悪事のにおい

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 冬月とうげつ期最初の月である白銀の月の二十三日。その日、いつものようにトリニスタン魔法学園に登校するために家を出た葵は転移用の魔法陣が見えてきた所で歩みを止めた。その理由は魔法陣の中にアルヴァが佇んでいたからで、早朝からの来訪を訝しく思った葵は小走りで彼の傍へと寄った。

「どうしたの?」

 葵がまだ一人暮らしをしていた頃は、アルヴァが屋敷に現れることもあった。しかしクレアと同居するようになってからは彼が屋敷まで来たことは一度もない。そもそも『保健室』以外の場所で会うのも久しぶりのことで、葵はアルヴァの来訪を不思議に思ったのだった。葵の問いかけに対し、アルヴァは屋敷の方へと目を向けながら口火を切る。

「クレアさんは一緒ではないのですか?」

「うん。今日は朝から仕事だって。まだ中にはいると思うけど」

「そうですか。それでは、中へ行きましょう」

 アルヴァはどうやら、葵とクレアに話があるようだ。そのことを察した葵は無駄口を叩かず、無言で彼の後を追う。玄関扉を開けるとエントランスホールにクレアの姿があり、ちょうど出掛けようとしていたらしい彼女はアルヴァを見て目を瞬かせた。

「こないに朝早くから、どないしたんや?」

「おはようございます。クレアさんとミヤジマにお話があるのですが、少しお時間をいただけませんか?」

「うち、時間ないねん。今じゃなきゃダメなんか?」

「ミヤジマから本日はお仕事だと伺いました。遅刻の件につきましては、僕から姉の方にお詫びを入れさせていただきます」

 アルヴァの態度から相当に重要な話なのだと感じ取ったのだろう、クレアは真面目な表情になって「そういうことならば」と頷いている。アルヴァとクレアのやりとりを見ていた葵も、そこまで深刻な話なのかと眉根を寄せた。

 その後、客間で話をすることにした三人はエントランスホールの脇にある部屋へと移動した。テーブルを挟んで腰を落ち着けると、アルヴァがさっそく本題を口にする。

「先日、アステルダム分校に通う生徒の保護者から理事長に嘆願書が提出されました」

 その嘆願書の内容というのが、葵とクレアを退学させろというものだったらしい。そう聞かされても意味の分からなかった葵は首を傾げたのだが、憤ったクレアはテーブルを叩いて立ち上がった。

「なんや、それ! うちらが一体何したって言うねん!」

「クレアさん、落ち着いて下さい」

 アルヴァが冷静な口調で諭すと、クレアは一瞬動揺を見せてから再び腰を落ち着けた。相変わらずアルヴァに弱いなと思いながらクレアの横顔を見ていた葵は、アルヴァが話を再開させたので彼の方へと視線を傾ける。

「そのような嘆願書が出されたのは、トリニスタン魔法学園においてクレアさんとミヤジマの経歴が異例だからです。しかしあなた方は、決して魔法を使えないわけではない。そのことを生徒達に認めさせれば除籍は免れるだろうというのが理事長のお考えです」

「う、うん? それってつまり、どういうことや?」

「六日後の二十九日にアステルダム分校では進級試験があります。お二人にはその場で、トリニスタン魔法学園の生徒に相応しいという証明をしていただく、ということです」

 証明の内容は選ばれた生徒を相手に葵とクレアが魔法を使って闘うというものだった。クラス対抗戦のようなものだとアルヴァが言うので、理解が容易かった葵とクレアは一様に頷いて見せる。

「よっしゃ! やったるで!」

 実際にクラス対抗戦に参加したことのあるクレアは、ある程度自分の腕に自信があるのだろう。だが逸るクレアを、アルヴァが冷静な調子で押さえつけた。

「クレアさん、進級試験では魔法のみで闘っていただくことになります」

「えっ、そうなんか?」

 それまで勇ましかったクレアが急に動揺を見せたのは、彼女のパートナーであるマトが試験に参加出来ないと言われたからだった。マトはワニに似た魔法生物で、魔法生物には変態メタモルフォーゼという特殊能力がある。マトを武器に変態させて闘うことを得意としているクレアは、クラス対抗戦もその戦法で勝ちあがっていった。クレア自身は魔法に疎いため、彼女にとってマトを使えないことは大打撃なのだ。

「クレアさんもミヤジマも、発展途上で未熟です。魔法のみの勝負となれば、トリニスタン魔法学園の生徒には遠く及ばないでしょう。よって、これから六日間、お二人には特訓をしていただきます」

 特訓はすでに決定事項のようで、アルヴァの態度には取り付く島もない。こんな事態には慣れっこになってしまっている葵は小さく息を吐くだけで済んだのだが、クレアは有無を言わせぬアルヴァの調子に面食らっているようだった。クレアが驚いていることを見て取ったアルヴァは、そこでふと表情を緩める。

「お二人のために、出来る限りのことはさせていただきます。クレアさん、一緒に頑張りましょう」

「は、はいッ!」

 アルヴァの作為的な微笑みに、すっかり騙されているクレアは反射的にといった様子で元気な返事をした。さすがだと葵が苦笑していると、アルヴァはクレアに向けて言葉を重ねる。

「クレアさんにはまず、お仕事をお休みする許可を取ってきていただかなければなりませんね」

「あ、そうや。それやったら、すぐ行ってくるわ」

 ふと我に返ったクレアは、そう言い置くと走って客間を出て行った。アルヴァと二人で客間に残された葵は違和感のようなものを感じ、周囲に視線を走らせる。するとアルヴァの魔力が、徐々に部屋を覆っていく様子が見て取れた。客間を自身の魔力で包むことで外部から隔離してしまうと、アルヴァは疲れた表情になって重いため息をつく。

「ミヤジマに一つ、確認しておきたいことがあるんだけど」

 椅子に背中を預けて脱力したアルヴァが、それでもリラックスとは程遠い口調で話を続けたので葵は首を傾げた。

「何?」

「ロバートのことだ」

 不意にアルヴァの口から飛び出した名に、身構える暇もなかった葵は露骨に体を硬くした。葵の顔が強張ったのを見て、アルヴァはさらに重々しい息を吐く。

「やっぱり、か」

「……やっぱり、何?」

「トラウマなんだね」

 アステルダム分校の理事長であるロバート=エーメリーに、葵は酷い目に遭わされた経験がある。そのせいで未だに、その名前を聞くだけで体も心も拒絶を示してしまうのだ。胸が嫌悪でいっぱいになった葵は顔を歪め、無神経なアルヴァに食って掛かった。

「アルに言われるとムカツク」

 アルヴァはロバートとタッグを組んで、葵をハメたのだ。それから色々なことがあったのでもう忘れかけていたのだが、過去を掘り起こされると眠っていた感情が溢れ出てくる。アルヴァに対しても憤りを感じた葵は彼を睨みつけながら言葉を次いだ。

「大体、アルが……」

「ごめん」

「……へ?」

 今まさに怒りが噴出しようというタイミングで頭を下げられてしまい、出端を挫かれた葵はキョトンとしてしまった。思いきりよく低頭したアルヴァは顔を上げると、茶化すような様子でもなく話を続ける。

「過去は変えられない。でも今は、ミヤジマに悪いことをしたと思ってる」

 アルヴァがこれほどストレートに自らの非を認めることは滅多にあることではなく、呆気に取られていた葵はそのまま驚愕してしまった。ポカンとしている葵が我に返るための間を置いてから、アルヴァはさらに言葉を重ねる。

「ロバートが、進級試験を見に来ると言っているんだ」

「えっ……来る、の?」

「そう。当日に知ったら、ミヤジマも動揺するだろう? だから今、言っておく」

「あ……そう」

 困惑よりも嫌悪と不安が強まってしまったため、葵は次第に伏目がちになっていった。試験自体や特訓は嫌ではないのだが、ロバートと顔を合わせることになるかもしれないという恐怖が逃げ出したい思いに火を点ける。葵がそうした反応をすることまで予想していたらしく、アルヴァは淡々と話を続けた。

「彼はアステルダム分校の理事長だからね、進級試験に立ち会うこと自体は責務の範囲なんだ。だから来るなと言うことは出来ないんだけど、ミヤジマには近寄らせない。約束するから、ミヤジマは試験に集中してほしい」

 この言葉からはアルヴァの素直な気遣いが伝わってきて、葵の胸に垂れ込めた暗雲を払ってくれた。アルヴァはもう、ロバートと共に葵を陥れた当時の彼とは違う。優しくされても「何か思惑があるのでは」と考えなくて済むので、顔を上げた葵は苦笑いを浮かべた。

「なんか、アルに騙されたり助けてもらったり、変な感じ」

「僕もそう思うよ。こんなことになるのなら、ロバートの好きにさせるんじゃなかった」

「いまさら後悔しても遅いよ」

 葵の言葉に苦笑していたアルヴァは、ふと真顔に戻るとあらぬ方向へ顔を傾けた。つられた葵もそちらに視線を移したのだが、特に異変は感じられない。しかしアルヴァは葵には見えない何かを感じ取っているらしく、視線を戻すと顔をしかめた。

「レイチェルとユアンが来たようだ」

「え?」

「ちょっと話をしてくる」

 重々しいため息をつきながらそう言うと、部屋を覆っていた魔力を体に戻したアルヴァは無表情になって客間を出て行った。






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