信じる心

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 「アン・カルテ」という呪文で地図を描き出すと、世界には二つの大陸があることが分かる。ちょうど地図の東西に位置しているこれらの大陸は、西の大陸がファスト、東の大陸がゼロと呼ばれていた。ファスト大陸の優に二倍はあるゼロ大陸を治めているのは、スレイバルという王国だ。その首都であるラカンカナルの中央部に、王族の住まう城があった。

 警備の厳しい王城は、誰もが気軽に訪れることが出来る場所ではない。だが、この日の朝、入城の審査もなく城門を通過し、城内を闊歩している少年の姿があった。鮮やかな金髪に紫色の瞳といった容貌をしている彼の名は、ユアン=S=フロックハート。知る人ぞ知る、次代のスレイバル国王である。ユアンはまだ国民に披露されていないので、彼の顔と名前が一致することは少ない。だが彼の後ろに金髪の理知的な美女が従っていることによって、王城内の多くの者はユアンの存在を認識するのだった。

 ユアンの後方を歩いている女性の名は、レイチェル=アロースミスという。王家に認められた特別な魔法使いである彼女はユアンの家庭教師を務めていて、また様々な偉業を成し遂げたことから、その存在を周知されている。行く先々で注目を集めてしまうのは仕方がないことで、ユアンとレイチェルは視線の嵐に晒されながら目的地へと向かっていた。

 城の最上階にあるロイヤル・ファミリーの私室前で、ユアンとレイチェルは歩みを止めた。ここまで来ればさすがに人気はなく、好奇の視線に晒されることもない。だがユアンは城内を歩いている時と変わらぬ緊迫感でもって、背後に佇んでいるレイチェルを振り返った。視線を受け止めたレイチェルが小さく頷いて見せると、ユアンは扉に手を伸ばす。扉を開くとすぐ、窓際に置かれたベルベット素材の椅子に腰かけている少女の姿が瞳に映った。刹那、ユアンは顔をほころばせる。

「シュシュ」

 椅子に座っているドレス姿の少女は、この国の王女である。国民からフェアレディという敬称で呼ばれている彼女の名はシャルロット=L=スレイバルといい、ユアンが口にした『シュシュ』は、彼だけしか呼べない王女の愛称だ。

 シャルロットは綿菓子のようにフワフワとした印象を受ける、愛らしい顔立ちをした少女である。箱入り娘のせいか引っ込み思案で、口数もあまり多い方ではない。表情を動かすことも少ないのだが、彼女はユアンを見ると花が咲いたように微笑んだ。その笑みが自分にしか向けられないことを知っているユアンはシャルロットの傍へ寄り、あいさつのキスを軽く口唇に落とした。

「ユアン、会いたかった」

「僕もだよ、シュシュ。君は会うたびキレイになるね」

「うれしい。このドレス、どう?」

「うん、よく似合ってるよ。フリルがたくさんついていて、リボンも可愛いね」

 ユアンに褒められて頬を朱に染めたシャルロットは恥ずかしそうに顔を俯ける。彼らは将来的に夫婦となることが運命づけられているが、今はまだユアンの存在が公になっていないため、毎日顔を合わせるというわけにはいかない。そのため、こうしてたまに会った時には最大級の愛情表現でもって接するのだ。

 ユアンとシャルロットから目を離したレイチェルは、シャルロットが腰かけている椅子の脇に佇んでいる白い青年に視線を移した。髪色や肌の色と同系色である、純白のモーニングコートを身につけている彼の名は、ローデリック=アスキスという。ユアンにレイチェルがいるように、彼は王女の教育係だ。

「突然のことに応えていただき、ありがとうございました」

 平素であれば来訪の二・三日前には約束を取り付けるのだが、今回はレイチェルがアポイントメントを取ったのは今朝方のことだった。それを不快に思っているようで、ローデリックは美しい面を歪ませる。

「次からは手筈どおりにお願いしたい」

「はい。申し訳ありませんでした」

 レイチェルが一礼すると、ローデリックはそれを跳ね除けるように顔を背けた。シャルロットとの再会のあいさつを終えて一部始終を見ていたユアンは、ローデリックのつっけんどんな態度にクスリと笑みを零す。

「ロルってば、相変わらずレイに冷たいね。フラれちゃったこと、まだ根に持ってるの?」

「なっ……!?」

 何を仰るのかと、ローデリックが言いたかったであろう言葉は最後まで紡がれることはなかった。顔色を変えた彼はユアンに非難の目を向けたが、それも一瞬のことだ。すぐに気持ちを立て直したらしいローデリックは、わざとらしく咳払いをする。

「ユアン様、プライベートなことはご容赦願えませんか」

「あ、ごめん。まだ気にしてたんだ?」

 ユアンの一言により失恋を引きずっていることが強調されてしまい、彼はにっちもさっちもいかなくなってしまったようだ。そうして、ローデリックは非難の目をレイチェルへと向ける。

「君はプラベートなことを公然と語られても平気なのか」

「我が国の次代を担う方とはいえ、ユアン様はまだ十三歳の子供。そういった話にも関心がある年頃なのでしょう」

「さっすが、レイ。大人の意見だねー」

 特別に理不尽なことを言っているわけではないのだが、口を開けば開くほど深みにはまっていく。そのことに気がついたようで、ローデリックは文句を言いたそうにしながらも反論してこなかった。そこでローデリックをいじるのを切り上げたユアンは再びシャルロットに向かう。彼女は基本的に一対一の場合しか話をせず、誰かが話している時は大人しく口を噤んでいるのだ。

「シュシュ。最近何か、心を動かされるようなことはあった?」

 ユアンに近況を尋ねられると、シャルロットは考えこんでしまった。彼女の胸裏を探りながら、ユアンは発言を重ねる。

「何でもいいんだよ。嬉しかったこととか、悲しかったこととか、小さなことでもいいから僕に教えて?」

「……うれしかったことなら」

「何かいいことがあったんだ? どんなこと?」

 シャルロットがコレクションのことに言及したので、ユアンは葵が彼女の所有物となったことを察した。それならば話は早いと、ユアンは慎重に言葉を選びながら会話を続ける。

「気に入ったの?」

「うん。 ……好き」

「どういうところが好きなの?」

「安心、する」

「安心?」

 シャルロットから予想外の答えが返ってきたため、真意がよく分からなかったユアンは首を傾げた。どういうところが安心するのかと尋ねれば、それは葵の接し方がどうこうという話ではないらしい。

「そう、ユアンに似てる」

 先程からずっと言葉を探していたシャルロットがふと思い立ったように言ったので、ユアンはギクリとした。葵を召喚したのはユアンであり、彼女の体内にはその時のエネルギーの一部が残留しているらしいのだ。人間には感知出来ないほど極わずかであるらしいのだが、それを無意識のうちに感じ取ったシャルロットは『葵とユアンが似ている』と感じたのだろう。彼女が葵の傍にいて安心するのも、おそらくはそのためだ。

 さすがに、王家の血は濃い。胸中でそう呟いたユアンは動揺を覚られないよう苦心しながら笑顔で話を続けた。

「似てるなんて言われると気になっちゃうよ。シュシュ、その召喚獣を見せてもらえない?」

 話の流れに不自然さはなかったため、シャルロットは快く頷いてくれた。すでに十中八九間違いないが、これでシャルロットのコレクションに加えられた召喚獣が葵なのかを確認出来る。そして葵が、召喚獣としてどう扱われているのかも、知ることが出来るだろう。さらにうまくいけば、葵からアルヴァの話を聞けるかもしれない。シャルロットが頷いた刹那、ユアンは瞬時にそこまでの計画を立てた。

「ユアン様、わたくしはいかがいたしましょう?」

 コレクションハウスに同行するか、否か。表向きはそういった問いかけだったが、レイチェルが声をかけてきたことで、ユアンは彼女も自分と同じ考えであることを察した。そのためレイチェルの同行をシャルロットに願い出ようとしたのだが、その前にローデリックが口を開く。

「わたしも共に参ります。家庭教師殿にも同行していただいてはいかがですか?」

 ローデリックの勧めもあってシャルロットが頷いたので、一行は王都の郊外にあるコレクションハウスに移動することとなった。






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