オロール城の夜

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「キルの恋愛はアオイが初めてなんだ」

 わざわざ言う必要もないことだとは思うけれどと前置きして、オリヴァーはそんな風に話を切り出した。今はキリルの名前を聞くだけでも嫌悪感を覚える葵は、無言のまま顔をしかめる。しかし反論はしなかったので、オリヴァーは話を続けた。

「キルはアオイに、どう接していいのか分からないんだ。だから今までのことはほとんど、キルが自分で考えてやったわけじゃない」

 キリルが誰かの意見を鵜呑みにした例として、オリヴァーは『キスの練習』のことを話題に上らせた。あの時はウィルの言葉に乗せられて、キリルはそんなことをしたのだという。そして今回は、キリルに妙な入れ知恵をしたのはマシェルだろう。そうでなければ無知なキリルが女の子を襲うなどといった暴挙に出るはずがない。オリヴァーがそう断言するので、葵は呆れと同時にマシェルに対する憤りを抱いた。

「いい人だと思ったのに……。サイアク」

「いい人って、マシェルか?」

 オリヴァーに問いかけられたが、葵にはもう頷くことが出来なかった。二人で話をしていた時には確かに、マシェルの態度には誠意が窺えた。けれどそれは、演技だったのかもしれない。葵が苦々しく語ると、オリヴァーはアッサリとその考えを否定した。

「それはないな」

「オリヴァーはあの人と友達だから、そう思いたいんじゃないの?」

「いやいや、そうじゃないって。実際ウィルなんかは、俺も性格悪いって思ってるし」

「……ウィルは、なんか別だよ。ウィルが性格悪いのなんてみんな知ってるし、本人もそれで構わないみたいなところがあるじゃん」

「お、冷静な分析だな。確かにウィルは、そういうところがある。でもマシェルはさ、ウィルみたいに計画立てて他人を陥れるようなことはしない。そもそも似てないんだよな、あの双子は」

 空を仰いだオリヴァーはそこで、マシェルとウィルが子供の頃のエピソードを葵に語った。

 ウィルとマシェルは双子だが、外見が似ていないだけでなく性格もかなり違っていた。そのため昔から仲が悪く、兄弟ゲンカが絶えなかったのだという。成長と共にウィルは「いかにしてマシェルを陥れるか」ということに観点を置くようになり、そのことが結果として、謀を巡らすのが好きな今の性格を形成したらしい。それに対してマシェルは、いつも拳でもってウィルの謀と闘っていた。要は乱暴な子供だったということなのだが、そういう直情的な性格なので、マシェルは自分を偽るのが苦手なのだとオリヴァーは言う。

「だからさ、マシェルがアオイを心配するようなことを言ったのなら、それはあいつの本心なんだよ。キルのことも、そそのかす気なんかなかったんだと思う。ただちょっと、アドバイスしたのがあんまりいい内容じゃなかったと言うか……」

「……もう、いいよ」

 オリヴァーの言葉からは友人の良いところを知ってもらいたいという思いがひしひしと感じられた。彼が友人を思う気持ちまで否定したくなかった葵は話を切り上げることにしたのだが、その意図は伝わらなかったらしく、オリヴァーは不安げな表情をしている。とことん人が好いなと思った葵は硬質さを崩して苦笑して見せた。

「マシェルのことは、もう分かったから。悪気はなかったって言いたいんでしょ?」

「もう二度とあんなことしないように言っておくからさ、キルのことも許してやってくれないか?」

「それは……」

 難しいかもしれない。胸中でそう呟いて眉根を寄せた葵はふと、オロール城に来た本来の目的を思い出した。どのみちキリルのことは拒絶するのだから、許そうが許すまいが関係ない。

「あのさ、今度は私の話、聞いてくれる?」

「え?」

 唐突な話題の転換にオリヴァーは困惑していたが、話を聞く気はあるような様子だったので、葵は冷めた紅茶を一口含んでから言葉を重ねた。

「ほんとはキリルに話そうと思ってたんだけど、話にならないから」

「……どういう、ことだ?」

「こんな風にマジスターと親しくするの、もうやめたい」

 マジスターに関わるといつも、ロクなことがない。葵はそう感じるに至った理由を、洗い浚いオリヴァーに話して聞かせた。その中には葵がトリニスタン魔法学園で女子生徒から受けたイジメのことや、特別試験が行われることになった裏の理由も含まれていたので、さすがにオリヴァーも険しい表情になる。

「そんなことが、あったのか」

「うん。だからね、今日もキリルにはっきり断るつもりで来たの。でもあいつ、話聞いてくれなかったから。オリヴァーから伝えておいて」

 オリヴァーは少し迷っているような間を置いたが、結局は「分かった」という返事を寄越した。それでもうキリルの話を終わらせたかった葵は、表情を改めて話題を変える。

「オリヴァーってさ、モテるでしょ?」

「は?」

「あ、違った。実際にモテてるんだった」

「……何でいきなり、そんな話になるんだ?」

「オリヴァー見てて、そう思ったから」

 親しく会話をするのは、これで最後。葵がそういうつもりで話していることを感じ取ったのか、オリヴァーも嘆息してから話に応じてくれた。

「俺は『いい人』で終わるタイプだよ」

「え〜? そんなことないと思うけどなぁ」

「じゃあ聞くけど、アオイは俺を『男』として見れるか?」

 真顔で問われ、葵は閉口してしまった。確かにオリヴァーは『いい人』だが、そう思うことは恋愛感情とはまったく別のものである。即答出来なかったことが答えになったらしく、オリヴァーは朗らかに笑ってみせた。

「な? そんなもんだ」

「ううん……でもさ、オリヴァーの良さを分かってくれる人って絶対いるよ」

 オリヴァーはきっと恋多きというタイプではなく、一人の人と長続きするタイプなのだ。葵がそう言うとオリヴァーは珍しく、ニヒルな笑みを浮かべた。

「昔さ、好きな子がいたんだ」

「ええっ!?」

 オリヴァーからそんな話を聞くのは初めてのことで、驚いた葵は大袈裟なリアクションをしてしまった。そんなに驚くことかと苦笑いをした後で、オリヴァーは過去を語り出す。

「貴族の結婚は親が相手を決めるのが当たり前で、俺もそういうもんなんだと思ってた。でもなぁ、婚約者フィアンセとは別の相手を好きになっちまったんだよな」

 オリヴァーが好きになった相手は町娘だった。いわゆる、お互いの身分が障害になる恋である。バベッジ公爵家の嫡男であるオリヴァーにはすでにフィアンセもいて、想いを叶えることは非常に難しかったのだという。だがオリヴァーは、恋に生きることを選んだ。その結果としてアステルダム分校に通っているのだと聞き、葵は鳥肌が立ってしまった。

「う、うわぁあ。カッコイイ」

「だろ? でもさ、この話にはオチがあるんだよ」

 オリヴァーが苦笑いをしたので、葵は何となく嫌な予感を覚えた。オリヴァーはその苦笑いを崩さないまま、話を続ける。

「爵位の放棄ってけっこう大事でさ、かなり揉めた末に弟が爵位を継ぐってことで丸く収まったんだ。婚約も解消してさ、その子には全部が終わってから一緒になって欲しいって伝えた。そしたら、そんなことしてくれって頼んでないって、言われちまったんだよなぁ」

「え、ええっ……!?」

「俺は心が通じ合った気でいたんだけど、彼女にしてみれば、俺はただの『いい人』だったってわけだ」

「そ、それは……何と言うか……」

「お気の毒、ってやつだよな? まあ、若かったってことだ」

 その大失恋がいつのことなのかは分からないが、あっけらかんと過去を振り返っているオリヴァーの傷はすでに癒えているようだ。それにしても……と、葵は眉根を寄せる。

「ひどいね、その子」

「いや、行動を起こす前に相談しなかった俺が悪いんだ。爵位の放棄なんて俺以上に、彼女にとっては大変なことだったんだと思う」

「オリヴァーって……」

 どこまで『いい人』なのだろう。ここまでいくともう、呆れるくらいのお人好しだ。そんなことを思った葵が言葉を次げないでいると、オリヴァーは淡々と話を続けた。

「あいつらは俺が何で爵位を放棄したのか知らないんだ。カッコ悪いから、誰にも言わないでくれよ?」

「えっ、マジスターも知らないの?」

「言ったら絶対バカにされるだろ? まあ、バカみたいな話だと俺も思うけど」

「そんなことないよ! カッコイイって!」

 好きな女の子のために安泰が約束されていた未来を捨てるなど、なかなか出来ることではない。その決断がオリヴァーの好きだった子にとっては重荷になってしまったようだが、葵は彼の行動力を純粋に評価していた。「絶対にカッコイイ」と力説する葵を見て、オリヴァーは微笑ましげな表情を浮かべる。

「ありがとな。社交辞令でも嬉しいぜ」

「だから、お世辞じゃ……」

 それまで普通に喋っていたのだが、そこで突然、葵は猛烈な眠気に襲われた。それはまさに急襲といった感じの睡魔で、あっという間に瞼が落ちていく。視界が閉ざされたのと意識がなくなったのはほぼ同時の出来事で、正体をなくした葵の体は椅子から転げ落ちた。






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