不審の種

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 精米はオリヴァーが風の魔法を使ってうまくやってくれたため、米を炊こうという話になってからさほど時間を要さずに終わった。ある程度精米が集ると今度はそれを炊くわけなのだが、こちらの方が難しく、初回はおかゆになってしまった。火と水を加減しながら何度か炊きなおしているうちにハル=ヒューイットまでシエル・ガーデンに現れて、葵のイメージする『白米』が出来上がった後は総勢五人での試食会となった。

 器に盛られた白米をスプーンで口に運んだキリルは、正直味気ない食べ物だと思った。一流貴族である彼の舌は様々な美味によって肥やされている。それはオリヴァーやハルも同じことであり、彼らもまた、白米を一口食べただけでスプーンを置いた。自身で料理もするクレアは物珍しさが先立っているのか、吟味するようにして何度かスプーンを口に運んでいる。葵にいたっては歓喜の表情で泣きながら、白米を噛みしめていた。

「泣くほど美味いもん?」

「人にはなぁ、思い出の味っちゅーもんがあるんや。無粋なこと言うんやない」

 呆れ顔のハルを軽く睨んだ後、クレアは感慨に浸っているらしい葵の肩にポンと手を置いた。白米に夢中になっていた葵はそれで我に返ったようで、キリルの方に視線を傾けてくる。

「ありがとう。超うれしい」

 葵に泣き笑いの顔を向けられた時、キリルは脳天から体の末端まで痺れるような衝撃を受けた。生まれて初めて感じた激しい衝撃は体を勝手に動かし、勢い良く席を立ったキリルは花園の中を疾走する。思考も記憶も吹き飛んだ状態で走り続けていると建物の際まで来てしまい、透明度の高いガラスにぶつかったキリルは反動で尻餅をついてしまった。

「キル!」

 茫然と座り込んでいると、背後からオリヴァーの声が聞こえてきた。彼は尻餅をついているキリルの姿に驚いたようで、慌てた様子でキリルの正面に回りこむ。顔を上げたキリルはオリヴァーの姿を瞳に映したものの、どういった反応をしていいのか分からずに再び俯いた。

「……やべぇ、かわいすぎる」

 独白を零した後、静止していることに耐えられなかったキリルは自身の髪を掻き乱した。そんなキリルを見てオリヴァーは呆気に取られていたが、やがて堰を切ったように笑い出す。

「いきなり走り出したから何かと思ったら、そういうことか」

「だってあいつ、カワイイんだよ。何であんなにカワイイんだ?」

「女の子はさ、カワイイもんなんだよ。それを知らなかったキルは今まで損してたんだぜ?」

 そうなのかもしれないと、キリルは素直にオリヴァーの言葉を受け入れた。それと同時に、あの笑顔をまた見たいという願望が湧き上がってくる。

「なあ、笑えって言えば笑うのか?」

「アオイが、か? いや、それは難しいと思うぜ」

 笑えと言われれば逆に身構えてしまい、表情は硬くなるばかりだろう。オリヴァーにそう言われてしまい、キリルは途方に暮れた。

「なら、どうしたらいいんだ?」

「笑顔なんて自然と出てくるもんだろ。こっちが優しく笑いかければ、相手だって笑ってくれる」

「……優しく」

 オリヴァーに言われた通りに笑ってみようと、キリルは顔の筋肉を動かしてみた。刹那、オリヴァーから何故か「俺が悪かった」という言葉を投げかけられる。何かが違うようだと察したキリルが真顔に戻ると、オリヴァーがまた小さく笑い出した。

「優しく笑うのはともかく、優しく接することだったらキルにも出来るんじゃないか?」

 笑顔のまま「頑張れ」と言い、立ち上がったオリヴァーは尻餅をついたままだったキリルを引き上げた。

「さ、戻ろうぜ。いい機会だからアオイとちゃんと話してみろよ」

 今なら変に気まずくなることもなく話が出来るのではないか。オリヴァーがそう言うので、キリルは何を話すのかと問いかけながら葵達がいる場所へ戻ることにした。






 ただ礼を言っただけなのに、キリルが何故か走り去って行った。その後を追ってオリヴァーも姿を消してしまうと、葵は再び白米を口へと運んだ。この食感も、噛めば噛むほどに滲み出てくる甘味も、少し焦げた部分の苦みも、全てが懐かしく愛おしい。

(ああ……おいしい。帰りたい)

 この白米が普遍的な食べ物だった、生まれ育った世界に。そんなことを考えながら味わっていると、テーブルに頬杖をついているハルが独白を零した。

「変な女」

 それは、言われ慣れた科白だった。呆れられるのも慣れたもので、葵は特に他意もなくハルに視線を移す。しかし目が合ってしまうと、唐突に心臓が跳ね上がった。

(い、意識しないって決めたのに)

 自分の中にまだこんな感情が残っていたのかと、葵は必死に狼狽を隠しながらそっぽを向いた。フラれて、なおかついいように扱われているのに、未だに目が合っただけでときめいてしまうなど大バカだ。

「そういえばおたく、まだオリヴァーの家におるんか?」

 クレアがハルに話しかけたので、そっぽを向いた後でも視線を感じていた葵は密かに胸を撫で下ろした。視線を戻すと、クレアに問いかけられたハルはむっつりとして閉口している。その表情は「都合が悪いから答えたくない」と言っている子供のようだった。

「親御さんが心配しとるんとちゃうんか? そろそろ実家に帰ったらどうや」

「関係ないだろ」

「そりゃ関係なんてあらへんけどな。子供みたいにダダこねとるんはどうかと思うで」

「……うるさいな」

 ハルが耳を塞いでそっぽを向くと、クレアはさらにその態度に文句をつけ始めた。二人のやりとりがまるで母親と息子のようで、葵は凄いと感じるのと同時に妙なおかしさを覚えた。

(なんか、前より仲良くなってるし)

 クレアとハルは一時期、微妙な恋人同士だった。けれど彼らは、今は何事もなかったかのように良好な関係を築いているように見える。これが『普通にする』ということなのかと思った葵は自分にも同じことが出来るだろうかと考え、人知れず苦い笑みを零した。

(もうちょっと、時間がかかるかな)

 今はまだ、傷が疼く。そっと胸に手を当てると鼓動も若干、平素よりも早い。けれどいつかは、この痛みも思い出に変わっていくだろう。一度経験していることだと、葵は自分に言い聞かせた。

「盛り上がってるな。何の話だ?」

 クレアがハルに説教をしているうちに、オリヴァーがキリルを連れて戻って来た。オリヴァーに矛先を向けたクレアはハルをあまり甘やかすなという話をしていたが、当の本人はもう話を聞く素振りすらない。ハルが自分の分だけ紅茶を淹れているのを見て、クレアはそのマイペースさに呆れ果てたようだった。

「俺達も紅茶にするか」

 キリルや葵に向けてそう言った後、オリヴァーはチラリとクレアを見た。その視線が意味するところをすぐに察したようで、クレアはため息をつきながら席を立つ。

「しゃーない。うちが淹れたるわ」

 すでに紅茶を飲んでいるハルにも確認を取った後、クレアは五人分の紅茶を手作業で淹れた。手際よくティーカップを配って一息つくと、クレアはふとマジスター達の方に目を向ける。

「ウィルは今日も来てないんか?」

 アステルダム分校の現在のマジスターはキリル、オリヴァー、ハルの他にウィル=ヴィンスという少年を含めた四人である。しかしウィルは、このところ学園で姿を見かけることがなかった。そこにはある理由があったのだが、それはもう解消されている。そういえばと思った葵もティーカップをソーサーに戻すとマジスター達に目を向けた。

「そういや、もう戻って来てもおかしくないよな。何か知ってるか?」

 口を開いたのはオリヴァーで、彼はキリルやハルにも問いかけている。しかしキリルもハルもウィルの行方につては何も知らないようで、揃って首を振っただけだった。

「まあ、マシェルも本校に帰ったことだし、ぼちぼち戻って来るだろ」

 オリヴァーが話題に上らせたマシェル=ヴィンスはウィルの双子の兄弟である。彼がアステルダム分校に来ていたため、ウィルは学園に来なくなっていたのだ。行方不明とは言っても理由がはっきりしているためか、オリヴァーもあまり心配はしていないようだった。そこでウィルの話を切り上げると、彼は話題を変える。

「クレアに聞いてみたいことがあったんだけど、いいか?」

「答えられることなら、ええで」

 クレアは以前、本来ならば秘密にしていなければいけなかったことをマジスター達の前で口にしてしまった。そのため、そのことについては何一つ喋らないという牽制をしたのだ。クレアの意図を汲み取って、オリヴァーは苦笑いを浮かべる。キリルとハルも無言のままオリヴァーに視線を向けていたが、クレアが失言したことを知らない葵には意味が分からなかった。






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