すれ違い、重ならない

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 エントランスホールでの騒動の後、葵は一人で校舎一階の北辺にある保健室を訪れた。魔法の鍵マジック・キーを使って扉を開けた葵は保健室に酷似した窓のない『部屋』に進入し、簡易ベッドの一つに身を投げる。葵が部屋に入って来たのと同時に席を立ったアルヴァはベッドに寄ると、そこから垂れ下がっている葵の手を取って凝視した。

「アル……?」

「ミヤジマ、これは一体どうしたんだ?」

 体を起こした葵はアルヴァが自身の左手を注視しているのを見て取り、「ああ……」と呟きを零した。

「アルには見ただけで、それが何だか分かるんだ?」

「このリングから迸る炎は普通じゃない。これは……エクランドの魔力、か?」

「なんかね、フレーム・ガルディアンとかいうものらしいよ」

「精霊の炎……。そんなものを、どうしてミヤジマが身につけているんだ?」

 眉根を寄せて険しい表情をしているアルヴァが問いを重ねてきたので、葵はエントランスホールで起こった出来事をかいつまんで説明した。

 あの後、葵は何度もキリルに返却を申し出た。しかし彼は聞く耳を持たず、葵の左手の薬指に指輪を嵌めたまま姿を消してしまったのだ。どうやらこの指輪は特殊なものらしく、外そうと思っても指と一体化してしまったかのように動きもしない。困ってしまった葵はアルヴァに相談しに来たのだが、口を開く前に疲れがどっと押し寄せて、ベッドに倒れこんでしまったというわけだった。

「精霊の炎と自分がミヤジマを護る、か……」

 指輪を入手した経緯を聞いた後、アルヴァはキリルの発した言葉を繰り返しながら口元に手を当てた。そういった科白は誰から聞かされても恥ずかしく、葵は大袈裟に嫌な表情を作る。

「これ、どうやって外せばいいの?」

「その指輪を外すには儀式が必要だね」

「儀式? どんな?」

「聞いても無駄だよ。エクランドの者にしか出来ないことだから」

「ええ……」

 それはつまり、キリルを説得しない限りは指輪を外すことが出来ないということだ。左手を顔に近付けてみた葵は薬指に輝く紅の石を見つめ、重いため息を吐き出す。

「何も、こんな所に嵌めなくてもいいのに」

「こんな所?」

「左手の薬指」

「それが、何か問題でも?」

 アルヴァの反応から察するに、この世界では左手の薬指に特別な意味はないようだ。その意味を一から説明するのも気が重かったため、葵は憂鬱ごと話を流すことにした。

「何でもない。っていうか、これ私が持ってても大丈夫なものなの?」

「……いいんじゃないか? せっかくもらったんだから有効に使えば」

 不意に素っ気ない口調になって答えると、アルヴァは指定席である壁際のデスクへと戻って行った。そこで横柄に足を組んでから、彼は話を続ける。

「その指輪に護られていればミヤジマに手を出せる者はいないよ。少なくとも、この学園内ではね」

「うーん……」

「利用するのはけっこうだけど、キリル=エクランドと恋仲にだけはならないで欲しいね」

「私が悪女みたいな言い方、やめてよ」

 どうにもアルヴァが突っかかってくるので、葵はそこで指輪の話を終わらせることにした。彼には他にも、話さなければならないことがある。

「私、また魔法が使えなくなったから。一応、言っておくね」

 葵が話題を変えるとアルヴァも態度を改め、魔法で二人分の紅茶を淹れてから話を続けた。

「その理由は分かってるの?」

「……うん。おじーさん……元精霊王が世界に還っちゃったから」

「何故、ミヤジマにはそのことが分かったんだ?」

「何でって……教えてもらったから」

「……誰に?」

 アルヴァが怪訝そうに眉根を寄せたのは葵がまだ、自分がどうやって助かったのかという話をしていないためだった。屋敷で療養していた時はクレアがいたので話せなかったのだが、この部屋でなら密談を堂々と口に出来る。学園へ着いた途端に騒動があったせいで本題を切り出すのが遅くなってしまったが、葵はもともと、この話をするためにアルヴァの元を訪れたのだった。

「誰っていうのは言えないんだけど、とにかく助けてくれた人がいたのね。それで、その人からアルに伝言があるの」

「僕に?」

「うん。禁呪っていうものに関わっちゃいけないって」

 禁呪という単語を葵が口にした途端、それまで不審そうにしていたアルヴァの表情が一変した。彼は無表情に戻ったのだが、その面からはただならぬ険しさが滲み出ている。アルヴァのそういった一面を見慣れている葵でさえ、この時はゾクリとした。

「ミヤジマ、僕に隠し事をするのは感心しないな」

「私が隠したいわけじゃないよ。でも、そういう約束だから」

「どうしても、言えない?」

「……言えない。でも、これだけは言えるよ。あの人はたぶん、アルのこと心配してくれたんだと思う」

 アルヴァが秘密裏に何をしているのか、葵は知らない。精霊王が語った言葉にどれほどの意味があるのかも分からないが、彼はきっと、かなり際どいことをして葵に伝言を託したのだ。それが誠意でないはずがない。

「……分かった。この話はここで終わりだ」

 しばらく睨み合っていても葵が口を割らなかったため、アルヴァは威圧感を消し去った。睨み返してはいたもののかなり怖かったので、葵はホッと安堵の息を吐く。

「じゃあ私、他にも用があるから」

 エントランスホールでの一件で思い切り出端を挫かれてはいるが、今日は忙しいので長居をしてはいられない。ティーセットをベッドの脇の台に置いた葵はアルヴァに小さく手を振ると、窓のない『部屋』を後にした。






 葵が部屋を出て行くのを見送った後、椅子ごとデスクに向き直ったアルヴァは再び、整った面に険しさを滲ませた。眉間に深いシワが刻まれたのは、先程の『伝言』がただならぬ内容だったからだ。

(一体、誰が……)

 アルヴァが禁呪の研究を続けていることを知っているのは、同じく魔法の枠組みカドルを外れたル・ノワールのメンバーだけだ。レイチェルやユアンでさえも知らないことなのに、葵に伝言を託した者はその事実を知っていた。その前提からして、アルヴァにとっては大問題なのだ。

(……いつか、ミヤジマの口を割らせる必要があるかもしれないな)

 あれこれと可能性を探ってみたが、そのどれもが真実味を帯びなかったため、アルヴァは短く息を吐いてから首を振った。頑なな姿勢を見せた葵の口から真実を聞き出すには、強硬手段に出るより他ないだろう。現実主義な思考がそういった結論に達していたが、気は進まない。少し様子を見ようと思ったアルヴァはデスクの引き出しを開けると、そこから煙草と、黒色の輝石が嵌めこまれた指輪を取り出した。

 煙草に火をつけると椅子を少し動かして、脚を組んだ。何気なく眺めている指輪は拉致騒動の後に葵の身を護るために作り出したものだったが、エクランドの守護を得られた今となっては無用の長物だろう。不意に、自分が道化のように思えたアルヴァは皮肉な笑みを浮かべた。

「一人デ笑ウ、オカシナ奴ネ」

 たまたま来訪してアルヴァの嘲笑を目にしたスミンが、気味が悪いというように眉をひそめて言った。笑みは口元に残したまま、席を立ったアルヴァは咥え煙草で白衣を脱ぎ捨てる。白衣の代わりに黒いマントを羽織ると、アルヴァはデスクの上に火柱を出現させて指輪を燃やした。

「何ノ指輪リングカ」

「大したものじゃないよ」

 口にしていた煙草も火柱に放ると、アルヴァはデスクの上に釘付けになっているスミンを促した。その瞬間、葵から聞いた『伝言』の内容が脳裏をかすめていく。

(もう、遅いよ)

 禁呪の研究はすでに、人体実験を行う域にまで達してしまっている。またアルヴァには、誰に咎められようとも研究をやめるわけにはいかない事情もあった。ならば突き進むしか、ないのだ。

 アルヴァとスミンの姿が消えてからもデスクの上では火柱が燃え盛っていたが、内包していた指輪を跡形もなく消し去ってしまうと、その炎もやがて自然に姿を消した。






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