決意を新たに

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 冬月とうげつ期の中間の月にあたる白殺しの月の六日。その日、丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校は過日から降り続いている雪によって白く染まっていた。敷地内の中央部に位置する校舎では生徒達が始業の鐘を待っていて、各クラスは彼らが談笑する声で溢れている。そんな中、校舎三階にある三年A一組の教室は周囲の教室よりもいっそうの賑わいを見せていた。その中心となっているのは窓際の席に座っている一人の少女で、彼女の周囲にはクラスメートの人垣が形成されている。それは彼女が輪の中心にいるというより、クラスメート達に取り囲まれているような眺めだった。

 肩よりも少し長めな黒髪に同色の瞳といった、世界でも珍しい容貌をしている少女の名は宮島葵。彼女はつい先日まで学園中の女子から目の敵にされていたが、今ではアステルダム分校の「取り入りたい一般人」ナンバーワンの座に輝いている。葵を取り巻く状況がたった一日で激変したのは、彼女がある男子生徒から想いを寄せられていることが明らかになったためだ。その男子生徒の名は、キリル=エクランド。キリルはアステルダム分校のエリートであるマジスターの一員だ。

「昨日のキリル様、ステキでしたわね」

「ええ、本当に。アオイさんを護るためとはいえ、あれほど大勢の人が見ている前で愛の告白など、なかなか出来ることではありませんわ」

 クラスメートの女子がうっとりとした口調で語っているのは昨日の朝にエントランスホールで起こった、キリルの公開告白に対する感想である。あの一件でさらに女子生徒からの風当たりが強くなりそうだと身構えていた葵は、彼女達の反応を意外に思いながら話を聞き流していた。どうやら女子だけではなく男子も、昨日のキリルの行動には好感を抱いたらしい。フラれた後・・・・・でも葵を庇ったのが、彼の株を上げる決め手となったようだ。

「盟約の儀を執り行った時のキリル様、カッコ良かったよなぁ」

 立ち振る舞いから気品が滲み出ていたという誰かの言葉に、一同が大いに頷いている。しかし話題の中心人物であるはずの葵は『盟約の儀』が何なのか分からず、一人で首を傾げていた。すると、葵が理解していないのを認めた男子が説明を加えてくれた。

「契約を交わす者の足下に跪いて手を取り、左手の薬指に指輪リングを嵌める。そして契約の指輪に口づけて、自分の魔力を契約者に与える。この一連の流れが盟約の儀」

「……へぇ」

 確かに昨日、葵はクラスメートが言ったままのことをキリルにされた。その結果として、左手の薬指に契約の指輪が嵌まったままなのだ。左手を持ち上げた葵は、再び儀式を行わないと取ることが出来ないというその指輪を、特に感慨もなく眺めた。葵の反応が淡白だったからか、あちこちから深いため息が漏れ聞こえてくる。

「感想、それだけ?」

「アオイさんはきっと、まだ実感が湧かないのですわよ。あのキリル様から愛の告白をされたのですもの、無理もありませんわ」

 極端に口数の少ない葵に代わって、クラスメート達は独自の見解で勝手に納得してくれている。否定も肯定もするつもりのなかった葵はただ黙って、この状況が自然に解消される時を待っていた。そのうちに始業の鐘が鳴って担任の教師が教室に姿を現したので、生徒達は自分の席へと戻っていく。教室内が整然とする中で、葵は自席の前にある、埋まらなかった席を見つめていた。

(クレア、どこ行ったんだろう)

 葵が思い浮かべたクレア=ブルームフィールドという名の少女は、クラスメートであると同時に同居人でもある。クレアとは今朝も一緒に登校してきたのだが、用事があると言って姿を消した彼女とはエントランスホールで別れたきりだった。クレアが戻って来るのではないかと廊下側に視線を移した葵は、そこでもう一つの空席を目にして微かに顔を歪ませる。

 教室の後方、廊下側に近い場所にある空席には、先日までココという名の少女が座っていた。彼女はこのクラスの女子のリーダー的存在だったのだが、今ではココの不在を気にかける者もいない。それはある出来事によって彼女の権威が失墜したからで、改めて友情の稀薄さを感じた葵は朝から物悲しい気分になってしまった。

(私には、関係ない)

 ココには酷い目に遭わされているので、同情するつもりもなかった葵は視線を前方に戻そうとした。その途中で廊下側に顔を向けている生徒の姿が目についたので、なんとなく焦点を合わせてみる。ココの席を気にするかのように顔を傾けていたのは、内巻きカールの女子生徒だった。サリーという名の彼女は前方のブラックボードに顔を戻した後、視線を感じたのか、今度は葵の方に顔を向けてくる。葵もサリーを見ていたので、そこでバッチリ目が合ってしまった。

 お互いに気まずい見つめ合いが少し続き、先に視線を逸らしたのはサリーの方だった。荒い鼻息が聞こえてきそうなほど嫌な表情を浮かべてそっぽを向いたサリーの態度に、葵は乾いた笑みを浮かべる。しかし、それほど嫌な気分にはならず、葵は口元に笑みを残したままブラックボードに視線を戻した。






 トリニスタン魔法学園アステルダム分校の敷地内には、学園のエリート集団であるマジスターにしか利用出来ない施設というものが幾つか存在している。その中の一つに『大空の庭シエル・ガーデン』と呼ばれる花園があり、そこに白いローブを身につけた一人の女子生徒の姿があった。赤味の強いブラウンの髪にアンバーの瞳といった容貌をしている彼女は、名をクレアという。そして花園の中央部で白いテーブルを前に座しているクレアの傍には、私服姿の二人の少年の姿があった。

「朝っぱらからうちを呼び出して、一体何の用や」

 実は用件に見当はついていたものの、その話題に触れられたくなかったクレアは不機嫌を装って話を切り出した。のっけから梃子てこでも動かないという態度を明確にしたクレアに、長い茶髪を一括りにしている少年が苦笑いを浮かべる。

「レイチェル=アロースミスの話じゃないから、そう不機嫌になるなって」

 スポーツマンタイプのがっちりした体躯をしている少年は、名をオリヴァー=バベッジという。アステルダム分校のマジスターの一人である彼が話題に上らせたレイチェルという人物は、クレアにとっては雇い主の側近だ。とある事情から、クレアは雇い主とその側近に対する情報を口外することを禁じられている。しかし先日、ついポロッとレイチェルとの繋がりを明かしてしまったのである。その件について追及されるのではと身構えていたクレアは、オリヴァーが発した一言で拍子抜けした。

「なんや、違うんか」

「正直、そっちもかなり気になってるけどな」

「おたくがどんなに気にしとっても、うちは何も喋らんで」

「分かってるって」

 そこで言葉を切ると、オリヴァーは円卓を囲んで共に座っている少年に視線を移した。世界でも珍しい、黒髪に同色の瞳といった容貌をしている彼の名はキリル=エクランドという。オリヴァーが彼に目をやったのは何らかの合図だったらしく、キリルはオリヴァーに頷いて見せた後、クレアに向かって口火を切った。

「オレはあの女が好きだ」

 キリルは至って真面目な表情をしていたが、開口一番に何を言い出すのかと、クレアは呆れてしまった。キリルの言う『あの女』が誰を指しているのか、そんなことは分かっている。だが今、告白されるべき当人はこの場にいない。

「せやから、何や?」

「これからはオレがあの女を護る。だから許……許し……、許せ!」

 言葉尻を言い辛そうにしていたキリルが急に声を荒らげたのは、おそらく「許してくれ」という一言が言えなかったためだろう。自分が何故この場にいるのか理解したクレアは、そこまで下手に出るのが嫌かと、キリルの態度にさらなる呆れを募らせた。

「つまりおたくは、うちがそれをジャマすると思っとるんやな?」

 話の核心を単刀直入に代弁してやると、キリルは否定も肯定もせずに黙り込む。オリヴァーが助け船を出しかけたが、それを目で制したクレアはキリルに向かって言葉を続けた。

「おたくがいくらアオイのこと好きでも、望みなんてあらへんで?」

 キリルは葵に公開告白をしたが、その前に公衆の面前でキッパリとフラれているのである。彼女の気持ちを変えることは、キリルには相当に難しいことだろう。しかしそれでも、キリルは葵のことが好きなのだと言い放った。

「本気……なんやな?」

 挑むように問いかけたクレアの目を真っ直ぐに見据えて、キリルはすぐさま頷いて見せた。フラれた後のキリルの言動を実は少しばかり評価していたクレアは、威圧的なまなざしは和らげないままに言葉を続ける。

「もしまたアオイを傷つけよったら、うちがおたくを半殺しにして吊るし上げるで。それでもええな?」

「……ああ」

「そこまでの覚悟があるんやったら、うちは何も言わん。せいぜい頑張ることやな」

 硬質な口調ではあったもののクレアが容認すると、多少なりともプレッシャーを感じていたらしいキリルはホッとしたように息を吐いた。ひとまずのケジメがついたことで、それまで黙していたオリヴァーが容喙してくる。

「訊きたいことがあるんだけど、いいか?」






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