「アルヴァ=アロースミスって人が、
事情を呑みこめずにいるクレア・オリヴァー・キリルの三人に向かって、マシェルはそんな風に話を切り出した。キリルは興味がなさそうな顔をしていたが、次第に好奇心が顔を覗かせ始めたオリヴァーはウズウズしだす。クレアはすでに知っていたようで、無言で頷いていた。
トリニスタン魔法学園は王立の名門校だ。魔法を学ぶ者にとっての聖域であるこの学園は分校であっても、貴族でなければ入学することすら難しい。それが王家の直轄となっている本校ともなると、分校のエリートであるマジスターくらいの実力がなければ生徒になることは出来ないのだ。そんな名門中の名門校にある時、特異な存在である庶民の姉弟が入学した。それがレイチェル=アロースミスとアルヴァ=アロースミスである。
トリニスタン魔法学園の本校に庶民が入学したというだけでも大事だったのだが、彼らはエリートばかりが集っている本校においても一目置かれるような存在だった。しかし本校の生徒である間の功績は全て王家のものとなるので、彼らが学生の頃に成し遂げた偉業は記録には残っていない。それでも偉大な先輩というのは語り継がれるもので、トリニスタン魔法学園の本校では今も尚、マジスターという称号を生み出した姉弟の伝説が生きていた。だから本校の生徒であるマシェルや本校に在籍したことのあるハルは、アルヴァ=アロースミスの名が持つ意味を知っていたのである。
「世間に名前は知られていなくても、アルヴァ=アロースミスの名は本校のあちこちに残ってる。あの人はすげぇよ。普通に魔法を使うだけじゃなく、魔力自体をどうこうしようって考え出したのもあの人だしな」
その発想力は常軌を逸していると、マシェルは
「講師に来られるとよく、エクランド卿も話題に上らせるぜ。学友だったんだってな」
ここでいう『エクランド卿』とはキリルの兄であるハーヴェイ=エクランドのことで、それまでつまらなさそうにしていたキリルがマシェルの方に顔を傾けた。ハーヴェイとアルヴァが学友だったと聞き、
「だからハーヴェイさんがあんなこと言ったのか」
「せやけど、学友いうわりには……」
ハーヴェイがアステルダム分校に来ていた時、彼はアルヴァが儀式に参加することを望んでいた。しかしアルヴァはそれを、頑なに拒んでいたのだ。オリヴァーとクレアが眉根を寄せて空を仰いでも、マシェルは上機嫌なまま一人で話を続ける。
「ま、とにかく、アルヴァ=アロースミスって人はすげぇんだよ。まさかこんな所にいるとは思わなかったぜ」
「盛り上がっとるところ悪いんやけど、たぶんおたくはアルとは会えないと思うで」
「何でだよ!?」
クレアが水を差すと、それまで喜々として喋っていたマシェルが血相を変えた。詰め寄られる前に身を引いたクレアはマシェルとの距離を計りつつ、言葉を続ける。
「うちかて、いつも会えるわけやないからや」
「そういえば終夏の儀式の時も、俺達はけっきょく顔も見られなかったな」
ハーヴェイがアルヴァに儀式への参加を求めたのは、オリヴァーの望みを叶えるための交換条件だった。しかしアルヴァが人前に姿を現すことはないという理由から、葵が間に入って彼の説得を試みてくれたのだ。自身が校医を勤める学園の生徒にさえ姿を見せないほど、アルヴァの引きこもりっぷりは徹底している。そのような人物が部外者である自分の前に姿を現すことはないと納得したのか、マシェルはがっくりと肩を落とした。それでもまだ諦めきれない様子で、クレアに向かって質問を重ねる。
「なあ、あんたは直接会ったことがあるんだろ? アルヴァ=アロースミスってどんな人だった?」
「めっちゃエエ男や。うちが今まで出会ったエエ男の中でも五本の指に入るわ」
「ふーん。やっぱり、レイチェル講師に似てんのかな。気になるぜ」
「そっくりやで。うちも最初見た時は驚いたわ」
クレアがポロリと零した一言に、一瞬時が止まった。誰もが違和感の正体を探している中で結論に辿り着いたのはオリヴァーが一番早く、彼は驚きを露わにしながらクレアを振り向く。
「レイチェル=アロースミスを知ってるのか!?」
「あ、しもた! 今のナシや、ナシ!」
「説明してくれよ! 何でクレアがレイチェル=アロースミスと知り合いなんだ!?」
「う、うちは何も喋らんで!」
「っ、ごちゃごちゃうるせー! 今は他にすることがあるだろうが!」
それまで黙っていたキリルが怒りのこもった容喙をしてきたので、クレアはこれ幸いと話に乗った。
「そうや! おたくの言う通りや!」
クレアとレイチェルの関係に疑惑の目を向けていたオリヴァーとマシェルも、その点については異議を唱えなかったので、その後はその場にいた全員で保健室に向かうこととなった。しかし保健室にいたのはヌイグルミのような
「やっぱり、おらんみたいやな」
「他にアルヴァって人が行きそうな場所に心当たりはないのか?」
「うちもアルのことはよう知らんからなぁ。とりあえず、ここで待ってみるわ」
クレアとオリヴァーがそんな会話をしていると、不意に保健室の扉が開かれた。アルヴァがやって来たのかと思って視線を移してみれば、戸口に佇んでいたのは白いローブに身を包んだ男子生徒。その顔には覚えがあったので、クレアは少年の傍に寄りながら声をかけた。
「ケガでもしたんか?」
クレアが彼に話しかけたのは、その少年がクラスメートだからだった。男子生徒は保健室の中にいるマジスターを気にした後、硬い表情でクレアに向かって口火を切る。
「アオイさん、今日はどうして来てないんだ?」
少年が葵のことを口にした刹那、目つきを鋭くしたキリルがこちらに向かって来た。その威嚇するような眼差しに少年が怯えてしまったので、背後を振り返ったクレアは呆れながらキリルを制する。
「おたくはあっち行ってや。それで、アオイがいないことが何か気になるんか?」
キリルを手で追い払ってからクレアが向き直ると、少年はまだ少し怯えた様子を残しながらも話を再開させた。
「実は昨日……見たんだ」
「見たって、何をや?」
「バーロウ達がアオイさんを連れて行くところ」
「……バーロウって誰や?」
聞き覚えのない名前にクレアが眉をひそめると、少年はクラスメートの女子だと補足した。そのバーロウという少女がクレア達のクラスの女子を仕切っているココの腰巾着だと判明した時、クレアは顔色を変える。
「詳しく説明してや」
クレアが険しい表情で促すと、少年も真剣な面持ちで頷いてから説明を始めた。彼は昨日、昼食を終えて早めに学園へ戻ったところ、葵がクラスの女子と共に教室を出て行く姿を目撃したのだという。その様子が普通ではなかったので気になっていたのだという話を聞き、クレアはさらに表情を険しくした。
「……事情は、大体分かったわ」
情報提供に感謝してクラスメートの男子を帰した後、クレアは表情を緩めないまま背後を振り返った。そのまま足早にキリルの元へ寄ると、彼の頬を平手で張る。突然叩かれたキリルは茫然としていたが、クレアは憤りを堪えることなく言葉を紡いだ。
「アオイに何かあったらあんたのせいやで!!」
一息に怒りをぶつけた後、クレアはあ然としているマジスターを残して一人で保健室を後にした。
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