おかえり

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 冬月とうげつ期最初の月である白銀の月の六日。トリニスタン魔法学園アステルダム分校に一人で登校した葵は正門付近に描かれている魔法陣に出現すると、脇目も振らずに校舎の東へと向かった。しかし朝が早かったせいか、マジスター憩いの場である大空の庭シエル・ガーデンには誰の姿もない。出直そうと思った葵が校舎へと向かうと、ちょうど登校してきた生徒達が列を成していて、葵はあっという間に女子生徒達に取り囲まれてしまった。

「ちょっとミヤジマさん、昨日のあれは一体どういうことですの?」

「ハル様とキスするなんて、あの女、許せませんわ!」

「そうですわよ! ハーヴェイ様だけでなくハル様まで誑かすなんて、薄汚い女狐ですわ!」

 顔だけ知っているクラスメートも、顔も知らない多くの生徒達も、言っていることは皆同じだった。

(結局また、こういうことになるのね)

 悪目立ちすることを嫌う葵とは違って、クレアはあまり人の目を気にしない。これしきのことで彼女がハルを諦めることはないだろうし、クレアがハルの傍にいる以上はこの騒ぎが続くのだ。そして葵は、巻き込まれることを避けられない。これからどういうことになるのか今から容易に想像出来てしまったので、葵は誰とも目を合わせないように顔を伏せた。

「ちょっと、聞いてますの?」

「あの女狐をしっかり躾けておいてもらわなければ困りますわ。マジスターはあなた達のものではないのですから」

「でも、君達のものってわけでもないよね?」

 それまで女子生徒の声しか聞こえてこなかった中に、不意に男の声が割り込んできた。葵が顔を上げるのと周囲の女子生徒が喚声を上げるのとが同時で、耳をつんざくような轟音に葵は顔をしかめる。しかし耳を塞いだのも束の間、唐突に現れたウィルが合図をすると女子生徒達は静かになった。

「あんまりアオイを苛めないでやってよ。理事長もそう言ってたでしょ?」

 ウィルに呼びかけられた女子生徒達は一様にばつが悪そうな顔つきになり、次々と目を逸らしていった。少女達が大人しくなると、ウィルは改めて葵に目を向ける。

「じゃあ、行こうか」

「え?」

 どこへと問う間もなく、ウィルに手を取られた葵はシエル・ガーデンへと移動した。周囲にハインドランジアが咲き乱れているのを見て、葵はホッと息を吐く。

「ありがと、ウィル」

「別に親切で助けたわけじゃないから。お礼なんていいよ」

 親切でなければ何が理由で助けたのか。気になるところではあったものの、もっと気になっていることがあるだけに、葵はそれをスルーした。

「ねぇ……」

「ハルとステラのことだったら、僕は何も知らないよ」

 言いたかったことを見事に先読みされ、ぐうの音も出なかった葵は口をつぐんだ。ウィルはしばらく押し黙っている葵を見ていたが、ひとしきりそうすると、彼は不意に表情を和らげる。

「ハルがこっちに戻って来てからのことはオリヴァーから少し聞いた。その話でよければ、お茶でも淹れるけど」

 葵が顔をしかめながら頷くと、ウィルは花園の中央にあるテーブルに向かった。そこで紅茶を淹れる呪文を唱えてから、ウィルは向かい合って腰を落ち着けた葵を見る。

「クレアは一緒じゃないの?」

「……朝帰り。今日は来ないって」

「ふうん」

 自分から尋ねてきたわりには関心が薄そうに、ウィルは相槌を打っただけでその話を終わりにした。彼の意図がよく分からないまま、葵は出された紅茶に口をつける。ウィルも一口だけ紅茶を含み、ティーカップをソーサーに戻してから本題を口にした。

「ハル、本校を辞めてこっちに戻って来たらしいよ。そのせいでお姉さんに色々と言われたらしくて、今はオリヴァーの所にいるみたい」

 そこで一度言葉を切ると、ウィルはハルの姉について説明を加えた。家督云々の話はすでにアルヴァから聞いていたため、簡単な説明で納得した葵は話の続きを促す。

「どうも最近オリヴァーの姿を見かけないと思ってたら、二人で遊んでたらしいよ。あ、ちなみに、夜の遊びって意味だから」

「夜の、遊び?」

 ウィルがわざわざ付け加えた一言に葵はギョッとした。ハルもオリヴァーも、そういったことからは縁遠そうに思える人達だったため、衝撃が大きい。葵が青褪めていると、ウィルはそれを眺めて笑った。

「そんなにショック?」

「別に……」

「夜会くらい、貴族には普通のことなんだけどね」

「……夜会?」

 着飾った人々が大広間でダンスをしている光景を思い浮かべた葵はからかわれたことを知り、ウィルを睨みつけた。

「変な言い方しないでよ!」

「夜の遊びには違いないじゃない」

「だからって、そんな、誤解を招くような言い方……」

「夜会はね、貴族の男女が出会いを求める場なんだよ。オリヴァーはそういったことはしないけど、ハルの方はそういう遊び方をしてたみたいだよ?」

 少し間を置いてから発言の真意を理解した葵は絶句した。そういう遊び方とは、つまりは、そういうことだ。

「ねぇ、ほんとにハル、どうしちゃったの?」

 衝撃よりも不安の方が募った葵は顔を歪めながらウィルに問いかけた。だがウィルは、ハルの変化など歯牙にもかけていないらしい。彼は平素と何ら変わらぬ調子で淡々と言葉を紡ぐ。

「ステラと何かがあったのは確かみたいだね。だけどハルはそのことを口にしないし、本校にいるステラには訊くことが出来ない。だったら放っておくしかないよね?」

「でも……ウィルは、それでいいの?」

「僕達は別に、ハルがどんなでも構わない。友人だってことには変わりがないからね」

 本人が何も言わない以上、どうにかする気もない。それが、ウィルだけでなくマジスターの方針のようだ。彼らは男同士なので、ハルがどんなに女の子と遊んでいても気にならないのかもしれない。だが葵にとってそれは、決して微々たる変化では片付けられない異変だった。

「アオイも放っておけば? それとも、まだハルのこと好きだとか?」

「……そんなんじゃないよ。でも、ステラとも友達だし、クレアもハルと付き合ってるし……」

 そんな状態でハルの女遊びを見過ごしていられない。葵がそう言うと、ウィルは皮肉っぽく笑った。

「それってさ、どっちもアオイには直接関係のないことじゃない? ステラがどうとかクレアがどうのじゃなくて、要はアオイがどうしたいかってことだよ」

「私……?」

「そう。まだハルのこと好きならクレアと取り合えばいいし、そうじゃないなら放っておきなよ」

 クレアと闘ってハルを取り合う。ウィルが示した可能性に、葵はゾッとした。それではまるで初恋の再現……いや、あの時以上にタチが悪い。

「……そうだね。分かった、ハルのことはほっとく」

「じゃあそれ、外した方がいいんじゃない?」

 ウィルに指差されたため、葵はテーブルの上に置いていた自分の腕に視線を移した。

(ああ……)

 ウィルが何を言っているのか理解した葵は手首からブレスレットを引き抜き、それをウィルの方へ差し出す。それが自然なことのようにウィルが受け取ったので、彼が昨日言っていたことを思い出した葵は眉根を寄せた。

「それ、結局何だったの?」

「ただの目印だよ。アオイが考えてるほど悪質なものじゃなかったでしょ?」

「……どうだか。それってさ、ウィルがハルに言って私に渡させたんでしょ?」

「ああ、さすがに分かった?」

「ウィルってほんと性格悪いね」

「性格が良くて得することなんてないじゃない」

 オリヴァーを見てれば分かるでしょとウィルが言うので、不覚にも同調してしまった葵は小さく吹き出した。さすがに、長年の友人同士は言うことが違う。

「マジスターってほんと仲いいね」

「仲良く二人でくっちゃべってんじゃねぇ」

 不意に背後から殺気のこもった独白が降ってきたので、ゾクリとした葵は体を震わせた。ウィルはすでに第三者の接近に気がついていたようで、何事もないように彼を迎える。

「やあ、キル」

「やあ、じゃねーんだよ!!」

 後ろから伸びてきた足が円卓を転がしたため、立ち上がった葵は急いでその場を立ち去った。






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