昼の休憩を告げる鐘が校内に鳴り響いてからしばらくすると、トリニスタン魔法学園アステルダム分校は人気がなくなる。その理由は、生徒達が食事を取るために一時帰宅するからだ。男子生徒ばかりだった二年A一組も今はさらに閑散としていて、葵とクレアは二人きりで弁当を広げていた。彼女達も以前は食事のために帰宅していたのだが、それも面倒だということで、最近はこうして弁当を持参しているのだった。
「それで、話って何や?」
食事を始めるなりクレアが尋ねてきたので、葵は手にしていたフォークを置いた。
「改まって言うようなことでもないんだけど、クレアには言っておいた方がいいかなって思って」
「せやから、何や?」
「私、ハルにフラれちゃってさ」
細かな経緯は省き、葵は結果のみをクレアに伝えた。それでも十分『衝撃的な告白』だったらしく、クレアは動揺を見せる。しかしそれも束の間のことで、すぐ真顔に戻ったクレアは嘆息した。
「さよか。 ……大丈夫、なんか?」
「うん。平気」
ハルからはっきりと拒絶を示されてしまった日、葵はアルヴァ=アロースミスという青年に話を聞いてもらい、慰めてもらった。そのおかげで自分で思っていたよりもだいぶ早く、立ち直ることが出来たのだ。しかしアルヴァのことはクレアには話せないため、葵はそのことには触れずに話を進めた。
「だからね、ハルのことはもういいんだ。それにキリルはハルの友達だから、マジスターには余計なことは言わないつもり」
「せやったら、キリルのことはどないするつもりなんや?」
「どうって言われても……」
確かに「オレに惚れろ」とは言われたが、好きだとか付き合ってくれと言われたわけではない。そんな状態ではどう返事をしていいか分からないと葵が言うと、クレアは眉根を寄せて空を仰いだ。
「せやなぁ……」
考えこみながら言葉を紡いでいたクレアはふと、顔を歪めて閉口した。クレアが突然こめかみを押さえて顔を伏せたので、何事かと思った葵は慌てて身を乗り出す。
「クレア? 大丈夫?」
「……へーきや。うち、ちょっと用が出来たさかい、先に食べとって」
それだけを言うとクレアは机の上を手早く片付け、席を立った。人気のない教室に一人で残された葵は突然のことにしばらく呆けていたが、そのうちに食事を再開する。昼食を終えてしまうと暇になってしまったので、この隙に電話をかけようと思った葵は教室を後にした。
葵が電話をかけるために向かった先はマジスターの専用区域とされている校舎の東である。ここにはマジスターがたまり場としている
(いない、よね?)
この塔はマジスター達の練習場で、彼らは時折、ここで楽器の練習をしている。特にこの場所ではハルに会うことが多いので、葵は誰もいないことを願いながら塔の内部に進入した。
手元に明かりを出現させて螺旋階段を上って行くと、幸いなことに塔の二階部分には誰の姿もなかった。ホッとした葵は早く用事を済ませてしまおうと思い、スカートのポケットから携帯電話を取り出す。リダイヤル機能を利用して友人の弥也に電話をかけてみると、コール三回で相手が電話口に出た。
「もしも……」
『このバカ!!』
第一声で怒鳴られて、面食らった葵は携帯電話を耳元から遠ざけた。何かに怒っているらしい弥也は怒鳴り声のまま言葉を続ける。
『待ってろって言ったのに何で電源切ってるのよ! こんな時間じゃ電話出来ないでしょーが!!』
前回の通話で弥也は、すぐに掛け直すから待っていろと葵に告げた。それが掛け直してみれば携帯電話の電源がオフになっていたので、彼女はそのことに対して怒っているらしい。そこまでは話が呑みこめたのだが、後半の科白が何を意味しているのか分からず、葵は興奮している弥也を宥めようと四苦八苦した。
しばらく葵に説教をした後で、ようやく落ち着きを取り戻した弥也は話を始めた。彼女の話によるとどうやら、弥也は葵と葵の両親に直接話をさせようとして奔走してくれていたらしい。
『あんた、家には電話してないんでしょ? あたしに電話してくる前にやることがあるでしょーが』
何をやっているんだ、このバカ。弥也にそう言われて葵はハッとした。
(そっか、弥也に電話出来るんだから家にも繋がるのかも)
もっともだと思った葵は弥也との通話を打ち切り、電話帳から自宅の番号を呼び出して発信してみた。しかし携帯電話は沈黙したままで、何度試してみてもコール音さえ鳴らない。おかしいと思って再び弥也に掛けてみると、何故か彼女には繋がった。
「……弥也、家には電話出来ないみたい」
『何で?』
「分からないけど、弥也にしか繋がらないのかも」
『そんなわけないでしょ。あたしに電話出来るんだったら……』
そこでブツッと、何の前触れもなく弥也の声が途切れた。携帯電話を耳元から離して見てみると、何故かディスプレイが真っ暗になっている。電源を入れようとしてみても反応しなかったため、どうやら充電切れのようだった。
(そんなぁ……)
電話をかける前に確認したのだが、バッテリーの残量は三本だった。だが思い返してみれば、使っても使ってもバッテリー残量が減らなかったような気がする。今使っている携帯電話はこの世界で修復されたものなので、もしかしたら葵の知り得ない何かしらの異変が生じているのかもしれなかった。
(充電……)
その言葉を思い浮かべた時、葵の脳裏にはある人物の顔が浮かんだ。携帯電話をポケットにしまった葵は踵を返し、塔を後にする。その後は大急ぎで校舎を目指し、エントランスホールを抜けると一階の北辺にある保健室へと向かった。
「アル!!」
保健室の扉を
「何事だ?」
金髪にブルーの瞳といった容貌をしている青年の名は、アルヴァ=アロースミス。彼はこの学園の校医であり、葵の事情を全て把握している協力者だ。
「レリエ貸して!!」
レリエとは、通信魔法を使用する際に使われる
「何故?」
「ユアンに聞きたいことがあるの!」
「その前に、僕に事情を話してみなよ」
ユアン=S=フロックハートという少年は多忙な身で、通信魔法を使ったからといってすぐに連絡を取れるかどうかは分からない。アルヴァがそう言うので、彼でもいいと思った葵は携帯電話が使えなくなったところから説明を始めた。
「それで、ケータイを直してくれたマッドに連絡取りたいんだけど……」
葵の携帯電話はこの世界で一度壊れ、マッドという名の青年によって修復された。直してくれた人ならばきっと充電の方法を知っているのではないかと葵は思ったのだが、彼とは直接連絡を取ることが出来ないのだ。そのためユアンに仲介してもらおうと思っていたのだが、その希望はアルヴァがあっさりと叶えてくれた。
「それなら、僕が連絡を取っておく」
「えっ? アル、マッドがどこにいるか知ってるの?」
「どこにいるのかは知らないけど、彼と連絡を取る術はある」
アルヴァとマッドは面識があり、また彼らは葵にはよく分からない話題で盛り上がっていた仲だ。きっとその時に意気投合して、連絡先を交換したのだろう。アルヴァなら安心して任せられると思った葵は、そこでようやく一息ついた。
「ありがと、アル」
「礼には及ばないよ。それより、用が済んだのなら出て行ってくれ」
いつになく冷たい口調で言うと、アルヴァはデスクに向き直ってしまった。近頃、彼とは友好的な関係を築いていただけに、葵はその豹変ぶりにポカンとする。
(アルが冷たい……)
何かがあったのかと勘繰った葵は眉根を寄せたが、疑問を口にする前に閉口した。きっと、機嫌が悪いのだろう。それならば深入りはしない方がいいと思い、葵は静かに『アルヴァの部屋』を後にした。
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