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 フロックハート夫妻はユアンがフェアレディの伴侶に選ばれた時、子供の教育を他人に託すことに決めた。その理由はユアンを甘やかしすぎてはいけなかったし、厳しくしすぎるのも良くないからである。しかし我が子を教育する以上、どうしても贔屓の情が目を曇らせることもあるだろう。だがユアンは選ばれた子供であり、教育の失敗は許されなかったのだ。


『我が子を王者に育てねばならない。私達だけでは難しいが君となら、それが出来ると確信している』


 ユアンの父親が放ったこの一言に心を動かされ、レイチェルは家庭教師を引き受けたのだという。レイチェルからそういった話を聞かされて以来、ユアンは両親を尊敬するようになった。それからは表立ってイタズラをすることは控えてきたのだが、幼少の頃はこっぴどく叱られたこともあったため、ユアンは両親の恐ろしさをよく知っていた。

「あ〜あ……久しぶりに怒られるのかぁ」

「お父上は特に、ご立腹でしたよ」

「ただでさえユウウツなんだから、そういうこと言うのやめてよ」

「身から出た錆です。フェアレディにご挨拶を終えたら、ご実家に向かいますよ」

「うう……待ってよ、レイ」

「わたくしは歩みを止めた者を待つことなどいたしません」

 素っ気なく言い放つと、レイチェルはさっさと歩き出した。含みを持たせた言い方だなと、ユアンは苦笑いを浮かべる。


――追って来い


 背中を向ける時、レイチェルはいつも言外にそう言っている。その挑発的な態度にはある種の脅迫観念があって、ユアンはいつも彼女の背中を追いかけるのだ。レイチェルがもう一人の父であり、母でもあるのだと、再認識しながら。

「レイ! 待ってってば!」

 追いつくと、レイチェルは何事かを呟いた。しかしその声は小さく、内容を聞き取れなかったユアンは小首を傾げる。

「何?」

「いえ、何でもありません」

 独白を零した時、レイチェルの顔には何らかの感情が表れていたような気がした。だがそれは一瞬で消え失せ、今はもう常の無表情に戻ってしまっている。彼女が独白を零したり、はっきりとした意思表示をしないことは非常に珍しい。そのためユアンは食い下がってみたのだが、レイチェルは結局、呟きの内容を再度口にすることはしなかった。






 転移魔法によって王女のコレクションハウスを後にした葵とアルヴァは、丘の上に建つトリニスタン魔法学園のアステルダム分校に出現した。校門付近に描かれている魔法陣にではなく、直接保健室に移動したため、窓際のデスクに座っていた白いウサギが目を真ん丸にして騒ぎ出す。アルヴァの代理であるウサギは、主人が帰って来たことを喜んでいるようだった。

「何で保健室?」

 アルヴァがウサギを宥めるのを待ってから、葵は素朴な疑問を口にした。こういう場合、平素であれば窓のない『アルヴァの部屋』の方に行くからだ。

「少し、待ってください」

 答えになっていない応えを寄越すと、アルヴァは奇妙な間を置いた。しばらくすると息を吐き、それを機に言葉遣いが変わったので、葵は「ああ……」と呟きを零す。今の葵には見ることが出来ないが、アルヴァはおそらく、自身の魔力を使って保健室を外部から切り離したのだ。

水晶の檻クオーツ・プリズンから解放された後だと、さすがにキツイな」

 水晶の檻は肉体の自由と意識を奪うだけでなく、収監されている者の魔力まで吸い取るのだという。愚痴っぽい独白を零すと、アルヴァは疲れた様子でデスクの椅子に腰かけた。葵も簡易ベッドに向かいながら、話を再開させる。

「だったら窓のない『部屋』の方に行けばいいのに」

「あの部屋は王城に行く前に処分したんだよ。すぐには造れないから、今はここで話すしかない」

「ああ、そうだったんだ……」

 複雑な気持ちになった葵は相槌を打ちながら眉をひそめた。あの部屋を処分してから王城に出向いたということは、アルヴァには帰って来るつもりがなかったのだろう。何故、そうまでして自分を犠牲にするのか。コレクションハウスで水晶柱を見つめていた時に感じた思いが、胸に去来した。しかしアルヴァの過去は、おいそれと言及していい類のものではない。今は聞かずにおこうと思った葵は表情を改め、口調を明るくした。

「あのさ、アル。話の前に着替えたいんだけど」

「着替え、か……」

 ドレスを纏ったままでいる葵を見て、アルヴァは何かを思いついたように頷いて見せた。席を立った彼は一度別室に姿を消し、何かを手にして戻って来る。見覚えのある洋服を手渡され、葵は瞬きを繰り返した。

「これって……」

「以前、アリーシャの店で新調しただろう? 一着はミヤジマに渡したけど、もう一着はそのまま僕が持っていたんだ」

「なるほど。じゃあ、着替えるから待ってて」

 アルヴァの背を押してその場から遠ざけると、葵はさっそく簡易ベッドの周りをカーテンで囲んだ。そのままでいいから話を始めてくれとアルヴァが言うので、葵は着替えをしながら口火を切る。

「何から話そうか?」

「初めから」

「じゃあ、捕まった時のことから話すね」

 きっかけは、図書室でエレナと名乗る少女と出会ったことだった。彼女はトリニスタン魔法学園の生徒に成りすましていたが実はハンターで、キリル=エクランドに嵌められた指輪を外してくれるという甘言で葵を自宅へと誘い出したのだ。念願叶って指輪を外すことは出来たのだが、葵はその場で拘束された。そして王城に連れて行かれ、王女のコレクションとなってしまったのである。そこまで話したところで着替えが終わったので、葵はカーテンを開けた。

「いつものミヤジマだね」

「やっぱり制服ってすごい楽。ありがとね、アル」

 トリニスタン魔法学園の制服である白いローブではなく、久しぶりに高等学校の制服に袖を通した葵は感慨深くアルヴァに礼を言った。アルヴァが魔法で紅茶を淹れてくれたため、葵は日常が帰ってきたことを噛みしめながら話を再開させる。

「どこまで話したっけ?」

「ミヤジマがフェアレディのコレクションになったところまで。そこまでは予想の通りだったけど、僕が幽閉された後に何が起こったんだ?」

「ああ、レイがね、王様達に全部バラしちゃったの」

 さすがにこの結末は予想していなかったようで、絶句したアルヴァは手にしていたティーカップを落としそうになった。慌てた様子でカップを持ち直した彼は、それをソーサーごとデスクの上に置き、改めて体を傾けてくる。

「バラしたって……何故?」

「なんかね、ユアンにおしおきしたかったみたい」

 レイチェルの意図を聞くと、アルヴァは放心してしまった。あまりのことに言葉が出ない様子で、身動ぎすらしない。やがて糸が切れたように脱力すると、アルヴァは空を仰ぎながら言葉を紡ぐ。

「僕は一体、何のために……」

「まあ、こうしてアルも私も無事に戻って来られたんだし。過ぎたことはいいじゃん」

「……安い慰めだね」

「だって、本当にそう思ってるから。アルと一緒に帰って来れて、良かったよ」

 アルヴァが水晶に閉じ込められた時は胸が潰れる思いだった。あんな思いは二度としたくないし、アルヴァにもあんな無茶は二度として欲しくないと願う。そこまでは口に出さなかったが、アルヴァは眉をひそめて妙な顔つきになった。

「何?」

「……いや。全てバレて、その後はどうなったんだ?」

「その後? 色々あったけど……」

「ユアンがミヤジマを召喚したことが明るみに出たから、ミヤジマは解放されたの?」

「私だけじゃないよ。王様がそういう差別はなくしてくれるって言ってたから、捕まってた人は全員解放されたはず」

「差別の撤廃? 新しい法でも作る気か? まあ何にせよ、ミヤジマは晴れて自由の身だね」

 ユアンの所業が知れた以上、王家は葵の味方をしてくれるだろう。これからは誰にでも自分が異世界からの来訪者であることを明かしていいと、アルヴァはつまらなさそうな顔で言った。すでに我関せずといったアルヴァの態度に葵は微苦笑を浮かべる。

「アルは、どうするの?」

 葵が出自を隠さなくても良くなったということは、アルヴァも葵から解放されたということだ。しかし、枷が無くなったというのに嬉しそうな顔をするでもなく、アルヴァは淡々と答えを口にした。

「別に、今までと変わらないよ。研究を続ける、ただそれだけ」

 アルヴァの口から『研究』という言葉を聞いた瞬間、葵はウィル=ヴィンスのことを思い出した。

「そうだ、アル! ウィル、の……」

 勢い込んでアルヴァに話しかけた葵の言葉は最後まで紡がれることなく途絶えた。目の前で、アルヴァの存在が稀薄になっていく。そして瞬く間に、彼は消えてしまった。






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