エクランド家の人間が全員客間からいなくなってしまうと、葵・アルヴァ・オリヴァー・ハルの四人は帰ることにした。クレアは父親の所に行くと言ってエクランド邸には来なかったので、ここにはいない。
「そうだ、ちょっと待って」
オリヴァーとハルが帰ろうとすると、何かを思い出した様子のアルヴァがそれを引きとめた。二人が同時に振り返ったところで、アルヴァは言葉を重ねる。
「坩堝島に行く話だけど、ウィル=ヴィンスはどうするって?」
アルヴァが問いかけたことで、オリヴァーとハルはウィルの存在を思い出したようだった。訊いてみると言い置いて、レリエという
「そういえば、いなかったね」
「気にしてなかった」
常日頃から惰性で集っているだけらしく、ハルの反応は素っ気ないものだった。付き合いが長くなれば自然とそうなるものかと、思い当たる節のあった葵は彼らの考え方に共感する。生まれ育った世界では、小学生の頃からの腐れ縁である弥也と、葵もそんな感じだったのだ。
「ダメだ、応答しない」
しばらく呼び出しをかけていたオリヴァーは諦めの口調で言うと、レリエを異次元に消し去った。それから、彼はアルヴァを振り向く。
「連絡がつくようなら行くって言うと思いますけど、出発が明日だと捉まらないかもしれません」
「そういうことはよくあるの?」
「ありますね。ウィルが行き先を告げて消えるのは稀なので」
「そう」
オリヴァーと話しているアルヴァが何かを気にしているように見えたので、葵は首を傾げた。だが疑問を口にする前に、こちらに視線を傾けてきたアルヴァが言葉を紡ぐ。
「ミヤジマ、帰ろうか」
「うん。じゃあね」
ここで別れるオリヴァーとハルに軽く手を振ると、葵はアルヴァから差し出された手を取った。アルヴァが呪文を唱えると、転移の魔法で一瞬にして場所を移動する。自宅前の魔法陣に出現した葵はすぐ屋敷に入ろうとしたのだが、アルヴァに呼び止められて振り返った。
「ミヤジマ、僕と付き合ってみる気はない?」
「はあ!? アルまで何言い出すの?」
アルヴァが脈絡のないことを言い出したので、驚いた葵は思わず身を引いてしまった。大袈裟な葵の反応に苦笑した後、アルヴァは冷静に真意を明かす。
「抑止力として僕を利用してみないかっていう、誘い」
「どういうこと?」
「キリル=エクランドの気持ちは、もう執念に近い。ミヤジマが誰とも付き合っていない以上、彼を諦めさせることは難しいだろう?」
「それは、そうかもしれないけど……」
「だから、提案。偽装恋愛するなら、僕以上の適任者はいないと思うけど?」
「う、うーん……」
本人が自負している通り、確かに偽装恋愛をするならアルヴァ以上の相手などいない。しかし言い換えれば、それは今更ということにならないだろうか。
「でもさぁ、今更アルと付き合ってますなんて言っても明らかにウソっぽくない?」
「それは旅が解決してくれると思うよ」
「どういう意味?」
「日常を離れてみると妙な開放感を抱くことがあるだろう? 旅先では何が起こるか分からない。そういう理屈で、坩堝島で既成事実を作ってしまおう。そうすれば周囲も認めざるを得ないだろう」
「キセイジジツ……」
嫌な予感のする響きだと思った葵が独白後に閉口していると、アルヴァは涼しい表情のままで言葉を重ねた。
「難しく考える必要はないよ。ただ旅先で盛り上がって、ロマンスが始まった。そういうことにすればいいだけだから」
そして旅の後に、付き合うことになったと公表すれば不自然ではない。アルヴァは簡単にそう言ってのけたが、葵には即答することが出来なかった。
「ちょっと、考えさせて」
「うん。坩堝島に行っている間に考えておくといいよ。それから、クレアには言わないこと」
「……何で?」
「彼女は何故か、キリル=エクランドの味方になってしまったようだからね。言ったら反対されることが目に見えてる」
「やっぱり、アルもそう思う?」
近頃のクレアの言動は、どうもおかしい。葵もちょうどそう思っていたところだったので、クレアの話に食いついてしまった。しかしアルヴァは、何故そう思ったのか詳細を語ることはなく、苦笑いで話を終わらせる。
「じゃあ、僕はやることが残ってるから行くよ」
そう言い置くとアルヴァが姿を消してしまったので、葵は様々なことに悶々としながら屋敷に入って行った。
エクランドの本邸を出た後、オリヴァーとハルはオリヴァーの家に移動した。ここはバベッジ公爵の本邸ではなく、オリヴァーが平素から使用しているアステルダム公国内にある別邸だ。壁紙や家具などが青で統一されている私室で、オリヴァーとハルは果実酒を片手に話をしていた。話題はもちろん、先程のキリルのことだ。
「キルがあんなこと言い出すなんて、驚いたよな」
「本気、なんだね。アオイのこと」
「ああ、そうだな」
オリヴァーもハルもキリルとは幼少の頃からの付き合いだが、異性のことであんなに熱くなっている彼を見たのは初めてのことだった。友人としてはキリルの変化を喜ばしいことと受け止め、応援してやりたい気持ちがある。だが葵に特別な事情があるため、話はそう簡単ではないのだ。そのため迂闊なことは言えず、オリヴァーは手元に引き寄せたグラスを口に運んだ。
「オリヴァーは、それでいいの?」
「ん? 何がだ?」
「オロール城で」
「……ああ、そのことか」
ハルには過去に、見られてはならなかった場面を目撃されてしまっている。しかし苦笑いを浮かべたオリヴァーは、これでいいのだと即答した。「ふうん」という素っ気ない相槌を打ったハルは無表情のまま、グラスを口元に運ぶでもなく弄んでいる。その表情からは考えを窺い知ることは出来なかったが、オリヴァーは言及することなく、早々に自身の話を終わらせることにした。
「ハルはもう、大丈夫か?」
トリニスタン魔法学園の本校を退学して以来、ハルの私生活は荒れていた。だが荒むことにも限界を感じたのか、いつしか派手な遊びもしなくなっていたのだ。そして先日、ついにオリヴァーの元を離れて家に戻った。心境に変化が起こるまでには色々なことがあったのだろうが、ハルはそういったことを話すタイプではない。問いかけにも頷かなかったが、ハルが真顔でいることから、オリヴァーは大丈夫そうだと思った。
「キルは気付いてるのかな」
しばらくの後、ハルがポツリと呟きを零したので、グラスを干したオリヴァーはボトルを手にしながら話に応じる。
「何がだ?」
「坩堝島に行くのが、どういう意味なのか」
葵達はバラージュの情報を得るために坩堝島に行く。それに同行して情報収集を助けるということは、葵が生まれ育った世界に帰るのを手助けするのも同じことだ。それでいいのかとハルが言うので、オリヴァーは目を瞬かせた。
「そういえば、そういうことだよな」
「気付いてないよね? 絶対」
「間違いなく考えてないだろうな。というか、キルはアオイが帰るとしたらどうするつもりなんだ?」
「着いて行くとか?」
「異世界に?」
オリヴァーは自分がその立場になったらと思って考えを巡らせてみたが、どんなにイマジネーションを働かせてみても、異世界のことなど想像が出来なかった。しかも一度行ってしまったら、帰って来られる保証などないのだ。自分だったら出来そうにないと、オリヴァーは苦い笑みを浮かべた。
「そう考えると、アオイってすごいよな。よく異世界で普通に暮らせるもんだぜ」
「うん。俺もすごいと、思う」
ハルもキリルやウィルと同じで、他人のことにはあまり関心を示さない性格の持ち主だ。その彼が『すごい』と思うのだから、葵はよっぽど苦労したのだろう。オリヴァーは冗談交じりにそう言ってみたのだが、ハルは微笑も浮かべることなく、真顔のまま同意を示して見せた。
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