Youth Night

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 冬月とうげつ期にしては珍しく雲が晴れた夜、空には白銀の光を放つ二つの月が浮かんでいた。つい先刻まで窓のない部屋にいた葵は新鮮な気持ちで夜空を仰ぎ、久しぶりに見る月の姿を瞳に映す。冷たい月明かりは冴え冴えとしていて、どこか無機的ながらも美しかった。

「アオイ」

 屋敷の玄関が開いてクレアが顔を覗かせたので、玄関と前庭にある噴水の間に佇んでいた葵は歩み寄って来た彼女を笑みで迎えた。クレアとはこの屋敷で同居しているのだが、顔を合わせるのは一日ぶりだ。

「おたく、どうしとったんや? 家にも帰らんから心配してたんやで?」

「それがさぁ……」

 葵は苦笑いを浮かべながら、家に帰れなかった理由を明かした。学園にも顔を出さずに行方をくらませていたのがダンスの練習をしていたせいだと聞き、クレアは呆れたような表情になる。

「それで、一日中アルと練習しとったんか?」

「もうすでに足が痛いよ。早く帰りたい」

「まだ会場にも行っとらんわ。それに今夜はたぶん、男共が帰してくれへんで?」

 特にジノクとキリルが、と言うとクレアは冷やかすような目を葵に向けてきた。その理由は葵が、かなり気合いを入れて着飾っているからだろう。『めっちゃキレイ』だとクレアが言うので、葵は乾いた笑みを浮かべた。ドレス姿が様になっているように見えるのなら、それは化粧やヘアメイクにまで手を回してくれたアルヴァの功績だ。

「さ、行くで」

 話を切り上げたクレアが魔法陣の上に乗ったので、勝手の分からない葵は後に従った。そこでふと、ドレスアップしたクレアの肩が寂しいことに気がつき、首を傾げる。

「マトは?」

「留守番や。マトは人混みが苦手やからな」

 クレアのパートナーである魔法生物のマトは、人間と肌を触れ合わせることによって意思の疎通を図る。人混みでは不特定多数の人間と接触する可能性があるため、彼にはきつい環境なのだろう。そう思った葵が一人で納得していると、クレアが小さなバッグから白い封筒を取り出した。

「何、それ?」

「招待状や。これを手にして転移の呪文を唱えると、夜会の会場へ行けるんやで」

 葵が異世界からの来訪者であることを知っているクレアは詳しい説明を加えてくれてから転移の呪文を口にした。出現した先でいきなり着飾った人々を目にした葵は、その異質な雰囲気に面食らう。

(すごっ……)

 だだっ広い大広間ホールでは着飾った男女がグラスを片手に談笑していて、彼らが笑い合う仕種の一つをとってみても無駄なくらい華やかな空気を醸し出している。葵はトリニスタン魔法学園の創立祭でも場違いだと感じていたが、ここは桁違いだ。

「口、開いとるで」

 クレアが小声で注意してきたため、ハッとした葵は締まりの悪い口を慌てて閉じた。

「とりあえず、飲み物でももらおうや」

「え? 待ち合わせしてるんじゃないの?」

 この夜会には、葵とクレアの二人で遊びに来たわけではない。どこかでマジスター達と待ち合わせをしているものだと思っていた葵は歩き出したクレアの後を追いながら尋ねてみたのだが、クレアは問題ないのだと言う。

「心配せんでも、テキトーに歩いとったら見付かるわ」

 クレアの余裕の意味を、葵はしばらくの後に知ることとなった。周囲よりもひときわ賑やかな輪の中に、マジスターの姿を発見したからだ。

(すごい人気……)

 彼らがアイドル扱いなのは、どうやら学園の中に限ったことではないらしい。クレアは臆せず突っ込んで行ったが、華やいだ集団に身を投じることが出来なかった葵はふっと視線を泳がせた。

(アル、本当に来るのかな?)

 この人出ではとても探せそうにないが、それは別の捉え方をすれば紛れやすいということでもある。今夜は、見られていることは承知の上で行動した方がいい。そんなことを考えていると、ふと、傍で会話をしていた少女達の話が耳に入ってきた。

「あそこの壁際にいらっしゃる方、個性的ですわね」

「ああ、あの金髪の方ですわね? わたくしも先程から気になっていましたの」

 金髪という単語に反応した葵は少女達が見つめている先に視線を移し、飲み物を吹き出しそうになった。

(仮面舞踏会! 一人だけ仮面舞踏会だ!)

 壁に背を預けて佇んでいる金髪の青年は目元だけ仮面で覆っていて、その異様な出で立ちは周囲からかなりの注目を集めている。しかしその、突出しておかしい仮面姿が彼にはやけに似合っているのだ。顔が隠れているので確証はなかったものの、おそらくアルヴァだろうと察した葵は笑いを堪えるのに必死になった。

「なに一人で笑ってるの?」

 一人で楽しくなっていたところに第三者の声が介入してきたため、ギクリとした葵は一瞬にして笑いを引っ込めた。聞き覚えのある、その声の主は……。

「あんた、やっぱり変だな」

 振り返ってみると、ハルは無表情でそんな科白を吐いてみせた。しかしその直後、彼は好意的な笑みを葵に向ける。

「今日、可愛いね」

 頭が沸騰しそうになった葵は「バカ!」と叫びかけたのを何とか呑み込み、こめかみに青筋を立てながら作り笑いをした。

「ありがと。でも、そーゆー科白は彼女に言ってあげれば?」

「どの彼女?」

「っ……!」

 馬鹿にするにも程があると憤った葵は、しかし怒声を発する前にあることに気がついて感情を鎮めた。

(そっか、カノジョじゃダメなんだ)

 この世界では恋愛関係にある男女のことを『彼氏』『彼女』とは言わない。おそらくそれで、ハルは勘違いしたのだろう。そのことを察した葵は改めて「クレアにだけ言えばいい」と言おうとしたのだが、結局はやめた。嫌味を言い直しても虚しくなるだけだ。

「……他の人達は?」

「あっち」

 ハルが指差した先を見るとクレアやマジスターの姿があったので、二人きりの会話を切り上げたかった葵はそちらへ向けて歩き出した。するとハルが、腕を掴んで制してくる。不可解に思った葵が足を止めて振り返ると、彼はまたとんでもないことを言ってきた。

「このまま二人で抜けない?」

「……は?」

 何を言われたのか分からずに首を傾げた葵は、ハルが真顔でいるのを見て眉根を寄せた。もしかして彼は、何か話でもあるのではないだろうか。もしそうだとしたら、ステラに関係する話である確率が高い。そう思った葵は急いて言葉を次いだ。

「私に話がある、ってこと?」

「話より、もっといいことしようよ」

 耳元で囁かれたのは誘惑の言葉で、カッとなった葵は今度こそ「バカ!」と叫んでハルの手を振り払った。葵が大声を出したので、周囲の視線が自然とこちらへ向く。少し離れた所にいたマジスター達にまで声が届いてしまったようで、キリルが憤怒の表情を浮かべて走り寄って来た。

「てめぇ、ハル! こいつに何しやがった!!」

「別に、何も」

 ハルは何食わぬ顔をして答えていたが、キリルは納得しなかった。そこにオリヴァーが仲裁に入ってきたことで、騒ぎがさらに大きくなってしまう。他人の振りをしたかった葵はそっとマジスター達の傍を離れ、クレアの元へ向かった。

「アオイ、ハルに何かされたんか?」

「ううん、違うの。ちょっと話してただけ」

「さよか。まったく、キリルのヤキモチ焼きにも困ったもんやな」

 クレアとそんな話をしていると、タキシードを身にまとったジノクが付き人のビノと共に姿を現した。ドレスアップしている葵を大袈裟に褒め称えた後、ジノクは不意に声のトーンを落とす。

「ミヤジマ、アルは一体どうしたのだ?」

「……聞かないであげて」

 どうやら彼らはアルヴァに連れられて会場入りしたらしく、あの『一人仮面舞踏会』も目にしたようだ。葵が苦笑いを浮かべるとジノクは口を閉ざしたが、代わりにクレアが口を挟んでくる。

「アルが来とるんか?」

 ミーハーな顔つきになったクレアがキョロキョロと辺りを見回すので、葵はいつも通りすぎる彼女の態度に驚いた。

(ハルがそこにいるのに、大丈夫なの?)

 しかし気になって横目で見てみれば、先程までキリルと争っていたはずのハルは見知らぬ女の子を相手に話を弾ませていた。跪いたハルが少女の手の甲にキスを落とすのを見て、気にしているのが馬鹿らしくなった葵は深々と嘆息する。

(何してるんだか……)

 クレアもハルも、そして自分もだ。ジノクが踊ろうと手を差し伸べてきたので、葵は全てに目を塞ぐ気持ちで彼の手を取った。






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