最悪のゲーム

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 目の前で起こった出来事に、ウィルは呆気に取られていた。それはウィルだけでなくクレアも同じだったようで、目を見開いている彼女はウィルと同じ場所に視線を固定したまま呆然としている。ウィルの隣にはつい先程まで葵が座っていた。しかし唐突に悲鳴を上げた彼女は席を立つと、一瞬にして姿を消してしまったのだ。

 ウィルとクレアはしばらく動けずにいたが、やがてクレアの肩口にいる魔法生物が顔を動かした。その動きを感じ取ったクレアも顔を傾けたので、つられたウィルも彼女達の視線の先を追う。すると猟場に葵の姿があり、キリルとジノクがやはり呆けながら彼女を見つめているのが目についた。葵は先程ジノクが仕留めた召喚獣の傍に膝をつき、何かを話しかけているようだ。その内容までは聞き取れなかったが、彼女が取り乱しているのは確かであり、クレアが慌てて観覧席を後にする。同行してきていたビノもクレアの後に従ったが、ウィルは眼下の光景に目線を固定したまま口元に手を当てた。

(魔法……?)

 葵は一瞬にして姿を消し、猟場の中へと移動した。この一点のみを考えると魔法のようだが、葵が移動したのは魔法によるものではない。何故なら彼女は、魔法に必要な呪文を一切唱えていなかったからだ。そもそも転移魔法は、魔法陣を介して行われる。魔法陣から魔法陣へ移動することは出来ても、転移先に魔法陣がない場所へは移動することが出来ない。帰還の魔法を応用すれば例外的な転移も可能となる場合があるが、フロンティエールからの留学生である葵にはまず無理だろう。つまり、転移魔法では有り得ないのだ。

(魔法でないのなら、一体……)

 何が、起こったのか。どれだけ考えを巡らせてみても見当もつかなかったウィルは、ふとある青年の顔を思い浮かべた。

(……問い質してみる必要がありそうだ)

 何故いきなり我を失ったのかなど、葵には不可解な点が多い。誰かがそこに言及しないうちに事態を収拾した方がいいと結論づけたウィルは呪文を唱え、観覧席から猟場へと飛び降りた。






 気がつくと、視界には見知らぬ顔ばかりが並んでいた。眠っていたわけでもないのに意識を喪失していた葵はハッとして、しきりに瞬きを繰り返す。すると、葵を見つめていた人々は一様に息を吐き出した。

「正気に戻ったみたいだね」

「良かった。大丈夫?」

 次々と話しかけてきたのは頭に獣耳がついていたり、尻尾を生やしたりした、人間に近い生物達。その存在自体はすぐに受け入れることが出来たのだが、自分が何故彼らと共にいるのか分からなかった葵は困惑気味に口火を切った。

「あの……ここはどこですか?」

「ハント場の、スタッフルームだよ」

「すたっふるーむ?」

 その答えは、葵にさらなる混乱を生じさせた。少し頭を整理しようと思った葵は口をつぐみ、考えを巡らせる。

(えっと、確かウィルに連れられて、ハント場とかいう所に来たんだよね?)

 ゲームで狩猟をするハント場で、葵はウィルやクレアと共にキリルとジノクが猟を行う様子を見ていた。そのうちに、狩られる獣の中に召喚獣が混じっていることを知り、ひどく動揺したのだ。その後のことは、よく覚えていない。思い出せそうもなかったので、近くにいた猫耳の青年に尋ねてみることにした。すると猫耳の青年は、葵が突然猟場に乱入してきたのだと言う。

「乱入……」

「うん。ホント、乱入って感じだった。僕らもビックリしたけど、ハントをしてた君のお連れさんの方が驚いてたかな」

「ああ……何となく、思い出してきたような気がします」

 観覧席からどうやって猟場まで行ったのかは分からないが、ハントをしていたキリルとジノクに暴言を吐いたような記憶がある。そして彼らが傷つけた『召喚獣』の傍へ寄り、彼を助けようとしたのだ。そこまで思い出したところでハッとした葵は、慌てて猫耳の青年を仰いだ。

「あの、撃たれた人は?」

 葵の問いかけに、猫耳の青年は後方を指差すことで答えとした。その指が差す方向を目で辿った葵は、とっさに席を立つ。座らされていたパイプ椅子を倒すほどの勢いでその場を後にした葵は、低い棚の上に腰かけている狐のような少年の傍へと寄った。

「だ、大丈夫なの?」

 腹部の辺りを濡らしている血痕に青褪めた葵は恐る恐る問いかけたのだが、当の少年は屈託のない笑みを返してくる。どうやら、見た目ほどひどい傷ではなさそうだ。そう思ってホッとした葵に、少年は衝撃の真実を告げた。

「これ、ペイント弾の跡だから」

「……ニセモノ!?」

 葵がなんとも言えない悲鳴を上げると、どっと笑いが起こった。だから『スタッフルーム』なのかと、一気に状況を理解した葵は顔を伏せ、熱を発している頬に手を当てる。

(恥ずかしい……なんてもんじゃない!)

 罵声を浴びせたキリルとジノクに、どう謝ればいいだろう。それ以前にもう、彼らの顔を見られない。一緒に観覧していたウィルやクレアも間違いなく変に思ったことだろう。自分が『イタイ子』になってしまったことを嫌でも実感させられた葵は頬にある手を上にずらし、そのまま頭を抱えた。

「でも、嬉しかったな」

「……え?」

「本気で心配してくれて、ありがとう。すごく、嬉しかった」

 狐の少年にふわりとした笑みを向けられて、それが彼の心の底からの言葉であることを感じ取った葵は妙な気持ちになった。彼のことを、ウィルは『召喚獣』だと言っていた。その言葉が本当ならきっと、この少年も異世界で苦労をしてきたのだろう。それはこの場にいる誰もが同じことのようで、他の者達も少年に同調する素振りを見せていた。

「君、次の国王の知り合いだろ?」

 猫耳の青年が話しかけてきたので、葵はやや間があってから頷いた。すぐにはピンとこなかったが、未来の国王と言えばユアンしかいない。

「何で分かったの?」

「君が猟場に現れた時、彼の力を感じたから」

 理由は分からないけどと青年は付け加えたが、葵は彼の説明で納得した。葵の体にはユアンの力の片鱗が残留していて、彼らはそれを感じ取ったのだろう。

「皆、ユアンのこと知ってるの?」

 この問いには誰もが頷いて見せた。どういう繋がりがあるのかを葵が問う前に、猫耳の青年が代表して言葉を重ねる。

「狩りってさ、この国の貴族の間じゃ伝統的な遊戯の一つなんだって。今はうちみたいに狩られる振りをする所が多いらしいんだけど、一部ではまだ本物の狩りをする所も残ってるって聞いてる」

「……そう、なんだ」

「僕達みたいな『変り種』は獲物として好まれてるみたいでさ、ハンターに狙われるんだ。ここにいるのはハンターに捕まった連中ばっかりなんだけど、連れて来られたのがこの施設で良かったよ。ここなら、外にいるより安全だからね」

 彼らがどうして世界の壁を越えて来たのかは分からないが、来たくて来たのではない者だっているだろう。それなのに容貌が珍しいからだとか、そんな理由で狩られなければならないのは納得がいかない。そう強く思った葵は知らずのうちに拳を握っていたのだが、この場にいる者達は自分の境遇を受け入れているような節がある。葵が思わず零した理不尽ではないのかという発言に、猫耳の青年は優しい微笑みでもって応えた。

「ユアン様がね、約束してくれたんだ。異種族を差別するような遊戯は撤廃してくれる、って。今はまだ狩られる振りをしなくちゃいけないけど、彼が王になれば世界が変わるよ。僕達は、それを待ってるんだ」

 ユアン……と胸中で呟きを零した葵は溢れてきた涙が零れないように上を向いた。だが昂る気持ちが抑えきれず、結局は涙が頬を伝ってしまう。同じ境遇の者達と共にいることが心を緩ませたのかもしれない。葵は自然に、自分も『召喚獣』であることを彼らに明かしていた。

「えっ……召喚獣?」

 獣耳や尻尾の生えている彼らとは違い、葵は一目ではそれと分からないほど、この世界の『人間』に近い。だが彼らが驚いているのは、どうもそれが理由ではなかったようだ。

「召喚獣って、祖先が?」

「ううん。私が、別の世界から来たの」

「それ、本当?」

 猫耳の青年が念を押すように確認してきたので、葵は涙を拭ってから頷いた。すると何故か、沈黙が流れる。先程までの和やかな空気が一変してしまっていることに遅ればせながら気付いた葵は眉をひそめた。

「みんなも、そうなんじゃないの?」

「僕達は祖先が『召喚獣』って呼ばれる存在だっただけで、実際に別の世界から来たわけじゃない。純粋な召喚獣なんて、もう何人もいないよ」

 召喚獣が珍しい存在なのだろうなということは何となく分かっていたものの、そこまで稀少なのだとは考えていなかった葵は驚いて目を瞬かせた。猫耳の青年は怖いくらいの真顔を葵に寄せ、抑えた声で言葉を重ねる。

「そのことは、絶対に誰にも言っちゃいけないよ」

「う、うん」

「それと、こんな所にいちゃいけない。早く、帰った方がいい」

 猫耳の青年に促された葵は周囲に別れを告げ、彼と共にスタッフルームを後にした。






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