「うちもちょお、座らせてぇな」
朝から精神的に疲れていたクレアはそう言い置くと、空席に腰を落ち着けた。ぐったりしているクレアを見て、オリヴァー=バベッジが紅茶を淹れてくれる。紅茶を一口だけ含んだクレアがティーカップをソーサーに戻すと、キリル=エクランドが待ちかねたように口火を切った。
「で?」
キリルの漆黒の瞳が、射抜くような鋭さでクレアを捉えている。事情を知らないハル=ヒューイットにオリヴァーが簡単な説明を加えているのを横目に見ながら、クレアはため息をついた。
「アオイは王城におるみたいや。何かして、捕まってしもうたらしいで」
葵が『召喚獣』だから捕まったという事実を隠すための口実を、クレアは一昼夜考え続けた。しかしうまい作り話が思いつかなかったため、捕まった理由については『知らない』で通すことにしたのだ。なんとも曖昧で不穏な話に、マジスター達は一様に眉をひそめる。
「捕まったって、何でだよ?」
「せやから、うちには分からん。アルがそう言ってたんや」
「……昨日のヤツか」
難しい顔をして席を立つと、キリルはアルヴァの所へ連れて行けと言い出した。それが無理であることを知っているクレアは顔を歪め、小さく首を振る。
「アルは王城に行ったわ。せやから、会えん」
「……直談判、ってことか」
葵が何をしたのかは分からないが、捕まったというからには簡単に帰っては来られないだろう。彼女を取り戻すためにアルヴァは単身で王城に乗り込み、王家に直訴するつもりなのだ。オリヴァーなどはそう受け止めたらしく、複雑そうな表情で独白を零している。それを聞いたキリルが、瞬間的に顔を赤くした。
「オレも王城に行く」
キリルにしてみれば、葵のピンチにアルヴァが駆けつけるという構図自体が許せなかったのだろう。しかし、いくらエクランドが大貴族とはいえ、相手が王族では分が悪い。王家に盾突いたとあっては爵位自体を剥奪されかねないのだ。だが今のキリルは頭に血が上ってしまっていて、そんな子供にでも分かるようなことを見落としている。キリルが本当に乗り込んでしまいそうだったため、オリヴァーが慌てて彼を止めた。
「キル、落ち着けって! そんなことしたら大変なことになるぞ!!」
「うるせー!! 離せ!!」
「ハーヴェイ様に迷惑がかかっても、ええんやな?」
クレアがキリルの実兄であるハーヴェイ=エクランドの名を持ち出すと、それまで暴れていたキリルはピタリと動きを止めた。兄や家族のことを考えればさすがに冷静になったようで、キリルは再び椅子に腰を落ち着ける。それが当然の反応だと、クレアは思った。
「フツウは、そうや。誰しも護るもんがあるさかい、王家に盾突こうなんてそう簡単に出来ることやないよなぁ」
だがアルヴァは、何の躊躇もなく葵を助けに行った。王城へ出頭すると言った時の彼の顔は何かを失う苦悩など微塵も感じさせず、むしろこの時を待っていたと言わんばかりに爽やかだった。そこに釈然としない何かがあることを感じてはいたが、クレアにはそれが何なのか分からない。クレアよりも葵やアルヴァのことを知らないオリヴァーなどは、アルヴァの無謀とも思える行動が美談として感じられたようだった。
「すごい人だな。マシェルが惚れこむのも分かるぜ」
マシェル=ヴィンスはウィルの双子の兄弟である。トリニスタン魔法学園の本校に通っている彼は、とある事情でアステルダム分校にいた時、アルヴァ=アロースミスという人物を褒め称えていた。アルヴァと対面を果たして、オリヴァーには彼の気持ちに同調するものがあったようだ。
「どんな人だった? トリニスタン魔法学園の生きた伝説」
「言動に無駄がなくて、些細なことからも高尚さが伝わってくる、スマートな魅力を持った人だったぜ。生きた伝説って言われても、あの人なら納得だな」
ハルとオリヴァーが話をしていると、いつの間にか冗長になってしまった空気を断ち切るようにキリルがテーブルを殴りつけた。キリルに睨みつけられた二人は閉口し、シエル・ガーデンに気まずい沈黙が流れる。しかし静寂は長くは続かず、キリルはすぐにクレアを振り返った。
「で、いつ帰って来るんだよ」
「それは……分からへん」
アルヴァと話をしている時、彼はハッキリとしたことを言わなかった。それは彼が出頭しても、葵を救い出すことが不可能に近いからではないだろうか。クレアはそう察してしまっていたのだが、マジスター達にそこまで語るつもりはなかった。しかし細微な語調の変化や表情から読み取られてしまったのか、キリルが憤りながら席を立つ。苛立たしげにテーブルを蹴り倒すと、彼は何も言わずに去って行ってしまった。
「……不謹慎だったな」
葵がいつ帰って来られるかも分からない状況下でアルヴァの話に花を咲かせてしまったオリヴァーが、自責の念を滲ませた独白を零す。その後、オリヴァーが片付けを始めると、テーブルをひっくり返されても平然とティーカップを手にしているハルがクレアに視線を傾けてきた。
「アオイって何者?」
「……知らんわ」
こんな時でもマイペースなハルに呆れながら答える頃には、オリヴァーが行っていた片付けが終了した。片付けとは言っても彼は呪文を唱えていただけで、復元の魔法がかかっているシエル・ガーデン内は呪文一つで元通りの姿になるのだ。人数分の紅茶を淹れなおしてから、オリヴァーはクレアに目を向けた。
「それはそうと、アンダーソン伯爵と何かあったのか? 昨日、キルがそんなこと言ってたからさ」
「ああ……あの人な、うちの父親らしいで」
クレアが投げやりに答えると、オリヴァーはしばらくしてから眉根を寄せた。
「父親って、あの……探してたっていう?」
「そうみたいやな」
「いやに他人行儀だな。大丈夫か?」
オリヴァーの顔が心配そうなものになったので、クレアは苦笑いを浮かべた。大丈夫とは、得てして妙な物言いだ。
「確かに探しとったけど、こないな形で会うことになるとは思わんかったなぁ」
「まあ、感動の対面ってわけにはいかないかもしれないな」
オリヴァーの言う通り、友達の行方を追って乗り込んだ先で刃を突きつけた相手が父親だったとは、笑い話にもならない。直接的に葵の件に関わっていたわけではないが、アンダーソンが悪事に手を貸していたのも事実である。こんな状況では父親のことをどう思えばいいのか分からず、クレアは少なからず困惑していた。葵やアルヴァのことを考えようにも思考が空転してしまうのは、きっとそのためだ。
「とりあえず、今晩会って来るわ。全てはそれから、やな」
誰に向けたのでもない独白を零すと、クレアは席を立った。葵を助けるために自分に何が出来るかを考えるのも、アルヴァからの言い付けを守るかどうかも、答えを出すのは父親の問題が片付いてからだ。自分の零した言葉でそう再確認したクレアはオリヴァーとハルに別れを告げると、シエル・ガーデンを後にした。
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