have a break

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 冬月とうげつ期最初の月である白銀の月の二十日。夜空に二月が浮かぶ世界では十日に一度休日があるため、本日は世間的に休みである。本来ならば体や頭を休めてリフレッシュするための日なのだが、そんな日に朝から机に向かっている少女がいた。黒髪に同色の瞳といった、世界でも珍しい容貌をしている少女の名は宮島葵。しばらく分厚い魔法書に目を落としているとやがてノックの音が聞こえてきたため、葵は顔を上げた。

 葵がベッドルームとして使用している部屋は二十畳くらいの広さがあり、木製のしっかりとした扉は室内の物音を外部に漏らさない厚みがある。なので、ノックが聞こえてきたからといって室内で返事をしても無意味だ。席を立った葵は扉に向かい、自ら道を開けて来訪者を迎えた。朝も早くから葵の寝室を訪れたのは同居人である同年代の少女。赤味の強いブラウンの髪にアンバーの瞳といった容貌をしている彼女は、名をクレア=ブルームフィールドといった。

「おはよう」

 クレアと顔を合わせた葵は彼女と、彼女の肩口にどっしりと体を落ち着けているワニに似た魔法生物にも朝の挨拶をした。マトという名のクレアのパートナーは人語を話すことは出来ないが、こちらから話しかけることは理解している。マトが細長い口を上下させたので、それが頷いているように見えた葵は笑みを浮かべた。

「休みやのに早起きやなぁ」

 まだ寝てるかと思って起こしに来たのだと、クレアは来訪の意図を明かす。彼女を室内に招き入れた葵はキングサイズのベッドに腰を下ろし、話に応じた。

「夜起きててもすることないし、寒いから」

 夜はクレアが外出してしまうため、話し相手がいなくなる。加えてこの世界にはテレビやゲームなどといった一人で時間を潰せるような物がないので、夜は早く寝てしまうに限るのだ。すると必然的に、早起きになる。朝の方が頭が冴えるため、葵は空いた時間を勉強に当てることにしたのだった。

「この本、昨日図書室から借りてきたやつなんか?」

 椅子に腰を落ち着けたクレアは机の上で開きっぱなしになっていた魔法書を手にとって、パラパラとページをめくっている。クレアに図書室の場所を教えてもらってその本を借りてきた葵は、問いかけに頷くことで答えとした。

「朝っぱらから熱心やなぁ。たまには息抜きせなあかんで?」

「息抜き?」

「うちなぁ、今日は休みをもらったんよ。学園もないことやし、たまには二人で出掛けようや」

 葵を異世界から召喚したのはユアン=S=フロックハートという少年である。クレアはこの少年の私用人であり、平日はもちろん、休日も彼の元で身の回りの世話をしている。他の何よりも、クレアはこの仕事を優先させているのだ。その彼女が休日にわざわざ休みを取ったというところに隠された意図を感じた葵は、嬉しいような申し訳ないような複雑な気持ちで笑みを浮かべた。

 葵は先日、とある男の子にフラれてしまった。そのことを知ったクレアはきっと、彼女なりに気を遣ってくれているのだろう。

「出掛けるって、どこに?」

「そうやなぁ……何をするかによって行き先も変わってくるで。アオイは何かしたいことないんか?」

「う〜ん……私、この世界の遊びってあんまり知らないから」

「せや、アオイがおった世界ではどんなことしてたん?」

 クレアが興味津々といった風に問いかけてきたので、葵は久しぶりに生まれ育った世界での『日常』を思い返してみた。

「学校帰りによく行ってたのはカラオケとか、ゲーセンとかかな? 一人の時はマンガ読んだりゲームやったりしてた。友達と出掛ける時はショッピングとか、映画とか」

 葵が口にした内容の中で、クレアにも理解出来たのはショッピングだけだった。その他の遊びについて説明を求められた葵は四苦八苦しながら言葉を紡ぐ。満足のいく説明ではなかっただろうが、大まかな想像は出来たのだろう。話を聞き終えたクレアは嘆息した。

「すごいなぁ。アオイのおった世界を実際に見てみたいわ」

「あ、もしかしたら見せられるかも」

 あることを思いついた葵はそう言い置くと、ベッドを離れてクレアの元に向かった。机の脇に元いた世界から持ち込んだ私物の鞄が置いてあるので、しゃがみこんだ葵はそれに手を伸ばす。しかし携帯電話を取り出したところで、葵はまたあることに気がついた。

「あ、そうだ。充電、切れてるんだった……」

「じゅうでん?」

「えっとね、この中に私が向こうの世界で撮った画像があるの。でも今は、使えないから見せてあげられないってこと」

 期待を持たせた後だけに、申し訳なく思った葵は謝罪の言葉を口にした。クレアは気にした風もなく「ええって」と言うと、今度は葵が手にしている携帯電話に目を注ぐ。

「それ、けっきょく何なんや?」

「これはね、この世界で言うところの通信魔法みたいなもん。遠くにいる相手と話が出来るんだよ」

「レリエみたいなもん、っちゅーことか」

 クレアが口にした『レリエ』とは、通信魔法に不可欠な魔法道具マジック・アイテムのことである。やはり似たような物があると説明が楽でいいと思いながら、葵はクレアに頷いて見せた。

「そうや、さっき『エイガ』っちゅーもんがあるって言うてたやろ?」

「え? うん」

「この世界にも似たようなものがあるで」

「そうなの?」

「観劇っちゅー娯楽や」

「かんげき?」

「芝居や、芝居」

 クレアの口から『芝居』という単語を聞いた葵は舞台演劇を思い浮かべた。あれならば確かに、映画館やテレビがなくても出来そうだ。

「見に行ってみるか?」

「行きたい!」

「よし、決まりや。観劇のあと街で買物して、夕食はうちで食べる。そんなもんでええか?」

「うん!」

「ちなみに、夕飯のメニューは何がええ?」

 今日は特別に何でもリクエストしていいとクレアが言うので、至れり尽くせりに葵は苦笑した。

「そんなに気、遣わなくていいよ?」

「別につこうとらん。異世界の料理に興味があるから言うとるだけや」

 クレアが言っていることの意味を、葵はしばらくしてから理解した。食べられるかもしれないと思うと急に日本食が恋しくなってきて、葵は期待に瞳を輝かせる。

「ほんとに何でも作ってくれるの?」

「材料が揃えられて作り方が分かれば、の話やけどな」

「あ、そっか」

 作り方は何とかなるにしても、材料が揃わなければ料理は出来ない。そうなると何が出来るのか、葵は故郷の料理を思い浮かべてみた。

(久しぶりにお米が食べたいなぁ)

 世界規模で見ればまた違うのかもしれないが、スレイバル王国での主食はパンやパスタである。まず『米』というもの自体が存在しているのか疑問を抱いた葵は、それをクレアに尋ねてみた。

「こめ? って何や?」

「……やっぱり、そうだよねぇ」

「説明出来んのんか?」

「うーん……」

 茶碗によそわれている白米を思い描いた葵は、その説明の難しさに頭を悩ませた。米が稲という植物の種子であることは知っているものの、そもそもこの世界には稲という植物自体が存在していないかもしれないのだ。

(植物……)

 そこでふと、葵の脳裏にある人物の顔が浮かんできた。その人物のことはクレアも知っているので、話題に上らせてみる。

「もしかしたら、アルに訊けば何か分かるかも」

 アルヴァ=アロースミスという青年はトリニスタン魔法学園アステルダム分校の校医をしている人物で、葵が異世界からの来訪者であることも知っている。博識な彼は植物にも興味を持っているようなので、この手の相談を持ちかけるには打って付けだ。クレアもアルヴァの博識さを認めているため、彼女はすぐに妙案だと頷いて見せた。

「せやったら、観劇を見た後でアルの所に行こうや」

 それで話がまとまったため、葵とクレアは屋敷で朝食を済ませてからパンテノンの街に赴いた。






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