進級試験

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 特別試験に決着がついて周囲が静まっている中、中庭では葵とクレアだけが楽しそうに笑い合っていた。観覧の生徒達が沈黙しているのはそれが奇妙だからなのだろうが、校舎五階にある一室でマジスター達が黙り込んでいるのは、それとは訳が違う。彼らが互いに言葉を交わすこともなく真顔で中庭を眺めるようになったのは、葵が強靭な炎を呼び出した時からだ。

「……わけが分からねぇ」

 沈黙を破ったのはキリルで、彼は独白を零すと頭を抱えて座り込んでしまった。『わけが分からない』という感覚はオリヴァーとマシェルにも共通のもので、彼らは眉間のシワを解いた後、顔を見合わせた。

 マジスターの目から見た特別試験の内容は、全体的にグダグダなものだった。その中で唯一、葵が使ったのであろう炎の魔法だけが異彩を放っていた。あれだけの魔法を使えるのであれば、対戦相手だったアステルダムの生徒など労せず倒せたことだろう。にも関わらず、彼女達は敗北してしまった。そして負けたというのに、今もなお楽しそうに笑い合っている。これほど奇妙な出来事は、そう滅多にお目にかかれるものではない。

「あの二人は何なんだ?」

 マシェルの疑問はもっともなものだったが、彼よりも葵達との付き合いが長いオリヴァーやキリルにも、その答えは分からなかった。オリヴァーが苦笑いを浮かべただけで答えとすると、マシェルは真顔のまま中庭へと視線を戻す。オリヴァーもつられて顔を傾けると、そこには理事長の姿もあった。






 試合終了後にクレアと笑い合っていた葵は、とある人物が中庭に姿を現したことにより表情を凍りつかせた。明るいブラウンの髪にミッドナイトブルーの瞳を持つ青年の名は、ロバート=エーメリー。トリニスタン魔法学園の教師が身につけているようなローブではなく、スーツのような服装をしているが、彼はこの学園の理事長である。そして葵にとっては、二度と会いたくないと思うほど嫌悪感のある相手だった。

「ロバート様」

 ロバートと面識のあるクレアは彼の存在に気がつくと、すぐに態度を改めた。それは貴人の使用人として働く彼女の条件反射と、単にロバートのことを気に入っている性根からくる変化だ。クレアの手前、あまり大袈裟な拒絶を見せるのもどうかと思い、葵は平静を装いながら目だけ伏せた。

(アルのうそつき)

 ロバートが進級試験を見に来るのだと告げた時、アルヴァは彼が葵に近づかないよう工作をしてくれると約束をした。しかし試験が終わった後には無効の約束だったのか、アルヴァが介入してくるような気配はない。人前に出ることを極端に嫌う彼のことだから無理もない状況なのかもしれないが、それでもアルヴァを恨みたくなるほど、葵はロバートを恐れていた。

「え? 合格?」

「ど、どういうことですの!?」

 この場から逃げ出すための糸口を探しているとそんな会話が聞こえてきたので、葵は伏せていた目を上げてみた。見ると、クレアはキョトンとした表情をしていて、ココともう一人の女子生徒がロバートに食ってかかっている。問責口調のココ達に、ロバートは淡々とした調子で説明を加えた。

「この特別試験で重要なのは勝敗ではなく中身だ。ミヤジマ=アオイとクレア=ブルームフィールドは我が校の生徒として相応しい。それはこの特別試験で、十分に証明されたと思うが?」

 葵とクレアの退学を求める者達の訴えは、魔法を十分に使いこなせない者が学園にいると生徒の水準が下がるというものだった。しかしこの進級試験で、葵とクレアは幾度もココ達の魔法を防ぎ、なおかつ一人分の水晶球まで破壊した。それは魔法を十分に扱えないことの証明にはならず、むしろ彼女達が魔法を使いこなしているということを証明してしまったのだ。ロバートがそう言っていることはやがてココ達にも伝わったらしく、葵とクレアの退学が決まったと喜んでいた彼女達は絶句してしまった。

「ミヤジマ=アオイ」

「は、はい!」

 反射的にロバートの呼びかけに応えてしまってから、葵は自分の習性を激しく悔いた。しかし顔を歪めている葵の胸中は意に介せず、ロバートは平然と距離を縮めてくる。

「おめでとう」

 その一言と共に肩に手を置かれた時、葵の肌は粟立った。思い出したくもない記憶が蘇り、渦を巻くように頭の中で巡る。だが葵が悲鳴を上げてしまう前に、救世主が空から舞い降りた。

「気安く触ってんじゃねぇ!!」

 校舎の五階から窓を破って飛び降りて来たキリルは、二人の間に割って入ると怒声を発しながらロバートを睨み付けた。ロバートの姿が見えなくなったことでふっと緊張が緩んだ葵は脱力して、その場に座り込む。物音に気付いて振り返ったキリルは、座り込んでいる葵を見て瞠目した。

「何だ!? どうした!」

「アオイ!?」

「だ、大丈……」

 クレアまでもが駆け寄って来たため、葵は何とか立ち上がろうとしたのだが試みは失敗に終わってしまった。どうやら腰が抜けてしまったようで、自力では立ち上がれない。そうこうしているうちにオリヴァーまでもが姿を現したので、騒ぎが大きくなってしまった。

「キル、保健室まで運んでやれよ」

「分かった」

 オリヴァーの提案に頷くと、キリルは軽々と葵を担ぎ上げた。それは『お姫さまだっこ』などという優雅なものではなく、荷物のように肩に乗せられた葵は苦しいと訴えたのだが、抗議の声は無視されてしまう。オリヴァーはすぐに葵とキリルの後を追ったが、クレアはロバートを気にして足を止めた。クレアの視線を受け止めたロバートは、彼女に柔らかな微笑みを向ける。

「気にせず行くといい」

 ロバートがそう言うので、クレアは彼に向かって低頭したのち、中庭を後にする。役者が消えた後、ロバートは校舎の窓を埋め尽くしている生徒達に呼びかけた。

「抗議は受け付けよう。結果に異論のある者は反証を持って私の許へ来るといい」

 生徒達にそれだけを言い置くと個人的に含みのある笑みを零し、ロバートは転移魔法によってその場を立ち去った。






 理事長の姿が中庭から失われると、それまで水を打ったように静まり返っていたアステルダム分校は様々な思いを孕んだ生徒達のざわめきに支配された。耳障りな雑音を避けるように中庭を後にしたココは、自身が所属する二年A一組の教室に戻って、窓辺に寄る。そこで沸々と湧いてくる怒りを静めようとしていると、誰かが教室に進入して来た。

「ココさん……」

 人気のない教室に姿を現したのは、ココがいつも一緒にいるクラスメート達だった。彼女達は勝負に勝ったにも関わらず目的を達することの出来なかったココに、どう言葉をかけていいのか困っているようである。そんなクラスメート達の煮え切らない態度が、逆にココを冷静にさせた。

「皆さんに是非、手伝っていただきたいことがありますの」

「言ってください。わたくし達に出来ることでしたら何でもいたしますわ」

 呼びかけに素早く呼応したのはサリーという少女で、彼女に続いて他のクラスメート達も助力を申し出てくる。こういう流れになった以上、彼女達はもう後には引けない。それが分かっているココは薄い笑みを浮かべ、彼女達に新たな計画を明かした。すると途端に、それまで協力的だった少女達の顔が強張っていく。

「ココさん、それは……」

 いくら何でもやりすぎだと、誰もが思っているのだろう。しかし一度は『何でもやる』と言ってしまった手前、誰も言葉の続きを口にすることが出来ずにいる。躊躇っている少女達に、ココは畳み掛けるように笑みを見せた。

「先程の光景、皆さんも見たでしょう? あの女が学園にいる以上、これから幾度もあのような光景を見なければならないのですわよ?」

 ココが自分の言葉にイラついたように、クラスメート達の脳裏にも葵を気遣うキリルの姿が蘇っていることだろう。あんなことが繰り返されてはならないのだというココの言葉に、異を唱える者はもう一人もいなかった。






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