(今のままは嫌……なんだろうなぁ。こうしてアルの所に逃げて来てるわけだし)
そう考えたところで、葵はアルヴァから投げかけられた問いの答えを見つけた。
「逃げたい」
「何から?」
「今のこの状況から、かな。なんかもう、面倒くさくて疲れる」
恋人ができた途端に朝帰りを繰り返すクレアの言動を気にかけるのも、当の本人の意思が不在なところで無意味な小競り合いを繰り返すジノクとキリルにも、この状況を楽しんでいる節のあるマジスターにも、もううんざりだ。葵がそうした不満を口にすると、アルヴァは茶器に紅茶を淹れさせてから皮肉げに笑った。
「ミヤジマが言うほど複雑なことじゃないと思うけどね」
ティーカップを受け取った葵はそれを口に運ぼうとしていたところで動きを止め、カップをソーサーに戻してからアルヴァに向き直る。
「それ、どういう意味?」
「相変わらず、素直になれないんだなってこと。ミヤジマだって本当は分かってるんだろう?」
心を乱す最大の要因が、何なのか。何もかも見透かしたようなアルヴァの物言いに、葵は再び言葉をなくした。
「……アルって意地悪だね。知ってたけど」
「意地悪? 協力してあげようっていう人間に対して随分な言い種だね」
「協力って?」
「前にも言っただろう? 相手がハル=ヒューイットなら、彼の家柄には目を瞑ろうと思ってたって」
また二人きりの夜を演出してあげるよなどとアルヴァがとんでもないことを言い出したので、驚いた葵は慌てて首を振った。
「そんなことしなくていいから。余計なことしないで」
「クレア=ブルームフィールドに先を越されて、自力で劣性を覆す器用さがミヤジマにあるとは思えないんだけど」
「だから、そうじゃないんだってば!」
声を荒らげることでアルヴァの口を塞いだ葵は、はあとため息をついてから言葉を次いだ。
「正直、ハルとステラのことはかなり気になってる。でも、それだけだから」
「本当にそれだけ?」
「……そうだよ。アルが何考えてるのか知らないけど本当に、それだけだから」
「ミヤジマがそこまで否定するならそういうことにしておくけど、だったら逃げたいなんて思う必要もないんじゃないか?」
「それは……逃げたいって思うよ。だってハルがステラと別れたなんて信じられないもん」
葵にとってはハルがキスをしたり抱き合ったりしている相手がステラ=カーティスでないことが問題なのだ。彼がステラ以外の女性と親しくしていることに違和感が拭えないから、今のハルとクレアを見ていられない。だから逃げ出したいと感じるのだと、葵はなんとか話をうまくまとめた。いちおう筋は通っていたので、アルヴァも頷いて見せる。
「なるほどね。確かに、クレア=ブルームフィールドではステラ=カーティスとは釣り合わないかもしれない」
「それ、クレアに失礼。クレアがどうこうじゃなくて、ハルの隣にステラ以外の女の子がいるってことがなんか納得いかないの。だってハル、ステラにベタ惚れだったんだよ?」
「
アルヴァが意味ありげな視線を送ってくるので、葵は唇を尖らせた。何故いちいち突っかかってくるのかは分からないが、この話題は長引かせたところでいいことがない。不毛な言い争いをしても結局は言い負かされることが分かっていたので、葵は大人しく話題を変えた。
「夜会に行かないかって、誘われたんだけど」
「……夜会?」
思ったよりも話題を変えた効果があり、眉根を寄せたアルヴァは話を聞く体勢に入った。葵が詳しい事情を説明すると、眉間のシワをさらに深くしたアルヴァは空を仰ぐ。
「行きたいのか?」
「その様子だと、行かない方が良さそうだね?」
「でも、ジノク王子は乗り気なんだろう?」
「うーん、どうなんだろう? 貴族と親交を深めるのは悪くないとか言ってたけど」
「……分かった。僕も行く」
「ええっ!?」
アルヴァから思ってもみなかった反応が返ってきてしまったため、葵は色々な意味で驚いた。葵が突然大声を上げたためか、アルヴァは少し顔をしかめている。
「ミヤジマ、うるさい」
「だ、だって、アルが自分から行くなんて言うからビックリして……」
「なにも一緒に行くと言ったわけじゃない」
どうやらアルヴァの発言の真意は『同じ場所にはいるが別行動』というものだったらしい。要は学園にいる時のように監視するということだ。それでもアルヴァが近くにいてくれれば、何か問題が起きた時にはフォローしてくれるだろう。そう思った葵はホッとして、それから眉をひそめた。
「なんか、私も行くことになってない?」
「クレア=ブルームフィールドから誘われたんだろう? 断ると、変に勘ぐられるかもしれないよ?」
クレアは良くも悪くもストレートな性格をしているため、何か不審に思ったことがあれば堂々と尋ねてくるだろう。だから現時点では疑われていないと思われるものの、不審な言動を繰り返せば、やがては猜疑心を芽生えさせてしまうかもしれない。そうしたアルヴァの言い分に一理あると思った葵は、気が進まないながらも夜会に行くことを決めた。
「ミヤジマはドレスを持っていたっけ?」
「持ってるよ。創立祭の時、ステラと一緒に買いに行ったから」
けっきょく創立祭には参加出来なかったため、あの時のドレスはクローゼットで埋もれている。他にドレスは持っていないので、夜会に行くのならあのドレスを着ることになるだろう。葵がそんなことを考えていると、ふと席を立ったアルヴァが白衣を脱ぎ出した。
「……アル、何してるの?」
「クレア=ブルームフィールドがいないうちに、そのドレスを見に行く。場合によっては新調が必要だな。それと、ダンスの練習もしないとね」
「ええ?」
夜会に行くことは承知しても踊る気などさらさらなかった葵は、アルヴァの申し出を有り難迷惑だと思った。しかし事は、葵一人の問題で済むものではないらしい。
「夜会は貴族が主催する、貴族のための会だ。ダンスくらい踊れないと恥をかくよ?」
「ずっと見てるからいいよ」
「そういうわけにはいかないだろう。ジノク王子が放っておくと思うか?」
それはないと即座に思ってしまった葵は言い返せずに口をつぐんだ。葵が黙ったのを見て、問答を切り上げたアルヴァは転移の魔法を使用する。葵とクレアが住んでいる屋敷へ移動すると、葵が買ったドレスを見たアルヴァは「ダメだ」と言うように首を振った。
「カジュアルすぎますね」
「これのどこが?」
パステルミントのキャミソールドレスは露出度もそこそこ高く、葵からしてみれば十分にパーティーの装いだ。だがアルヴァは、学園の行事と夜会はまったくの別物だと言って葵の言い分をばっさり切り捨てる。
「悪目立ちをしたくなければ僕の言う通りにして下さい。さあ、ドレスを買いに行きましょう」
そう言うと、アルヴァは再び葵の手を取って転移の呪文を唱えた。息つく暇もなくどこかの街に連れて行かれた葵はアルヴァの横暴ぶりにため息を吐く。
「ここ、どこ? パンテノン?」
パンテノンはアステルダム分校から一番近い街で、それなりの物が揃っている。アルヴァが肯定したため、自分がどこにいるのかを把握した葵はふと疑問に思ったことを口に出してみた。
「アリーシャさんのお店に行くの?」
アリーシャという女性はこの街で仕立て屋を営んでいる、アルヴァの恋人の一人だ。以前に旅支度を整えるために彼女の店を利用したことがあるので、何となく今回もアリーシャの世話になるのではないかと思ったのだった。しかしアルヴァは、首を振って見せただけで問いの答えとする。
「ところで、夜会はいつなのですか?」
「明日の夜だって」
「明日、ですか……」
考えていたよりも日程が急だったのだろう、アルヴァは顔を曇らせながら口元に手を当てた。そうして何事かを考えこんでいた彼は、しばらくすると葵に目を向けてくる。とにかく急ぐ必要があると言うアルヴァに引きずられているうちに、異議を唱えるのも面倒になってしまった葵は大人しく彼の言うことに従った。
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