嵐、到来

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 簡易ベッドが幾つも並ぶ保健室に酷似した『部屋』は、夜仕様の少し明るさを抑えた魔法の照明に照らされていた。この部屋には窓がないので外の様子を窺うことは出来ないのだが、きっと外界では今宵も雪が降り注いでいるだろう。冬月とうげつ期はとにかく、昼夜を問わず雪が降るのだが、冬が始まったばかりの白銀の月は、特に牡丹雪が降ることが多い。湿気を多分に含んだ重たい雪はサワサワと音を立てて降り、すでに降り積もった雪を肥大させていくのだ。しかしそれは、あくまで『外』での話。雪化粧とも凍てつく外気とも無縁な室内では、アルヴァが一人でデスクに向かっていた。デスクの上には試験管やスポイトなどの実験器具が所狭しと散らばっていて、アルヴァの手元には葉や茎、根などに分解された植物が置かれている。植物は魔法薬を生成するのに重要なもので、研究目的で自身でも植物を育てているアルヴァはよく、こうして成分の分析を行っていた。

 ある程度の実験が終わったところで目途をつけたアルヴァは、ブリッジを指でつまんでメガネを引き抜いた。一人でいる時にしかメガネを使用しないのは、これをかけると誰もが姉に瓜二つだと言うからだ。ただでさえ似ているのだから、本人だと勘違いされては堪らない。似ていると冷やかされるのも、御免だった。

 自分の他には誰もいない室内で煙草をくゆらせていると再び実験に没頭しようという気が失せてしまい、アルヴァは手早くデスクの上を片付けると席を立った。その場で脱いだ白衣を椅子の背もたれにかけた後で転移魔法を唱え、居住空間であるアパルトマンへと移動する。窓からは雪が降っているのが窺え、それまで人気のなかった室内は冷えきっていた。暖を取ろうと呪文を唱えかけたところで、アルヴァは開きかけた口唇を結ぶ。

(二日、か)

 口元に手を当てて少し考えた末、アルヴァは結局パンテノンという街に出向くことにした。現在は雪が降っているので分からないが、時分はおそらく月が中天に昇っている頃だろう。白く染まった中世ヨーロッパ風の街並みは閑散としていて、民家の窓からもあまり明かりが漏れていない。しかし目的地には、まだ明かりが灯っていた。

 戸に備え付けられている呼び鈴ベルを鳴らすと、やや間があってから扉が開いた。戸の隙間から顔を覗かせたのは仕立て屋の女主人で、彼女はアルヴァを見るなり目を丸くする。女の名は、アリーシャ。アルヴァの、十三日の『恋人』だ。

「どうしたの、アル?」

 この言葉には二つの疑問が含まれている。『こんな時分にどうしたの』と『十三日じゃないのにどうしたの?』である。

終月しゅうげつ期に発注したものを、受け取りに来ました」

「ああ、ミヤジマちゃんの洋服ね。どうぞ、入って」

 アリーシャに促されて室内に足を踏み入れたアルヴァは、そのまま店舗部分を抜けて二階の居住スペースへと案内された。アリーシャは『彼女』の中でも古株なので、アルヴァの変化には目聡い。品物を受け取りに……というのが口実であることをすでに分かっているようで、彼女はダイニングルームの椅子に腰かけたアルヴァの頬に優しいキスを落としてきた。

「何かあったの?」

「何か……というほどのことではありませんよ」

「ウソツキね。それもいつもと違って、ヘタクソなウソ」

 顔にそう書いてあるとアリーシャが言うので、アルヴァは苦笑いを浮かべた。つつくことはあっても深入りすることのないアリーシャはそこで話を終わらせ、アルヴァの頭を包み込むように抱きしめる。頬に触れる柔らかな胸の感触に、アルヴァは目を閉じて身を委ねた。数いる『彼女』の中でも、アリーシャの甘やかし方は格別だ。

 アリーシャは『何かがあった』と思っているようだが、本当に『何か』というほどのことではなかった。ただ少し、日中のやり取りが引っかかっているだけだ。

(何故、ミヤジマにあんな話を……)

 子供でいられるうちは、子供でいればいい。葵が大人になることを望んでいるアルヴァにとってこの発言は意に反するものだが、どうしてそんな科白を口走ってしまったかという理由には心当たりがあった。直前に、ユアンの話をしていたからだ。

 赤子の頃に未来の王となることを決められたユアンは、同じ年頃の子供が当然のように持っているものの多くを諦めなければならなかった。今はまだ多少の自由が許されている身だが、それも十五歳までという短い期限付きだ。ユアンもそのことを承知していて、だから彼は目一杯、子供であろうとしている。時々冗談では済まされないこともやらかしてくれるが、そんな悪さが出来るのも『子供』のうちだけだ。重い宿命を背負わされているユアンに、アルヴァは多少なりとも同情している。だから彼が『子供』でいられるうちは付き合ってやろうと、そう思っているのだ。

 子供と大人の話は、いい。問題はその後の、過去の話だ。諦めたことと無くしたものの。誰かにあの話をしたのは、初めてのことだった。その相手が何故葵だったのかは分からないが、アルヴァはあの時、心に深く根を下ろしている過去を語ってみてもいいという気になっていた。しかし葵は自ら、傍聴権を棄却した。それを物足りないなどと感じていることが、一番の大問題なのだ。

 世界を巡る旅行から帰って以来、葵の態度は微妙に変化した。彼女が若干好意的になったことは理解していたが、それが自分にも当てはまるということをアルヴァは意識していなかった。どうやらあの旅行は、予想以上にお互いの距離感を変化させたらしい。それは結果として仕方のないことだが、距離感が変わってしまったのなら接し方も再構築しなければならない。課題がはっきりと見えたことでホッとしたアルヴァは、アリーシャの腰へと手を回した。

「ねぇ、アル。ミヤジマちゃんは元気?」

「ええ。彼女のことが気になるのですか?」

「そりゃあね。アルが女の子連れて来たのなんて初めてだったし」

「ああ……彼女とはそういった関係ではないので、誤解しないで下さい」

「そうなの。ちょっと、羨ましいわ」

「羨ましい?」

 発言の真意を説明する気はないようで、アリーシャはフフッと笑っただけだった。横に引かれているその口唇を軽く塞いでから、アルヴァは膝の上に乗せたアリーシャを背後から抱きしめる。ふと、いつかユアンが言っていた言葉が脳裏を掠めていった。


『アルって頭いいし要領もいいけど、女心が分かってないから』


(女心、か……)

 葵との関係を羨ましいと言ったアリーシャの真意が分からないのは、要はそういうことなのだろう。キスをしても抱き合っても、お互いに「愛している」と言うことのない今の関係をアリーシャはどう思っているのだろうか。

「また来ます。今度は十三日に」

「ミヤジマちゃんによろしくね」

 恋人としての抱擁をしている時に別の女のことを考えているのは、実はとても失礼なことなのかもしれない。アリーシャの反応からそう察したアルヴァは、今宵訪れたのが彼女の元で良かったと思うと同時に少し申し訳ないという気持ちも抱いた。だがアパルトマンへ帰り着いた頃にはすっかり感情の起伏がなくなっていて、自分の切り替えの早さにアルヴァは苦い笑みを零す。

(アリーシャは、そろそろ解放してあげた方がいいかもしれないな)

 そんなことを考えながら手紙を認めたアルヴァは数十年ぶりに、その手紙を実の姉へと転送した。






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