最悪のゲーム

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 校舎の二階へ上がると、そこは何故か修繕作業中だった。あちこちで窓ガラスが割れ、壁や扉がひしゃげている惨状を、教師と思われる人達が必死で直している。男子生徒の中には教師の作業を手伝っている者もいるが、女子生徒は二年A一組前の廊下に集っていた。その状況から推察される事実は一つ。二年A一組の教室に、マジスターの誰かがいるのだ。

 二の足を踏んだ葵はしばし、どうするべきかと考えを巡らせた。この様子ではもう、今日は授業どころではないだろう。授業がないのならば帰りたいところだが、先に教室へと向かったクレアがどうしたのか気になる。悩んだ末、葵はけっきょく人だかりに近付いてみることにした。

(う……)

 黄色い声が飛び交っている女子の群れに近付いたところで、葵は自分の選択を後悔した。熱気というよりも多種多様な魔力の波に中てられて気持ちが悪い。こんな中で人探しは出来ないと判断した葵は人混みを離脱し、廊下の片隅で荒い呼吸を繰り返した。

(魔力が見えるって大変……)

 そんなことを考えながら廊下で休んでいると、背後で一段と高い嬌声が上がった。振り返って見ると、波が引くように女子生徒達が移動をしている。扉に殺到していた彼女達は廊下の端に並んでいて、その空いたスペースに見知った者達が姿を現した。二年A一組から出て来たのは案の定、マジスターだ。

「ミヤジマ!」

 廊下の隅にいる葵を目敏く発見したのはジノクで、一直線に向かって来た彼は挨拶よりもまず先に抱きついてきた。ジノクは王子という高貴な身分で外見も芸能人並みだが、魔法が使えないということで女子生徒達の反応は薄い。その点、トリニスタン魔法学園の女子達は徹底しているのだ。

「てめぇ、何してやがる!! 離れろ!!」

 しかしキリルがジノクを引き剥がそうとしてくると、廊下に花道を作っていた女子生徒達の視線は一変した。明らかに敵意のこもった視線を方々から浴びせられた葵は、ジノクとキリルがなにやらモメているうちに彼らの傍を離れる。葵はそのままフェードアウトしようとしたのだが、後からゆっくりとやって来たウィルに腕を引かれて止められてしまった。

「ちょうどいい所で会えた」

「……どういう意味?」

 眉根を寄せた葵には応えず、ウィルはいがみ合っているキリルとジノクに「行くよ」と声をかけた。一体どこへ行くのかと不安に思った葵は、クレアが駆け寄って来るのを見て少しだけホッとする。いつの間にやら魔法書を手にしているウィルはクレアとビノも傍へ招き、それから転移の呪文を唱えた。

 ウィルの魔法で移動した先は、どこかの建物の内部だった。魔法陣のすぐ傍にゲートがあり、そこをくぐると従業員と思しき黒服の男が姿を現す。彼はウィルと一言二言交わした後、ジノクとキリルだけを伴って姿を消した。その場に残った葵、クレア、ビノの三人はウィルの案内でまた別の場所へと連れて行かれる。長い階段を上りきって扉を開けると、視界が一気に開けた。目前に雄大な自然が見えたため、葵は「うわぁ」と感嘆の声を漏らす。

「ここ、どこ?」

「ニビキア山の中腹にあるハント場」

「ハント場?」

 葵にはウィルの言っていることがよく分からなかったのだが、クレアが嫌悪感を露わにした。しかしウィルが横目で視線を流すと、クレアはすぐに無表情へと戻る。肩口にいるマトに触れたクレアの仕種が、何故か葵の目に焼きついた。

 ウィルが座ろうと促したので、葵はとりあえず椅子に腰を落ち着けた。どうやらこの場所は観覧席のようで、眼前には手付かずの自然が、眼下には高い壁で覆われた施設の内部が一望出来る。施設内にも緑が溢れていて、広大な庭には動物の姿も確認できた。見たことのない動物が多かったので、葵は身を乗り出すようにして庭を覗き込む。

「ハント場は初めて?」

 隣に座っているウィルが声を掛けてきたので、庭から視線を戻した葵は頷いて見せた。そこで肝心なことをまだ聞いていないことに気付き、葵は改めて眉根を寄せる。

「私、何でここに連れて来られたの?」

「それはね、ジノク王子とキルが勝負をするからだよ」

「勝負? 何の?」

「アオイを賭けて」

 知らないうちに知らないところで賭けの対象とされていた葵は絶句した。驚きは次第に呆れへと変わっていき、頭痛を感じた葵はこめかみに指を突き当てる。

「何でいつも、そーゆーことを勝手に決めるかな」

「じゃあアオイは、自分の知らないところでキルと王子が殴り合いをすればよかったって思う?」

「それは……思わない」

「勝負で解決するなら、その方がいいでしょ?」

「ってか、私の何を賭けて勝負するの? そこ、すごく不安なんだけど」

「アオイのバージンなんてオチはないから安心していいよ」

 ウィルはあっけらかんと『バージン』などという単語を口にしたが、その一言で大打撃を受けた葵は側方からパンチを食らった時のようによろめいた。何故、話題にも上らせたことのない超個人的なことが、それほど親しいわけでもないウィルにまでバレているのか。後方から「デリカシーがない」というクレアの声が聞こえてきたので、彼女の一言に救われた気がした葵は何度も頷いてしまった。

「あ、気にしてたんだ? ごめんね」

 ウィルの口先だけの謝罪を受け流し、それ以上話を長引かせないために葵は話題を変えた。

「で、何の勝負をするの?」

「見ての通り、狩猟ハントだよ」

「ハントって……狩り?」

「そう」

 平然と頷くウィルから下方に視線を移した葵は、そこに木々や茂みがあって動物がいる光景に納得した。それと同時に、眉間にシワを寄せる。ハント場と聞いてクレアが嫌悪感を露わにした意味も、分かったような気がした。

 しばらくすると、猟場に人影が現れた。キリルとジノクはご丁寧に着替えまでしていて、自然に紛れ込みやすい服装をしている彼らは手に拳銃らしきものを持っている。この世界に銃のようなものが存在していたことは驚きだったが、これから行われるであろう行為に恐れと嫌悪感を抱いた葵は何か質問をしようという気にもなれなかった。

 風船が弾けるようなパンという音を合図に、キリルとジノクはそれぞれ動き出した。ウィルが言うには、動物にはそれぞれ得点があって、最終的には仕留めた動物の総合得点で勝敗を決するらしい。そんな説明を聞くともなく聞いていると、キリルが最初の獲物を仕留めた。撃たれた獣は地面に転がり、傷口と思われる箇所からドロリと血が流れ出す。殺生を見慣れていない葵は思わず、顔を背けた。

(キツネ狩りとか、話には聞いてたけど……)

 生で狩猟を見ると、かなりきつい。それも食用とするのではなく、これは単にゲームとして狩りをするのだ。そう思うと憤りを感じるような、悲しみに包まれるような、やるせない気持ちがこみ上げてくる。狩猟の様子を平然と眺めているウィルはキリルやジノクの腕を褒めたりもしていたが、葵にはとても楽しめそうになかった。

「……何や、あれ」

 ふと、それまで一言も発さずにいたクレアが独白を零したので、目を伏せていた葵は背後にいる彼女を振り返った。声音も硬かったがクレアは険しい顔つきで、狩猟場へ視線を注いでいる。猟場を振り返ってみて、葵も愕然とした。人間が、血を流して倒れているのだ。

(……人間ひと?)

 自分の考えに違和感を覚えた葵は猟場の中で横たわっている人間に目を凝らし、さらなる驚愕に目を見開いた。確かに人間と同じような姿はしているものの、その人物には獣の耳や尻尾が生えている。しばらくすると『人間』の姿は消え、先程まで彼がいた場所には狐に似た獣が横たわっていた。

「あれは召喚獣だよ」

 クレアの疑問に答えたウィルの言葉が、葵の鼓動を激しく弾ませた。ギクリとした、などという一瞬の動揺ではない。周囲の音が遠ざかり、視界が急に狭まり、激しく脈打つ心臓の音が理性を消失させていく。召喚獣はポイントが高いなどと話を続けていたウィルを遮り、両手で頭を押さえた葵は悲鳴を上げた。






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