恋せよ乙女

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 冬月とうげつ期最後の月である秘色ひそくの月の二日。その日、葵がクレアと共にトリニスタン魔法学園に登校すると、学園内の空気は一変していた。昨日のエントランスホールでの一件が生徒達に激震を与えたらしく、葵とクレアは一夜にしてマジスター並みの扱いを受けることになったのだ。彼らの変わり身の早さは毎度のこととはいえ、あまりにもチヤホヤされるので、葵とクレアは辟易しながら放課後を迎えることになったのだった。

「ほな、うちは帰るわ。アオイもはよ、アルのとこへ行きぃ」

「う、うん。じゃあ、また家でね」

 軽く手を振ってクレアと別れると、葵は急いで保健室を目指した。クレアと別れた場所がエントランスホールの付近だったので、校舎一階の北辺にある保健室はすぐそこだ。しかし保健室に辿り着く前に、葵はある人物に捕まってしまった。

「アオイ」

 背後からかけられた声が見知った者のものだったので、葵は足を止めて振り返る。腫れぼったい目であくびを噛み殺しながら近付いて来たのはオリヴァーだった。

「眠そうだね?」

「ん、起きたばっかりだからな」

「もうすぐ夜じゃん。いい生活してるね」

「昨日はキルとウィルのせいで寝られなかったんだよ」

 眠たそうに目をこすると、オリヴァーはとうとう欠伸を零した。昨日は大空の庭シエル・ガーデンで一悶着あったので、オリヴァーはきっと大変だったのだろう。彼がキリルとウィルの間に入っている姿が目に浮かぶようで、葵は苦笑いをした。

「それで、何か用?」

「ああ……ちょっと、相談に乗ってもらいたくてさ」

「相談? 何の?」

「キルとウィルが勝負するって譲らなくてな。第三者が公平に内容を決めろって言われて、どんな内容の勝負にするか考えろって押し付けられたんだよ」

「また勝手に……」

「まあ、殴り合いのケンカされるよりは勝負の方がマシだろ?」

 頼むから協力してくれとオリヴァーに懇願された葵は、以前にも似たような科白で言いくるめられたことがあると思い出しながらも懐柔されてしまった。オリヴァーに対しては純粋な好意を抱いているので、彼からの頼み事は断り辛いのだ。

「悪いな。でも勝負の内容次第では、勝敗をうやむやに出来るかもしれないぜ?」

 そうなるような勝負を一緒に考えようと、オリヴァーは言う。それは賢い選択かもしれないと、葵は思った。

「ごめん。今日は用事があるから、考えるのはまた今度ね」

「ああ。呼び止めて悪かったな」

 オリヴァーと別れると、葵は今度こそ保健室に向かおうとした。しかし踵を返した刹那、前方から複数の生徒の声が聞こえてくる。彼らがこちらへ向かって来るのを目にした葵は再び踵を返し、エントランスの方へ向かったオリヴァーを追い越して廊下を疾走した。

 トリニスタン魔法学園の校舎は五角形を無理矢理丸めたような形状になっていて、廊下は緩いカーブを描いている。そのため一度は反対方向に向かっても、走っているうちに目的地へと辿り着くのだ。背後に多数の生徒を抱えて廊下を走り抜けた後、葵は保健室に飛び込んだ。息を切らせながら進入してきた葵を見て、アルヴァが軽く眉をひそめる。

「何事?」

「た、助けて、アル……」

 葵が荒い呼吸の合間に言葉を搾り出していると、追いついてきた生徒達が保健室に雪崩れ込んで来た。彼らは葵から様々な情報を引き出すことを目的に後を追って来たのだが、アルヴァが睨みを利かせると誰もが動きを止める。アルヴァがレイチェルの弟であり、偉人達とも対等な関係を築ける有力者であるということは、すでに昨日のうちに全校生徒に知れ渡っていた。

「この中に怪我人や病人はいるのか? 用のない者は保健室に来るな」

 アルヴァがざっくりと切り捨てると、生徒達はすごすごと退散して行った。猫をかぶるのをやめた彼は生徒達に対して容赦がないが、それでも男女を問わず人気がある。それは彼がレイチェルの弟だからで、そういった理由で騒がれることが面白くないアルヴァは自然と仏頂面になってしまうのかもしれなかった。

「まったく、分校の生徒はレベルが低い」

 忌々しげに吐き捨てると、アルヴァは走って来た葵のためにコップに水を注いでくれた。ありがたくコップを受け取った葵は一息に干し、人心地ついた息をつく。

「ありがと、アル」

「どういたしまして。じゃあ、行こうか」

 脱いだ白衣を椅子にかけた後、アルヴァが手を差し出してきた。葵が手を重ねるとアルヴァはしっかりとその手を握り、転移の呪文を口にする。屋敷の玄関前に描かれている魔法陣に出現したところで手を離すと、葵はアルヴァを振り返った。

「なに着て行けばいいかな?」

「非公式な茶会みたいだし、そんなに硬い恰好をしなくてもいいと思うよ。迷ってしまうようなら『制服』で行くといい」

 服装に悩むよりも身を清める方が先決だと言うと、アルヴァはバスの準備をしに屋敷の中へと入って行った。クレアもいないのでアルヴァの申し出はありがたく、葵も彼の後を追う。魔法を連発してちゃっちゃと風呂の準備を整えると、アルヴァは自身も着替えると言って一度自宅に帰って行った。

 さっと入浴を済ませると、葵は屋敷の二階にある寝室に戻った。クローゼットにはドレスから普段着までそれなりに洋服が入っているのだが、迷ってしまった葵はけっきょく『制服』で茶会に行くことにした。着替えを済ませて待っているとそのうちにアルヴァが戻って来て、彼は葵の顔を見るなり「ああ……」と独白を零す。

「その『制服』にしたのか」

 葵が身につけているのは白のワイシャツにチェックのミニスカートという、高等学校の制服だ。しかしアルヴァの一声で、葵は『制服』違いであることを察した。彼はおそらく、トリニスタン魔法学園の制服である白いローブのことを言っていたのだろう。だが着替えた方がいいかと問うと、アルヴァは首を振った。

「その恰好も制服であることに変わりはないんだろう? だったら、いいんじゃないか?」

「アルはカチッとした恰好してるね」

「僕は立場上、ね」

 ある程度身なりを整えて行かなければならないとアルヴァが言うので、葵はそんなものなのかと思った。

「ミヤジマ、手を」

 アルヴァが手を差し伸べてきた意図は理解していたものの、葵はすぐに反応を返すことが出来なかった。手を重ねるまでに間が空いてしまったのは、身なりを整えているアルヴァにそんな扱いをされるとエスコートでもされているような気分になったからだ。今更だとは思いながらも葵が妙な照れ臭さを感じていると、アルヴァが不思議そうに顔を覗き込んできた。

「どうかした?」

「いや、なんか照れ臭いなぁと思って」

「照れる? 何に?」

 葵が感じたままを説明すると、それまで怪訝そうな表情をしていたアルヴァはニヤッと笑った。意地の悪さを感じさせる表情を浮かべたまま、彼は持ち上げた葵の手の甲に口唇を寄せる。

「では行きましょうか、レディ?」

 不敵に笑った後のアルヴァの言動は芝居がかっていたが、身なりを整えている彼にはそれがひどく似合う。久しぶりに動揺させられた葵が思わず手を引っ込めると、アルヴァは素の調子に戻って笑った。

「そういった反応を見るのは久しぶりだね」

「い、いきなり態度変えないでよ。ビックリするじゃん!」

「まだ僕のことを男として意識してくれるなんて、光栄だよ」

「……もういいよ。早く行こう?」

 放っておくとアルヴァが調子に乗りそうだったので、さっさと気持ちを切り替えた葵は自分から手を伸ばす。その手を受け取ったときアルヴァは微妙な表情をしていたのだが、葵が彼の変化に気付くことはなかった。






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