アルヴァ=アロースミス

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 レイチェルの体を貫くと、鎌は再び人間の腕のような姿に戻った。魔法陣の中で左右に揺れ動いているそれは、非常に不安定で不気味だ。傷を負った腹部を押さえながら、レイチェルが魔法陣に向かって何かの呪文を唱え出した。ハッとしたような表情をしたハーヴェイとロバートも、レイチェルに力添えをする。それを召喚した張本人であるアルヴァは、黒い腕のようなものが封じられていくのを、ただ茫然と眺めているだけだった。

《レイチェル、大丈夫か?》

 魔法陣が輝きを失うと、ハーヴェイとロバートがレイチェルの傍に寄った。出血などは見られないが傷は深いようで、レイチェルは苦悶の表情を浮かべている。しかし彼女は、駆け寄って来た二人に大丈夫だと頷いて見せた。

《アルヴァ》

 レイチェルに顔を向けられると、それまで放心していたアルヴァがビクリと体を震わせた。その面には叱責を恐れる表情が浮かんでいたが、レイチェルは彼の予想を裏切る言葉を紡ぐ。

《無事、ですか》

 レイチェルがその一言を発した刹那、アルヴァの瞳から急速に輝きが失われていった。虚ろにレイチェルを見ているアルヴァは心ここに在らずといった様子で小さく頷いて見せる。弟の無事を確認するとレイチェルは立ち上がり、魔法陣へと向かう。彼女が魔法陣を消そうとしているのだと察したハーヴェイとロバートが作業を手伝ったが、アルヴァはやはり虚ろな目で、自分が犯した罪の痕跡が消えて行くのを眺めているだけだった。


――どんなに速く走っても追いつけないなんて、認めたくなかった

――だけどこの時、自分はレイチェルの隣にも並べない卑小な存在なのだと痛感した

――格が、違いすぎる

――足掻いても無駄、なんだ


 アルヴァの意識からは深い絶望が伝わってきて、葵は痛みを覚えた胸に手を当てた。羨望と絶望と劣等感、そして贖罪。それらの感情が混ざり合って、あのレイチェルに対する態度になっていたのかと思うと胸が軋む。葵にはアルヴァにかけてあげられる言葉が何もなかったが、ユアンは「アルのバカ」と呟いた。

「バカだよ、アル。あんなもの呼び出そうとするなんて、ほんとバカ。僕がもっと大きかったら引っ叩いて叱ってたところだよ」

 口ではアルヴァを罵っていても、ユアンはボロボロと涙を零していた。彼が何故泣いているのか分からなかった葵は狼狽えて、大丈夫かと声をかける。涙を拭ってから、ユアンは葵に向き直った。

「さっきアルが呼び出そうとしていたのはね、過去に世界を滅ぼしかけた者の魂。その人を英霊として召喚することは世界が固く禁じてるから、それを成し遂げられればレイを超えられると思ったんだろうね」

 しかし一歩間違えれば、世界が再び滅亡の危機に瀕していたかもしれない。そこまで説明するとユアンはもう一度、アルヴァのことをバカだと断定した。

「何でレイを超えなきゃいけないの? レイはレイ、アルはアルでしょ? 秤になんてかけられない、どっちも大切な命なのに。世界が可哀想だ」

 話しているうちに感情が昂ってしまったようで、ユアンはまた涙を零した。世界が可哀想だという真意は分からなかったが、ユアンの言うことをもっともだと思った葵は悔しそうに唇を噛んでいる彼をそっと抱き寄せる。

「私、ちょっとだけアルの気持ちが分かるような気がする。でもユアンの言ってることも正しいと思うんだ。アルってホント、バカだよね」

「バカだよ。信じられない」


――……そうだね

――僕は愚かだった

――レイチェルと並び立っていたことなど一度もなかったのだと、足掻く前に気付くべきだったんだ


「そういうことじゃないでしょ!? レイのことになると途端にネガティブになるの、やめてよ。僕はいつもの、不敵に笑ってるアルが好きなんだから!」

「……ちょっと、ユアン」

 あらぬ方向に向けて怒声を発していたユアンは葵に呼ばれて振り向いた。キョトンとしている彼は異変に気付いていないようだったので、葵は一呼吸してから言葉を重ねる。

「あのさ、アルと普通に会話してない?」

「あ、そういえば……」

「これっていいこと、だよね?」

「うん。アルの意識がだいぶ再生されて、自発的な思考が出来るようになってきたんだ」

 あともう少しだとユアンが言うので、葵もアルヴァに語りかけてみることにした。

「アル、帰ろうよ。レイもきっと待ってるよ」

 ユアンの時はすぐに反応があったのに、葵の時はアルヴァから反応が返ってくるのが遅かった。語りかけてみてから少しして、辺りが見知った風景に塗り替えられる。そこはアステルダム分校の夜の保健室で、白衣姿のアルヴァが窓際のデスクに座っていた。デスクの上にはレリエというマジック・アイテムが置かれていて、アルヴァはユアンと通信魔法で話をしている。

《その件についてはまた今度、じっくり話し合おう? 時間が出来たらそっちに行くからさ》

 記憶の中の自分が言っていることを聞いて、ユアンが小さく声を漏らした。何かと思って振り向いてみると、ユアンはアルヴァが王城へ行く前に最後に会話した時の記憶だという。水晶の檻に閉じ込められる前のことなのかと思った葵はユアンから視線を外し、記憶の中のアルヴァに目をやった。

 通信を終わらせるとアルヴァは白衣を燃やし、窓を開けて灰を風に舞わせた。窓の外では雪が降っていて、彼は呼気を白く立ち上らせながらどこかを見ている。その横顔は何故か、晴れやかだった。


――ユアンの身代わりとして大罪人になれることが嬉しかった

――最善の形ではなかったものの、これでようやくレイチェルに償いが出来ると思ったから

――僕が消えてもレイチェルが救われるのなら、それでいいんだ

――僕なんかよりレイチェルの方がずっと、必要とされている存在だからね


 贖罪をしたいというアルヴァの言い分は解らないでもなかったが、彼の話を聞いているうちに、葵はだんだん嫌な気分になってきた。

「……なんか、ムカつく」

「でしょ? アオイからも言ってやってよ」

 ユアンからの後押しもあったので、葵は嘆息してから言葉を重ねた。

「アルはそれでいいのかもしれないけど、私はそんなのイヤなの。私だけじゃない、ユアンだってそうだよ。アルが帰って来てくれなかったら私達が何のために苦労したか分からないじゃない!」

「そうだよ。僕たち、アルのためにものっすごく苦労したんだからね!」

「ごちゃごちゃ言ってないで帰ってくればいいの! 私達にはアルが必要なんだから!」

「帰って来たくないって言っても聞かないからね! 僕達が覚えてる以上、アルの好きになんかさせないんだから!」

 言いたいことを矢継ぎ早に言うと、葵とユアンは胸中で『帰って来て』と強く念じた。アルヴァが折れたのか強制的にそうなったのかは分からないが、周囲に広がっていた真っ白な世界が収縮していく。その変化は葵とユアンを置き去りにして起こり、二人はまた闇の中に無数の光が浮遊している空間に戻って来た。ただ先程までとは違って、イメージで作り出したアルヴァの前に光の玉が浮いている。それは葵とユアンが先刻まで身を置いていた白い世界が凝縮されたものだった。

「これが……アルの魂?」

 葵がそう思ったのは、その光が発している色彩が以前に目にしたアルヴァの魔力とよく似ていたからだった。葵に頷いて見せると、まだ少し怒りの残った表情をしているユアンは光の玉をアルヴァの胸に押し込む。その光が見えなくなると、アルヴァの姿も掻き消えた。

「消えちゃったけど?」

「大丈夫。先に僕らの世界に戻っただけだよ」

 これで全てが元通りになっているはずだとユアンが言うので、葵はどっと疲れを感じた。ユアンも同じ気持ちだったようで、彼は胸中を素直に言葉にする。

「あ〜、疲れた」

「ホントだね。私達も帰ろう?」

「あ、ちょっと待って」

 葵にそう言い置くと、ユアンは指を組んで目を閉じた。何かに祈りを捧げている姿を見て、きっと世界に感謝しているのだろうと思った葵も彼に倣う。アルヴァが世界を傷つけたとユアンが言っていたので、深謝と共に謝罪も捧げた。

「じゃあ、帰ろうか」

 組んでいた指を解くとユアンが手を差し伸べてきたので、葵は頷きながら手を重ねた。






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