世界の中心へ

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 冬月とうげつ期の雪が深々と降りしきる白殺しの月の十八日。その日、クレア=ブルームフィールドはパートナーである魔法生物のマトと共に、早朝から雇い主の屋敷を訪れていた。主のユアン=S=フロックハートはまだ眠っているはずの時分であり、クレアはまず、この屋敷でユアンと同居しているレイチェル=アロースミスの私室へと向かう。しかし、そこにレイチェルの姿はなかった。

 レイチェルがすでに起き出していることを知ったクレアは、屋敷の中を歩いてみることにした。彼女が行きそうな場所へ足を運んでいるうちに、ふと、ある部屋の前で歩みを止める。扉が半開きの状態になっていたのはユアンの私室だ。軽くノックをしてから中を覗くと、そこにレイチェルの姿があった。

「おはようございます、レイチェル様」

 クレアが挨拶をすると、レイチェルも短く朝の挨拶を返してきた。天蓋に覆われているベッドを一瞥してから、クレアは言葉を重ねる。

「アオイを迎えに来ました。どこにいるか、ご存知ないですか?」

 問いかけに、レイチェルは体を退けることで答えとした。意味が分からなかったので、クレアはレイチェルの傍まで行ってみる。すると窓に、文字が書かれているのが目に留まった。


『アオイと僕のことは探さないでネ』


 窓に記されていたのは、その一文だけだった。おそらくはユアンが残していったものなのだろうが、その文面に、クレアは眉をひそめる。愛の逃避行かけおちという単語が頭をチラついたが、その発想はすぐに自分で否定した。

(ユアン様とアオイに限って、それはないわなぁ)

 しかし二人の間柄を知らない者が見れば、まず間違いなく誤解をするメッセージだ。レイチェルは呆れているようで、言葉を発することなく嘆息している。

「探しますか?」

「必要があればわたくしが探しますので、クレアは学園へ行ってください」

「分かりました。ところで、レイチェル様。つかぬことを伺いますが、弟君がいらっしゃったのですか?」

「わたくしに弟はいませんが……」

「そうですか。では、失礼します」

 訝しげな表情をしているレイチェルに一礼すると、クレアは職場を後にした。まだ始業の鐘が届けられていなかったため、一度葵と暮らしている屋敷に戻ってから、トリニスタン魔法学園に登校する。校門付近に描かれている魔法陣に出現するとさっそく、女子生徒達の黄色い声が耳を突いた。

 トリニスタン魔法学園アステルダム分校において、女子生徒達がこうした声を上げる相手はマジスターしかいない。案の定、マジスターの一人であるキリル=エクランドが魔法陣の傍にいて、女子生徒に囲まれていた彼はクレアの姿を見つけるなり歩み寄って来た。キリルが何を言いたいのか、すでに察しているクレアは動じることなく彼を迎える。

「アオイのこと、やろ?」

「一緒じゃねーのか」

「どっか別の所で話せぇへん?」

 周囲を女子生徒に取り囲まれていたのでは、落ち着いて話も出来ない。この状況に慣れきっているキリルは周囲などまったく気にしていなかったが、クレアの申し出にはすぐさま頷いて見せた。クレアの手を取ると、キリルは「大空の庭シエル・ガーデンへ」という、呪文とも言い難い言葉を口にする。しかし転移は成されて、クレアとキリルは校舎の東にある花園の中に移動した。

「クレア」

 シエル・ガーデンにはすでに他のマジスターの姿もあって、オリヴァー=バベッジが声をかけてきた。一同に向けて、クレアは「おはよーさん」と朝の挨拶をする。それから改めて、キリルに向き直った。

「アオイなんやけどな、また行方不明になってしもうた」

「またかよ!」

 このところ、宮島葵という少女は行方不明になることが続いている。キリルが憤りのこもった声を上げるのも無理はなく、他のマジスター達も微妙な表情で眉をひそめていた。

「また、ハンターに捕まったってことか?」

「ちゃうちゃう。そういうんやないから安心しぃ」

 オリヴァーが不安げに問いかけてきたので、クレアは顔の前で手を振って軽く否定した。するとキリルが、いっそう不機嫌なまなざしを投げかけてくる。

「なら、何で行方不明になったんだよ」

「それはちょっと、うちの口からは言えんなぁ」

「まさか男と一緒にいるってんじゃねーだろうな」

 キリルの邪推は当たらずとも遠からずといったところであり、返答に困ったクレアは苦笑した。それを肯定と受け取ったらしく、キリルは一気に頭に血を上らせる。

「どこの誰だ!!」

「もしかして、昨日言ってたアルヴァとかいう人じゃない?」

 やけに必死になっていたじゃないかと、ウィルがキリルを煽るようなことを言う。それが間違いであることを知っているクレアは、キリルの怒りが爆発してしまう前に否定しておいた。

「そのアルヴァっちゅー人とアオイの関係は知らんけど、一緒におるのはその人やないから安心しぃ」

「だったら誰が一緒にいんだよ!」

「詳しいことは言えんけど、うちらよりだいぶ年下の男の子や。その男の子にはもう婚約者フィアンセがおるさかい、心配することなんて何もあらへんで」

 クレアは少しでも安心させてやろうと思って発言したのだが、それを聞いたキリルは皮肉っぽく顔をしかめた。

「フィアンセなんて関係ねーだろ」

 キリルの物言いに眉をひそめたのはクレアだけだった。貴族の子弟には婚約者がいるのが普通で、それが必ずしも結婚に結びつくわけではないことを、マジスター達は知っているからだ。あまり長引かせたくない話題だと判断したのか、そこでオリヴァーが口を挟んでくる。

「婚約者の話はともかく、その男の子ってのは俺達よりだいぶ年下なんだろ? アオイだって相手にしないぜ」

「そんなの分からないじゃない。僕だって迫られたんだから」

 ウィルの一言で昨日の出来事を思い出したらしく、キリルの殺気を孕んだ視線は彼に向けられた。キリルとウィルの間で諍いが起こると、オリヴァーが慌ててそれを止めに入る。いつも通りの光景を我関せずといった態度で眺めていたハル=ヒューイットが、ふとクレアに向かって口火を切った。

「アオイはその年下の男と何してるの?」

「そんなん知らんわ。うちが教えて欲しいくらいや」

「ふうん……」

「何? ハル、興味あるの?」

 ハルが話に入って来たことで興味を引かれたらしく、ウィルがキリルをそっちのけで会話に加わってきた。表情や態度からは関心が薄そうに思えたが、ハルは平然と「興味がある」と答える。その答えが、シエル・ガーデンに波紋を呼んだ。

「ま、まさか……お前、」

「まさか、何?」

 ハルに問い返されたキリルが答えられなかったのは、おそらく本能的に『言ったらまずい』と察したからだろう。閉口したキリルは歯噛みし、その憤りをクレアにぶつけてきた。

「何でもいいから、早くあの女を連れ戻せ!!」

 二の腕を掴まれて揺さぶられたクレアは、キリルの必死さにやや同情を寄せながら手を払った。念願の再会を果たした葵には邪険に扱われ、そこにハルの含みを持たせた発言が加われば、キリルでなくとも焦燥を抱くだろう。早く繋ぎ止めたいと思う気持ちも、理解出来る。そのためクレアは、キリルの肩にポンと手を置くと優しい口調で語りかけた。

「そのうち戻って来るさかい、今は辛抱やで」

 キリルは不満顔で何かを言いかけたが、結局は口をつぐんだ。以前の彼ならば、それが不条理であると分かっている場面でも我が侭を言っていたので、クレアに言い含められたことが意外に感じられたのだろう。マジスター達は一様に、多かれ少なかれ好奇の混じった目でキリルとクレアを見ていた。

「クレアとキルって、いつの間に仲良くなったの?」

 疑問をストレートな言葉にしてきたのはウィルだった。ニヤリと笑って見せたクレアはマトを乗せていない方の腕をキリルの肩に回し、がっちりと掴む。

「うちらもう、すっかりマブダチやで。な、キリル?」

「……離せ」

 キリルは嫌そうな顔をしてクレアの手を払い除けたが、マブダチについては否定しなかった。それはキリルが少なからずクレアのことを認めているということであり、マジスター達は一様に驚いた表情を見せる。彼らのそういった反応をひとしきり楽しんだ後、クレアは最後にもう一度キリルを励ましてからシエル・ガーデンを後にした。






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