シエル・ガーデンに現れた少年の一人は長い茶髪を一つに束ねていて、スポーツマンタイプのがっちりとした体つきをしている。彼は名をオリヴァー=バベッジといい、この学園のエリートであるマジスターの一員だ。そしてオリヴァーの横には、真っ赤な髪を逆立てている少年の姿がある。長身で、ガタイのいいオリヴァーと並んでも見劣りしない体躯の彼は、名をマシェル=ヴィンスといった。マシェルはこの学園のマジスターの一人であるウィル=ヴィンスの双子の兄弟だ。
「とりあえず、待ってみるか?」
オリヴァーが声を掛けると、頷いたマシェルは歩き出した。向かう先は花園の中央部にある、テーブルや椅子が置いてあるスペースだ。水路に囲まれたその場所は周囲よりも一段高くなっていて、広大なシエル・ガーデンの眺めを堪能することが出来る。そこで紅茶を飲みながら歓談するのが、この場所を占有するマジスターの集い方だった。
「誰かいるぞ」
先を歩いていたマシェルがふと、前方を指差した。彼が示したのはテーブルが置いてある場所で、そこに黒髪の少年の姿がある。現在地からでは後ろ姿しか見えないが、彼はマジスターの一人であるキリル=エクランドだ。
「キルだよ」
「おお、キリルか!」
久しぶりの人物との対面を喜んだマシェルは、すぐさまキリルの元へと走って行った。しかしマシェルが、勢い良くキリルの体を叩きながら声を掛けても、キリルは反応を示さない。マイペースにマシェルの後を追っていたオリヴァーがテーブルの反対側に回り込んで見ると、キリルは放心していた。側方からキリルの顔を覗き込んでオリヴァーと同じものを見たマシェルが、呆れた表情で口を開く。
「何だぁ? 目開けたまま寝てんのか?」
「ちょっと、キルには衝撃的なことがあったんだよ。まだ立ち直れてないみたいだな」
「何だよ? 面白そうじゃねーか」
詳細を聞かせろとマシェルが言うので、オリヴァーはキリルから魂が抜けてしまっている理由を簡略に説明した。女の子の裸を見たせいでキリルがこうなっていると聞き、マシェルは爆笑する。
「そんな理由かよ!」
「いや、ほら……初めてなら、けっこう衝撃的だろ?」
「お前まで何言ってんだよ!」
オリヴァーのフォローがさらなる笑いを誘ってしまったらしく、腹を抱えているマシェルは傍に来たオリヴァーの肩を力任せに叩いた。彼にそれをやられると存外に痛く、肩口に手を当てたオリヴァーはマシェルから距離を置く。しかしそれでも、マシェルは気にすることなく笑い続けた。変わっていないと苦笑したオリヴァーは楽しそうなマシェルを捨て置き、まだ呆けたままでいるキリルに向かう。
「キル。キル、正気に戻れ」
頬を軽く叩いてショックを与えると、キリルはハッとしたような表情をした。彼の漆黒の瞳に光が戻ったことを確認して、オリヴァーはキリルの傍を離れる。
「マシェル、お前も座れよ」
「マシェル?」
オリヴァーの視線に導かれ、我を取り戻したキリルも背後を振り返った。そこにいるはずのない人物の姿を見つけて、キリルは瞠目する。
「何でお前がいるんだよ!」
「よ。久しぶりだな、キリル」
答えになっていない返事をキリルに返すと、マシェルはオリヴァーの勧めに従って椅子に腰を落ち着けた。キリルが胡散臭そうな目つきでマシェルの動作を追っていたので、オリヴァーは茶器に紅茶を淹れさせてから軽く説明を加える。
「と、いうわけだ。ウィル、見なかったか?」
「見てねーよ」
「さっきの様子じゃ、見てたとしても見落としてそうだけどな」
マシェルが思い出し笑いをすると、バカにされたと感じたらしいキリルはムッとした顔になった。
「何なんだよ、てめぇはよ。いきなり出てきてデカイ面してんじゃねーぞ」
「お? やんのか?」
「あー、もう。久しぶりの再会だってのに、やめろよな」
喧嘩っ早い二人を宥めた後、この場にいるのがウィルでなくとも結局はこういう役回りになってしまうのかと、オリヴァーは自分の立ち位置に苦笑してしまった。
「ところで、キル。アオイには謝ったのか?」
キリルとマシェルの殴り合いを未然に防ぐため、オリヴァーはさらりと話題を変えた。マシェルを睨みつけていたキリルは顔色を変え、目を伏せて黙り込む。キリルが一瞬にして大人しくなったことで、マシェルが興味を示してきた。
「例の、バスルームを覗いちまったっていう女のことか?」
妙に食いつきのいいマシェルの態度を訝ったオリヴァーは、問いには答えずに眉根を寄せる。しかしオリヴァーから答えを得なくても話が通じてしまったらしく、マシェルは笑みを浮かべながらキリルに視線を移した。
「キリル、謝る必要なんかねーぞ。男ならそのまま、堂々と襲っちまえ」
「マシェル!!」
なんていらないことを言うのだと、焦ったオリヴァーは慌てて声を張り上げた。こういったことに免疫のないキリルは助言された通りに動くしかないため、余計なことを吹き込んで欲しくなかったのだ。しかしオリヴァーの心配も虚しく、キリルは何を言われたのか分かっていない様子で首を傾げた。
「謝らねぇで、殴るのか?」
どうやらキリルには、襲う=殴るという解釈しか出来なかったらしい。これにはマシェルだけでなく、長年の友人であるオリヴァーも絶句した。
「お前、それでも健全な男かよ」
しばらくの沈黙の後、マシェルが深いため息を吐き出した。それで我に返ったオリヴァーはまた余計なことを吹き込まれても困ると思い、マシェルに言葉を次がせないよう口火を切る。
「とにかく! やっぱりキルはアオイに謝るべきだ」
それが円満に問題を解決できる、唯一の方法である。オリヴァーが力強く主張すると、キリルは不安げな瞳を向けてきた。
「どうやって謝ればいいんだ?」
「自分が悪かったっていう思いを、キルの言葉でアオイに伝えればいいんだよ」
「オレの言葉で……」
もう何年も謝ったことのないキリルは、独白を零したきり沈黙してしまった。動きを止めた彼は何かを考えているようなのだが、その頭から次第に湯気が立ち上り始める。オーバーフローの予兆を見て取ったオリヴァーは、キリルの頭を休ませるべく沈黙を破った。
「とりあえず、アオイの所に行ってみようぜ。そろそろ来てる頃だろ」
オリヴァーが提案しながら席を立つと、キリルは煮え切らない様子ながらも頷いた。マシェルも行くと言うので、三人はシエル・ガーデンを出て校舎へと向かう。しかし二年A一組の教室を覗いてみても、そこに求める者の姿はなかった。
オリヴァーやキリルが教室に姿を見せた途端、授業中だった二年A一組は騒然となった。その騒ぎにつられて他クラスからも女子生徒が出て来たので、黄色い喚声は廊下中に響いている。キリルやオリヴァーにとってはいつものことだったが、騒がれることに慣れていないらしいマシェルは不愉快そうに顔を歪めた。
「うるせーな。何だ、これ」
分校ではマジスターの称号が特別なものだが、本校にはそもそも、そのような称号を持つ者がいない。本校の生徒はその一人一人が、分校のマジスターと同等か、それ以上の能力を有しているからだ。実力が拮抗している集団の中では無闇に騒ぐ必要も、騒がれる必要もない。マシェルが身を置いているのはそういった世界であり、彼を気遣ったオリヴァーは一般の生徒が入って来ることの出来ないサンルームに移動することにした。
「分校の連中ってのは、みんな
校舎五階にあるサンルームに逃げ込むなり、マシェルは呆れた調子で口火を切った。彼から不愉快そうな顔を向けられたオリヴァーは苦笑するだけで答えとし、その後、キリルに視線を向ける。
「アオイ、いなかったな。謝るのは明日にするか?」
「……家に行く」
即答したということは、キリルは早く葵と仲直りしたいのだろう。彼の考えを微笑ましく思ったオリヴァーは同行を申し出て、マシェルにも意思を問う。マシェルが当然のことのように行くと言ったので、三人は葵の住む屋敷に赴くことにしたのだった。
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