヴァーの紹介をする。
「で、さっきの黒髪の人はキリル=エクランドっていって……」
「アオイに惚れとるんや」
「クレア!」
「本当のことやないか。まさか、あれだけ露骨な反応されても分からへんとか言う気やないやろな?」
「それは……さすがに……」
尻切れ気味に言葉を終わらせた葵に代わって、クレアがそのままジノクに話を続けた。
「おたくもあいつもアオイの恋人やない。イーブンなんやからフェアにいこうや」
「ふむ。それは余と同じことをキリルがしても止めてはならぬということだな?」
むしろ止めてくれと葵は思ったのだが、クレアに説得されてしまったジノクは意外と素直に頷いてしまった。
「っていうか、アオイは恋人がいるんじゃないのか?」
怪訝だという感じにオリヴァーが口を挟んできたので、現在独り者の葵は首を傾げる。
「いないけど?」
「そ、そうか……」
気を遣ったのか、オリヴァーはすぐにその話題を終わらせた。だが葵の方は、オリヴァーがいつのことを言っているのかと考えを巡らせてみる。自然と一番最近に恋人と呼べる存在だった青年の顔を思い浮かべた葵は苦い気持ちになった。
(忘れちゃいけない)
本気で好きでもないくせに付き合ったりしたから、彼を傷つけたのだ。同じ過ちを繰り返さないためにも簡単に誰かと付き合うようなことはしたくない。そこまで考えたところで葵は自分の思考に嗤ってしまった。
(そもそも、この世界の人は好きにならないんじゃなかったの?)
初志を再確認すると、振り回されていた気持ちが驚くほど醒めた。今は恋愛に現を抜かすよりも他にやるべきことがある。
「もう、いいよね?」
主に詳しい説明を求めてきたオリヴァーとウィルに向かって、葵は話を終わらせる気が満々な状態で確認を取った。疑問は概ね解決しているようで、二人とも異議を申し立てる気配がない。
「じゃ、私行くわ」
「どこへ行くのだ、ミヤジマ」
立ち上がるとジノクが袖を引っ張ってきたので、葵は少々煩わしく思いながら彼を見下ろした。
「ちょっと用事があるの」
「余も一緒に行ったらダメか?」
「ダメ。クレア、悪いんだけどジノク達のことお願い出来る?」
「ほな、テキトーに学園を案内しとくわ」
葵がどこへ行くのか見当がついているようで、クレアは何も尋ねることなく頼みを引き受けてくれた。彼女の示してくれるさっぱりした友情に感謝しながら、未練がましく手を離さないジノクへ視線を移す。見上げてくる瞳が捨て犬のようだったので、葵は彼の髪をくしゃくしゃっと撫でた。
「戻って来たら遊んであげるから。いい子にしてて?」
「……絶対だぞ?」
遊んであげるという言葉が利いたのか、ジノクはしつこくすることをせずに葵の手を解放した。この傍若無人な年下の王子には酷い目に合わされているが、懐いてきている犬だと思えば可愛くないこともない。そう思ったのは葵だけではないようで、オリヴァーとウィルがヒソヒソと「犬だ」「犬だね」という囁きを零しているのが聞こえた。
「じゃ、また後で」
マジスター達の奇異の目も、クレアの苦笑もビノの不愉快そうな表情もさらりと無視し、サンルームを後にした葵は階段を下り始めた。目指す先は校舎一階にある保健室。話が長くなりそうだと予感しながら、保健室に辿り着いた葵は
「今日もさぼり?」
保健室に酷似した窓のない部屋で出迎えてくれたアルヴァが眉をひそめたので、葵は小言を言われないうちにさっさと本題を口にする。
「ジノク王子が来た」
「は?」
やはりアルヴァも、何も知らされていなかったようだ。ポカンと口を開いている彼の珍しい顔を見ながら、葵は話を先へと進める。
「私と同じクラスに編入するんだって」
「……ユアンの仕業か」
呆気にとられた状態からの立ち直りの早さも、そこから瞬時に思考を組み立てる速度も、さすがはアルヴァだ。やはり安心して話が出来る相手だと胸中でアルヴァを持ち上げながらベッドに腰を落ち着けた葵は、深々と嘆息する。
「ユアンって悪質すぎない?」
「彼が悪質な人間じゃなかったら、ミヤジマが今ここにいることもなかっただろうね」
そんな軽口を叩きつつ、デスクに頬杖を突いているアルヴァもこめかみを指で押さえている。やはりジノクの編入は、彼にとってもかなり頭の痛い問題のようだ。
「ミヤジマ、ユアンに文句を言いたくないか?」
「言いたいに決まってんじゃん。ふざけてるよ」
「じゃあ、通信魔法で呼び出してみなよ」
そう言うのとほぼ同時にデスクの引き出しを開けたアルヴァは、そこから細長い棒のようなものを取り出した。これは通信魔法を使うのに必要な
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