いつものように友人のクレア=ブルームフィールドと共に学園に登校した宮島葵はエントランスホールで彼女と別れ、それぞれの教室へと向かう生徒の流れから脱した。向かう先は校舎一階の北辺にある保健室。朝一番にその場所へ向かう理由は『怒られに行く』という気の進まないもので、葵は少し緊張しながら保健室の扉を開いた。アステルダム分校の保健室の扉を
「ごめん」
「……詳しい話を聞くのが怖いね」
葵が真っ向からアルヴァに謝ったのは、おそらくこれが初めてだ。それだけに、アルヴァも相当に悪いことが起こったのだとすぐに察したようだ。だが彼は焦らずに、葵に座るよう勧めると魔法で紅茶を淹れた。
「それで、朝一番に頭を下げなきゃならないような事って何?」
一口含んだだけのティーカップをソーサーに戻し、アルヴァはそれをデスクに置きながら問いかけてきた。渡されたティーカップを口に運べずにいた葵はベッドの枕元にある台にそれを置き、一つ深呼吸をしてから言葉を紡ぐ。
「クレアにバレた」
「何が?」
「私が異世界から来たってこと」
葵が一息に言い切ると、アルヴァは黙ってしまった。怒っているのか呆れているのか、表情からでは判断出来ない。アルヴァが口を閉ざしている間、葵は処刑台に立たされた罪人のような気持ちで叱責されるのを待っていた。だが沈黙の後にアルヴァから返ってきたのは、葵の予想を違えた反応だった。
「タイミングが最悪だ」
「え? タイミング?」
「いや、こっちの話。クレア=ブルームフィールドはどんな反応をしていた?」
「あ、うん……別に、フツウだった」
「普通?」
「むしろ、納得したってスッキリした表情された。なんか、前にも別の世界から来た人に会ったことあったんだって」
「どこで?」
「ルツボ島って言ってたから、ふるさと、だよね?」
クレアの出身地は坩堝島という南海の孤島で、この島の実態は大陸ではあまり知られていない。アルヴァも坩堝島のことには詳しくないらしく、眉根を寄せた彼は「よく分からない島だな」などと呟いている。アルヴァに怒っているような様子がなかったので、妙だと思った葵は眉根を寄せた。
「バレちゃったのに怒らないの?」
「怒って欲しいのか?」
「……遠慮しときます」
「まあ、彼女はミヤジマのことを友人だと思っているようだからね。ユアンにも近い存在だし、同居までしちゃってるんだから、協力者としては最適なんじゃないの?」
「絶対誰にも言うなって言ってたから、もっと怒られるかと思ってた」
「僕のことまでバラしてたら絶交だけどね」
「絶交て……」
子供かと胸中でツッコミを入れた葵は呆れながらアルヴァのことには触れていないことを明かした。その辺りは信用してくれているようで、アルヴァはそれが当然だというように頷いてみせる。
「ところで、ハント場に行ったんだってね」
「あ、うん……」
「どうだったって、聞くまでもないか」
「最悪の場所だったよ」
ハント場の話題を持ち出したのは葵からこの言葉を引き出したかったからのようで、アルヴァは「充分に気をつけて」とだけ言うと口を閉ざす。多くを語らなかったからこそ、アルヴァの一言にはずっしりとした重みがあった。ハント場で自分がどういう立場にあるのかをまざまざと見せ付けられた葵はアルヴァの言葉に頷いたところで話を終わりにし、彼の部屋を後にする。予想とは違って叱責がなかったことに安堵の息を吐いた後、葵は教室へと向かった。
保健室は校舎一階の北辺にあり、葵の所属する二年A一組の教室は校舎の二階にある。階段を上った葵は廊下にまだ生徒の姿があるのを目にし、少し歩調を緩めた。どうやらまだ、授業は始まっていないようだ。教室へ行っても生徒達が雑談に花を咲かせていたため、葵は喧騒に紛れて窓際の自席へと向かう。するとそこでは、クレアがクラスメートの少年と話をしていた。背後に従者を控えさせている黒髪の少年はフロンティエール王国のジノク王子だ。
「あ、来よった」
葵に気がついたクレアは小さく手を上げて迎えてくれたのだが、振り向いたジノクの表情は硬い。いつもなら許可も得ずに抱きついてくる彼が大人しいことに、葵は首を傾げた。
「深刻そうな顔してるけど、何かあった?」
「もう怒っていないのか?」
ジノクから恐る恐るといった調子で発された言葉に、葵はハント場での出来事を思い出した。錯乱していたためよくは覚えていないのだが、確かゲームハントをしていた彼には暴言を吐いたような気がする。
(何言ったのか全然覚えてないけど、そうとう酷いこと言ったんだろうなぁ)
自分と同じ立場の者が傷つけられたことに、あの時はとにかく怒りと恐怖が先立って堪らなかった。しかし結果的には、狩られる方も振りをしていただけだったのだ。それでもゲームハントへの嫌悪感は拭えないが、勘違いから暴言を吐いてしまったジノクに対しては悪いことをしたという気持ちもある。そのため葵は、素直に謝っておくことにした。
「昨日はごめんね。あんなとこ行ったの初めてで、色々勘違いもしてたみたい」
「余のことを嫌いになったりしていないか?」
それが一番の気がかりだったようで、ジノクの瞳は不安に揺らいでいる。実は彼のことがあまり好きではなく、付きまとわれることを迷惑にも感じている葵の頭には、突き放す好機かもしれないなどという考えが浮かんでいた。そのため即答出来ず、ジノクの顔が今にも泣き出してしまいそうに歪んでしまう。これにはさすがに気が咎め、葵は慌ててフォローを入れた。
「嫌ってない。嫌ってないから」
「昨日のことは、許してくれるのだな?」
葵が仕方なく頷くと、パッと顔を輝かせたジノクはいきなり抱きついてきた。結局はこういうことになるのかと、葵はジノクの腕の中で諦めのため息を吐く。
(小動物系の甘え方ってこういうことなのね)
ジノクにいらない情報を吹き込んでくれたユアン=S=フロックハートという少年の顔を思い浮かべた葵は、今度は呆れたという意味でため息をつく。葵の許しを得たことで、ジノクはすっかりご機嫌だ。その浮かれた様子がクラスメートの注目を集めてしまったらしく、どこからか嫌な感じの笑い声が聞こえてきた。
「嫌ですわね。所構わずベタベタして、品がない」
「あら、あの人達は初めから品などというものは持ち合わせていませんわよ」
少女達は明らかに、
この学園の女子生徒はやけに身分にこだわる者が多く、権力というものが大好きだ。その彼女達からしてみれば一国の王子という立場にあるジノクはとても魅力的なはずなのだが、彼がマジスターのようにチヤホヤされているかといえば、そんなこともなかった。マジスターとジノクの決定的な違いは『魔法を使えるか』どうかであり、魔法を使えない国の出身であるジノクは彼女達にとっては論外なのだ。その辺り、この学園の女子は徹底している。だからココ達の発言は葵に対する妬みでも僻みでもなく、ただの嫌がらせなのだった。それを承知している葵やクレアはココ達の悪言をさらりと流したのだが、事情を知らないジノクは背後から抱きかかえている葵ごとココ達に向き直る。
「羨ましいのなら羨ましいと言えばよかろう? だが生憎、余はもうミヤジマ以外の女は目に入らぬのだ」
残念だったなと、ジノクは自信満々に高笑いをしている。母国での彼はこんなものだったと知っている葵の他はジノクの素っ頓狂な発言にギョッとしていて、誰もが面白いくらいに目を剥いていた。やがて、馬鹿にされたと感じたらしいココが真っ赤になって席を立つ。
「誰が羨ましいなどと言いました!? バカにされているのがどうして分からないんですの!」
「何? そなた、余を馬鹿にしたというのか?」
ジノクはいちおう王子なので、馬鹿にしながらも微妙に言葉遣いを正していたココが言葉に詰まった。主が侮辱されたのだと知って、ジノクの付き人であるビノが目の色を変えたことで次第に事が大きくなっていく。非礼を詫びろとビノに詰め寄られ、結局は謝罪してしまったココを見て葵はバカらしいと思ったが、クレアは爆笑していた。
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