悪事のにおい

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 空に重く垂れ込めた雲から大粒の雪が降りしきる夜、トリニスタン魔法学園アステルダム分校に内包されている保健室に酷自した『部屋』で、アルヴァはデスクに向かっていた。分厚い魔法書に羽ペンを走らせる作業を黙々と続けていた彼は、やがて来訪者の気配を察して眉根を寄せる。すかさず眼鏡を引き抜いたアルヴァが椅子ごと回転して背後を振り返ると、その直後、転移魔法に伴う光が室内をまばゆく照らし出した。光が収まった後、その発生源に佇んでいたのは燕尾服を身に纏った青年。夜分の好ましくない来訪者に、アルヴァは眉間のシワをさらに深いものにした。

「貴方はご多忙のはずではないのですか?」

「多忙だよ。特にこの時分は、この身が二つあったとしても足りないくらいにな」

 アルヴァの問いかけに気安い調子で答えた青年の名は、ロバート=エーメリー。彼はここ、トリニスタン魔法学園アステルダム分校の理事長である。しかしロバートは本当に多忙な身であるため、学園に姿を現すことは滅多にない。その彼がこうしてアルヴァの元を訪れる時、そこには必ず抜き差しならない事情があるのだ。厄介事のにおいを感じ取ったアルヴァが軽口に応えずにいると、ロバートは眉根を寄せたままの彼に何かの書類を差し出してきた。

「まずは、それを読んでみてくれ」

 そう言うと、ロバートは簡易ベッドに腰を落ち着けて紅茶を用意する。長話になりそうだと思ったアルヴァは嫌な予感を強めながら、渡された書類に目を落とした。

「これは……」

 ロバートが持ち込んできた書類には、貴族と思しき者達の名前が書き連ねられていた。趣旨の類は記されていなかったが、おそらくは嘆願書の一部だろう。それが何を意味するのかまでは分からず、書面から目を上げたアルヴァは怪訝な表情をロバートへと向ける。一人で勝手にティータイムを始めていたロバートはアルヴァの視線を受け止めると、カップをソーサーに戻して口元に笑みを浮かべた。

「それは今日、私の所へ直談判に来た者達の名だ。いちいち対応していられなかったのでな、執事に名簿を作らせた」

「直談判ということは、この学園の生徒ですか」

「正確には生徒の保護者だ」

「保護者?」

「彼らが訴える内容は、君にも深い関わりがある」

 そこまで情報を与えられれば、アルヴァにも事情が呑みこめた。嫌な表情をしながら書類をデスクに置いたアルヴァは、一つ息を吐いてから推測を口にしてみる。

「ミヤジマ=アオイかクレア=ブルームフィールドを退学にさせろとでも言ってきたのですか?」

「さすがだな。その両名を学籍から除名することを、彼らは望んでいる」

「その理由は、何です?」

「彼女達の特殊な経歴がアステルダム分校に相応しくないとのことだ。特にフロンティエールからの留学生には、しかるべき教育を受けさせるのが筋ではないかと言われた」

 しかるべき教育とはおそらく、魔法が使えない留学生を魔法学園に通わせるのではなく、家庭教師なり何なりをつけて個人指導をしろということなのだろう。それが学園の水準を保つためだと言われてしまえば、いかにロバートが理事長であろうと無下に扱うことは出来ない。だからこそ彼は、アルヴァにこの話を伝えに来たのだろう。状況と、ロバートの真意を把握したアルヴァは予想以上の厄介事に深々とため息をついた。

「まったく、分校の生徒はレベルが低くて嫌になるね」

「主張には一応の筋が通っている。そう扱き下ろすこともないと思うが?」

「それは貴方が、事態の裏側をご存知ないからですよ」

「ほう。それでは、この事態にはどのような側面があるのか聞かせてもらおう」

「簡単なことです。この名簿に、ご子息を学園に通わせている保護者は何名いますか?」

「ふむ?」

 興味を引かれたらしいロバートはベッドから離れると、アルヴァの元へ来て書類を手に取った。穴のあくほど書面を見つめていたロバートは、やがて「そういうことか」と独白を零す。彼がどの程度を承知しているのかは分からないが、補足は必要だろう。そう思ったアルヴァはもう一度嘆息してから口火を切った。

「このところ、マジスターの一人がミヤジマ=アオイに付き纏っています。彼女達はそれが、死ぬほど気に食わないのでしょう」

 嘆願の内容を真に受けるのであれば、葵がフロンティエールからの留学生であることが判明してすぐに訴えが起こされなければ辻褄が合わない。今まで放っておいたということは、マジスターと関わりさえしなければ葵が留学生であろうがどうでもいいということだろう。ここまで言えばさすがのロバートでも生徒の質の低さに呆れるだろうと思ったのだが、彼は予想外のことを口走った。

「ミヤジマ=アオイに手を出そうとしているマジスターとは、誰のことだ?」

「……そんなことを聞いてどうする?」

「決まっているだろう? そう簡単に不幸な少女マルシャンス・フィーユ処女バージンは渡さない」

 思い知らせてやらなければとロバートが言うので、頭痛がしてきたアルヴァはこめかみを指で押さえた。

「ロバート、いい加減にしろ」

「冗談はさておき、保護者の訴えは道理にかなっている。どうする、アル? 君の意見を聞きたい」

 本当に冗談だったのかどうかは疑わしいが、ロバートが話を元に戻したのでアルヴァも真顔に戻って答えた。

「君が動けないことは分かっている。だがこれは、いい機会だ」

「ほう?」

 おそらくは、アルヴァの困った顔が見たかったのだろう。ロバートは意表を突かれたような表情になった。彼の目が説明を求めていたため、アルヴァはすぐに真意を明かす。

「ミヤジマ=アオイは今、一時的に自力で魔法を使うことが出来る。この機会にトリニスタン魔法学園の生徒として相応しいと証明出来れば、今後はこういった問題も出ないだろう」

「召喚獣である彼女が、何故自力で魔法を使うことが出来る?」

「その辺りの説明は省かせてもらう。詰問されても答えないつもりだから、想像で補ってくれ」

「いくら私でも、それは無理があるぞ」

「なら初めから度外視しろ。話を先に進めたい」

 アルヴァは至って真面目に話をしていたのだが、何故かロバートがフッと笑みを浮かべた。話の腰を折りそうなその笑みに、アルヴァは露骨に嫌な顔をする。

「何だ?」

「いや、君らしくなってきたと思ってな。ハーヴェイにも今の君を見せてやりたいよ」

 それ以上ロバートに言葉を次がせると面倒な過去の話になりそうだったため、彼の発言をきれいに無視したアルヴァはさっさと話を進めることにした。

「証明の方法だが、進級試験を利用しようと思う」

 アステルダム分校では年に一度、白銀の月の終わりに進級試験が行われる。この試験に合格した者が、秘色ひそくの月から次の段階に進めるのだ。葵が自力で魔法を使える時期と重なって、もうすぐこの進級試験がある。アルヴァがこのピンチを「いい機会」だと思ったのは、その巡り合わせのためだった。

「通常の、教師が生徒の能力を認定する試験では不透明さが拭えない。訴えを起こしている生徒達がミヤジマ=アオイを認めざるを得ない状況を作りたいんだが、力を貸してくれるか?」

「直接対決をさせる、ということか」

「そういうことだ。証明が目的だからね、ある程度パフォーマンス性もあった方がいい」

「やはり君は逸材だよ、アル」

 この事態を面白がっているのか、楽しそうに笑っているロバートはあっさりと助力を申し出てくれた。

「久しぶりに愉快な催し物が見られそうだ」

 舞台が整ったことで思考を次の段階へと進ませていたアルヴァは、ロバートがポロリと零した独白にあ然としてしまった。

「もしかして、見に来るつもりなのか?」

「当然だ。アステルダム分校の理事長として、責務は果たさないとな」

「いや、出来れば……」

 来ないでくれ。アルヴァがそう言い終える前に、日時を指定して一方的に話を切り上げたロバートは去って行った。おそらくはアルヴァの言わんとしていたことを察しての、確信的な逃亡だろう。逃げられてしまった後では手の打ちようがないため、ため息をついたアルヴァは椅子に背をもたれた。






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