恋せよ乙女

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 冬月とうげつ期最後の月である秘色ひそくの月の一日。その日の朝、丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校のエントランスホールでは、一人の女子生徒が多くの女子生徒に取り囲まれていた。輪の中心にいる少女は黒髪に同色の瞳といった、世界でも珍しい容貌をしている。彼女の名は、宮島葵。登校して早々に女子生徒達に捕まってしまった葵は、剥き出しの敵意をぶつけられるのは久々だと思いながら周囲を窺っていた。

「よくも、キリル様に恥をかかせましたわね」

「キリル様があなたのような者にお声をかけてくださっただけでも奇跡的なことですのに、拒むだなんて何様のつもりですの?」

「許し難い横柄さですわ」

 周囲の女子生徒達が一様に話題に上らせているのは、この学園のマジスターの一人であるキリル=エクランドという少年のことだ。マジスターはエリート集団で、他の分校の事情は分からないが、少なくともアステルダム分校においては、女子生徒のアイドル的存在である。そのため彼らの意に副わない行動をすると、今の葵のように吊るし上げに遭うのだった。

 キリルは葵に好意を寄せているのだが、葵は先日、公衆の面前でキリルを突っ撥ねた。そのことが、葵にキリルと付き合うよう要求している少女達にとっては許し難い行動だったのだ。しかしそれは、キリルの気持ちに応える気のない葵にはどうしようもないことだった。

 ここで何を言っても無駄なことを承知している葵は呼びかけには応えず、ただ時が過ぎるのを待っていた。校内に本鈴が鳴り響けばこの状態は自然と解消されるはずなのだが、こんな時に限ってなかなか鐘の音は聞こえてこない。そのうちに、ずっと黙したままでいる葵に無視されていると感じたようで、少女達がさらなる苛立ちを露わにし始めた。

「何とか言ったらどうなんですの?」

「生意気ですわ!」

 カッとなった一人の女子生徒が、ついに手を出してきた。側方から突き飛ばされた葵はよろけたが、体が床に倒れこむ前に何かにぶつかる。肩に手を置かれたので顔を上げると、そこに金髪の青年の姿があった。

「アル」

 いつの間にやら現れて葵を支えてくれたのは、この学園の校医であるアルヴァ=アロースミスだった。葵に大丈夫かと声をかけた後、アルヴァは周囲を取り囲んでいる女子生徒達に目を向ける。アルヴァは校医ではあってもとある事情から生徒達に顔を知られていないため、あちこちから誰なのかと問う声が上がった。

「見ての通り、校医だよ」

 不特定多数に向けてそう言い放ったアルヴァは、身につけている白衣を強調して見せた。新しい校医が来たのかと、周囲はざわついている。しかしアルヴァは周囲のことなど気にせず、いつもと変わらぬ様子で葵に話しかけてきた。

「クレアさんは一緒じゃないのか?」

 アルヴァが話題に上らせたのは、葵の同居人でありクラスメートでもあるクレア=ブルームフィールドという少女のことだった。彼女は朝から仕事に出掛けたのだと葵が言うと、アルヴァは何故か納得したように頷く。

「もうすぐ本鈴だ。早く教室に行くといい」

「うん」

「お待ちなさい!」

 アルヴァと葵の間だけで話が進んでいると、蚊帳の外に置かれていた女子生徒達が話は終わっていないと容喙してきた。再び葵に詰め寄ろうとした女子生徒達を、アルヴァが目で制す。冷ややかな視線を向けられた女子生徒達はビクリとして動きを止めた。

「この中には理事長の言葉を覚えている者はいないらしいな」

 葵はアステルダム分校の理事長であるロバート=エーメリーによって、偽の身分を与えられている。その身分故に、葵に危害を加える者は問題視すると、彼は生徒達に公言したことがあるのだ。どうやら失念していたことが蘇ってきたらしく、女子生徒達は葵を追いつめることに躊躇いを見せ始める。そのためエントランスホールには困惑と憤りが入り混じった奇妙な空気が漂っていたのだが、静寂は不意の嬌声によって破られた。

 エントランスの方から騒ぎが起こったので、そちらに顔を傾けた葵は嫌なものを目にして頬を引きつらせた。何故か、ちょうど話題に上っていたこの学園の理事長が生徒達の作った花道を悠然と歩いて来るのだ。加えてロバートの隣には、キリルの実兄であるハーヴェイ=エクランドの姿もあった。

「ロバートにハーヴェイ。何をしに来たんだ」

 ロバートとハーヴェイの登場で甲高い声を上げていた女子生徒達は、アルヴァが彼らに親しげに話しかけたことでピタリと騒ぐのをやめた。誰もが三人の関係を知ろうと耳を澄ませていたが、アルヴァ達は周囲のことなどお構いなしに話を始める。

「私は、君が表舞台に戻って来たと聞いて様子を見に来た」

 アルヴァに向かってそう言ったのはハーヴェイで、ロバートは身を硬くしている葵に目を向けると笑みを浮かべた。

「私は君に会いに来た。久しぶりだな、ミヤジマ=アオイ」

 ロバートにトラウマのある葵は話しかけられた瞬間に、アルヴァの背中へと逃げ込む。腕を伸ばして葵を庇うと、アルヴァはロバートを睨みつけた。

「ロバート、君の視線は汚らわしいことこの上ない。こっちを見るな」

「ロバート、私もアルの意見に賛同する。ミヤジマ=アオイは弟が好意を寄せている人物でもあるからな。妙な真似をされては困る」

「目を向けることさえ許されぬとは、まるで私が鬼畜か何かのようではないか」

 アルヴァ・ハーヴェイ・ロバートの三人が非常に仲がいいらしいということは、これまでの会話から嫌というほど周囲に伝わっていた。この新しい校医は、何かとんでもない人物らしい。周囲がそう思い始めた頃、またしてもエントランスから騒ぎが起こった。今度は女子生徒の嬌声だけではなく、男子生徒のものらしき声も聞こえてくる。その場の視線が一斉にそちらを向いたので、葵もアルヴァの背中から顔半分だけを覗かせて様子を窺った。そうして目にしたものに、あ然とする。

 二度目の騒動の中心にいたのは金髪の女性と、全体的に色素が薄い青年だった。眼鏡をかけた理知的な雰囲気の女性はアルヴァの姉であるレイチェル=アロースミスで、白髪に紅の瞳といった非常に珍しい容貌をしている青年はこの国の王女の教育係であるローデリック=アスキスだ。ローデリックはあまり顔を知られていないがレイチェルは有名なので、騒ぎを巻き起こしている原因は主に彼女のようだ。

「レイチェル」

「ロバートにハーヴェイ。何故、ここにいるのです?」

「私達はアルの様子を見に来ただけだ。そっちは何故ここへ?」

「アルヴァに呼ばれましたので。アスキス様とは、偶然そこでお会いしました」

 これまた親しげに会話をしているロバート・ハーヴェイ・レイチェルの三人を、アステルダム分校の生徒達がポカンとしながら眺めていた。葵には彼らのような驚きはなかったが、朝からすごい光景を見ることになったと苦笑を浮かべる。それから、小声でアルヴァに話しかけた。

「アル、レイを呼んだの?」

「ああ。ちょっと頼みがあってね」

「あ、もしかしてそれでクレアが朝から仕事だったの?」

「たぶん、そうだと思う。レイチェルの代わりにユアンの世話をしているのだろう」

「ミヤジマ=アオイ、そこにいたのか」

 葵とアルヴァが会話をしていると、ローデリックがふと声をかけてきた。名指しされた葵はアルヴァとの会話を切り上げ、彼の背後からも出てくる。面と向かうと、ローデリックは葵に用があって訪れたのだと明かした。

「これを」

 ローデリックが懐から取り出した白い封筒を差し出してきたので、葵は首を傾げながら受け取った。

「何ですか?」

「ロイヤル・ガーデンでの茶会の招待状だ。都合が合えば是非来て欲しいと、フェアレディから仰せ付かっている」

 ローデリックの口から王女という単語が飛び出したため、生徒達の驚愕の視線は葵と彼に集中した。しかし封筒を開けていた葵は気がつかず、中に入っていたカードを一読してからローデリックに視線を戻す。

「明日なら行けると思います。シュシュにそう伝えて下さい」

「では明日、私が迎えに来よう。学園でいいか?」

「アスキス様、それならば僕がミヤジマを王城まで送り届けます」

 葵が返事をする前にアルヴァが口を挟んできたので、ローデリックは彼の方に視線を傾けた。

「アルヴァ=アロースミスか。いいだろう。私も君と話がしたいと思っていたところだ」

「僕と、ですか?」

「不服か?」

「いえ、そのようなことはございません。是非、伺わせていただきます」

「では明日に、また会おう」

 主にアルヴァと葵に向かって言い置くと、用事を済ませたローデリックは転移魔法で姿を消した。招待状を封筒にしまい直していると校内に鐘の音が鳴り響いたので、葵は顔を上げる。

「あ、本鈴だ。じゃあ、教室に行くね」

 レイチェルとアルヴァに向かって短く別れを告げると、葵は人混みを離脱して校舎の三階にある教室へと急いだ。






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